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高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」佳作 赤ちゃんの名前/森千鶴

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作文・エッセイ
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小説でもどうぞ

第2回 高橋源一郎の小説指南「小説でもどうぞ」 佳作

赤ちゃんの名前
森千鶴

 日曜日の午後、春の陽ざしがリビングに届いている。遅い昼食が終わって、パパはコーヒー、ママは珍しく紅茶を飲んでいる

「重大発表があるんだ」

 パパは、ちょっとあらたまった感じで切り出した。わたしは、妹の桃と顔を見合わせた。

 ニコニコしているママの膝で、弟の涼太はお昼寝モード、うとうと眠りかけている。

「実はね、新しい家族ができたんだ」

 わたしは驚いた。

「どういうこと?」

 桃がママに聞く。

「ママのお腹に赤ちゃんがいるの」

 ママがとろけるように微笑んでいる。

「やったあ。赤ちゃんだ!」

 桃はいつも反応が早くて単純だ。

 桃の声で涼太は目が覚めたようだ。目をこすりながら、あくびをしている。

「涼太もお兄ちゃんだぞ」

 パパはママの膝から涼太を抱き上げた。

「梨穂、桃、頼りにしてるわ。よろしくね」

 ママは、わたしたちに笑いかけた。

「ママのお腹で赤ちゃんが安心して大きくなれるように、ふたりも協力するんだぞ」

 いつも少し頼りないパパが、今日はなんだか頼もしい。

 その日から、わたしと桃は「赤ちゃん大作戦」を始めることにした。

1 ママのお手伝いをする。

2 自分のことは、なるべく自分でする。

3 赤ちゃんの名前を考える。

「赤ちゃんの名前を考える」作戦は、まだパとママには内緒だ。ふたりでとびっきりいい名前を考えて、その日が来たら提案する。

 わたしと桃は、学校から家に帰っておやつを食べると、すぐに宿題にとりかかった。この頃ずっとそうしている。涼太はお昼寝。

「涼太はたっぷりお昼寝をしてくれるから、とっても助かるわ」

 宿題が終わったら、ママの手伝いをしようと思っている。それは桃も同じ。どちらが早く終わって手伝えるか競い合っている。でも、わたしのほうが宿題は多いし、難しいし、断然不利なのだ。

「ねえ、赤ちゃんは女の子だったらいいね」

 桃は宿題を終えて、ノートを片づけている。

「赤ちゃんだったら、名前は果物だよ。わたしが『梨』で桃は『桃』だから」

「あっ、そうか、みかんとかりんごとか……」

「うーん、でも、ちょっとそれはない感じだよね」

 わたしと桃は、すくすと笑い合った。

「ねえ、ママ、お手伝いするよ」

 桃がキッチンに行こうとしたときだ。

 ママが手で口を押さえている。そして、そのままうずくまった。

「ママ、どうしたの。気持ちが悪いの」

 わたしはママの顔をのぞき込んだ。

「だいじょうぶ。つわりっていうの」

 ママは口を押さえたまま、リビングのソファにすわった。

「梨穂のときも桃のときも、こんなふうになることはあったの。何も心配しなくていいの」

ママは笑顔になって、わたしと桃の頭をかわりばんこになでてくれた。

 五月の空は水色。その空をひこうき雲がまっすぐに横切っている。

 わたしたちは、大きな公園の芝生でお弁当を広げた。おにぎりは、わたしと桃が作った。

 大きさと形は不揃いだけど、とってもおいしい。唐揚げはパパが揚げて、ポテトサラダは

ママが作った。涼太は広い芝生がうれしくて、ずっと走り回っている。

「パパは、ちょっとトイレに行ってくるから、涼太を見ててね」

 パパに頼まれて、わたしと桃はうなずいた。けれど、わたしたちは、デザートの杏仁豆腐に夢中になっていた。涼太が急ダッシュで走り出しママが追いかけた。

「ママ、危ない」

 ママが転ぶのが見えた。スローモーションみたいに、わたしの目に飛び込んできた。

 次の日の夜、ママが流産したことを、わたしたちは知った。ママは部屋に閉じこもって、ずっと泣いている。

「大切ないのちを守ってあげられなかったのが、悔しいな」

パパは泣きたいのを我慢していた。パパが泣いたら、わたしも泣いてしまいそうだ。

「あのね、名前はみかんっていうの」

 桃がぽつりとつぶやいた。そうだ。名前をつけてあげられなかった。

「いい名前だね」

 パパは笑おうとしている。

「いい名前だね」

 わたしは桃に笑いかけた。

 みかんはもうママのお腹の中にはいないけど、すぐそばで、わたしたちのそばで「いい名前だね。ありがとう」って笑っているような気がした。

(了)