第4回「小説でもどうぞ」佳作 彼女は何を忘れたの/木村翔
第4回結果発表
課 題
記憶
※応募数292編
「彼女は何を忘れたの」木村翔
京都に多いのは大学生と自転車である。春に入学した大学の構内はどこも色とりどりの自転車で溢れているが、全学部の一回生が授業を受ける建物の近くとなれば殊更だ。先輩の話では五月病の季節になると三割ほど減るらしいが、四月の今は、来るたびに駐輪場所を探して一苦労している。毎日位置を変えざるを得ないので、後で自分のものを見つけるのに手間取ることも多い。だから僕が彼女に声をかけたのも、不自然なことではなかった。
「ひょっとして、自転車どこに止めたかわからんとか?」
白い常夜灯の下、腕を組んで右往左往していた弓岡さんは、振り向いて頷いた。
彼女と顔を合わせたのは二時間ほど前、あるサークルの新入生歓迎イベントでだった。終了後に希望者を募って大学近くの定食屋で食事会が行われ、僕と弓岡さんを含めた新入生四人が、三人の上級生にごちそうになった。八時すぎに解散になると、先輩たちは部室に寄り、新入生のうち二人は電車に乗るため駅へ向かった。ここまで歩いて戻ってきたのは二人だけで、自分の自転車を取ってきたあと、僕は彼女が困っているのを見つけたのだ。
「最後に授業受けたのはここで間違いないんだけど。入口の近くは混んでたから、離れたところに止めたんだったかな」
「ここは自転車多くて、わからんくなるよな」
「毎日違うところに止めてるから、頭の中がごちゃごちゃになってるみたい」
「端から見ていくしかないんちゃう? どんなやつ?」
「普通のママチャリで、色は赤と銀」
目に入る自転車の数は昼間から減って、それでも百は下らない。このまま放っていくわけにもいかないので、できる範囲で弓岡さんを手伝うことにする。厚く雲がかかった空に月明かりはない。まばらな電灯を頼りに、二人がかりで赤と銀の組み合わせを探すが、一通り調べても見当たらなかった。
「この辺に止めたのは確かなん?」
「五限をここで受けて、そのあと新歓の集合場所まで歩いて行ったから、絶対。他のところに止める理由がない」
「なら見落としてるんか……」
傍らの貼り紙が目に入った。「鍵のかけ忘れに注意! 短い時間でも必ず施錠しよう」。
「盗まれたか、やな」
「縁起でもないこと言わないでよ」
むくれる弓岡さんを見ながら、僕はこんなに時間がかかるなら手伝うんじゃなかったと思いはじめていた。
「歩いて帰ることはできひんの?」
「下宿までなら二十分くらいだけど」
「もう暗いし、明日改めて探しに来た方がええんやないかな。明るい中やとあっさり見つかるかもしれんで」
「ごめん。付き合わせちゃってるってこと、忘れてた。今何時だろ」
ポケットに手を入れた瞬間、弓岡さんの動きが止まった。取り出した携帯電話を僕に押し付けると、服や鞄のあちこちに手を突っ込みはじめた。顔に焦りの色が浮かんでくる。
「待って、鍵がない、自転車の、キーホルダーが付いてるの、マーライオンのやつ……そうだ、思い出した。五限に遅れそうになったから教室に駆け込んだんだけど、そのとき自転車に鍵かけた覚えがない。差しっぱなしにしてたのかも。誰かが見つけて自転車とっていったんだ。どうしよう、こっちで買ってもらったばっかりの新品なのに」
本当に盗まれたのなら、警察に連絡することになる。そこまで付き合っていられない。
「まあ、鍵を落としただけかもしれんやんか」
「それはそれで困るって」
弓岡さんは両手で頭を抱える。その様子が、ふとあることを思い出させた。彼女は何を忘れたのか。足を運べばわかるだろうが、先に確認しておきたかった。思い出せないことがあって、僕は聞いた。
「あのさ。さっきの店の名前、覚えてる?」
五分後、僕たちは先ほどの定食屋に向かっていた。インターネットで調べた番号に電話をかけると、お尋ねのものは保管してあると店員が教えてくれた。
「よくわかったね、私が歩いてきてたって」
「弓岡さんが、店の傘立てに傘入れてたの思い出したからな」
「そう。夜から雨が降るかもしれないから、傘持って歩いてきたんだった」
彼女が店に傘を忘れていなければ、苦労して自転車を探すこともなかっただろう。
「ありがとう。おかげで助かった」
「いや、どうせ下宿に帰ったときに気づいたやろうから、そんなに意味ないと思うで」
弓岡さんは足を止め、上目づかいに僕を見つめた。恥ずかしくなって目をそらそうとしたとき、彼女は口を開く。
「ところで、あなたの名前、なんだっけ?」
(了)
「ひょっとして、自転車どこに止めたかわからんとか?」
白い常夜灯の下、腕を組んで右往左往していた弓岡さんは、振り向いて頷いた。
彼女と顔を合わせたのは二時間ほど前、あるサークルの新入生歓迎イベントでだった。終了後に希望者を募って大学近くの定食屋で食事会が行われ、僕と弓岡さんを含めた新入生四人が、三人の上級生にごちそうになった。八時すぎに解散になると、先輩たちは部室に寄り、新入生のうち二人は電車に乗るため駅へ向かった。ここまで歩いて戻ってきたのは二人だけで、自分の自転車を取ってきたあと、僕は彼女が困っているのを見つけたのだ。
「最後に授業受けたのはここで間違いないんだけど。入口の近くは混んでたから、離れたところに止めたんだったかな」
「ここは自転車多くて、わからんくなるよな」
「毎日違うところに止めてるから、頭の中がごちゃごちゃになってるみたい」
「端から見ていくしかないんちゃう? どんなやつ?」
「普通のママチャリで、色は赤と銀」
目に入る自転車の数は昼間から減って、それでも百は下らない。このまま放っていくわけにもいかないので、できる範囲で弓岡さんを手伝うことにする。厚く雲がかかった空に月明かりはない。まばらな電灯を頼りに、二人がかりで赤と銀の組み合わせを探すが、一通り調べても見当たらなかった。
「この辺に止めたのは確かなん?」
「五限をここで受けて、そのあと新歓の集合場所まで歩いて行ったから、絶対。他のところに止める理由がない」
「なら見落としてるんか……」
傍らの貼り紙が目に入った。「鍵のかけ忘れに注意! 短い時間でも必ず施錠しよう」。
「盗まれたか、やな」
「縁起でもないこと言わないでよ」
むくれる弓岡さんを見ながら、僕はこんなに時間がかかるなら手伝うんじゃなかったと思いはじめていた。
「歩いて帰ることはできひんの?」
「下宿までなら二十分くらいだけど」
「もう暗いし、明日改めて探しに来た方がええんやないかな。明るい中やとあっさり見つかるかもしれんで」
「ごめん。付き合わせちゃってるってこと、忘れてた。今何時だろ」
ポケットに手を入れた瞬間、弓岡さんの動きが止まった。取り出した携帯電話を僕に押し付けると、服や鞄のあちこちに手を突っ込みはじめた。顔に焦りの色が浮かんでくる。
「待って、鍵がない、自転車の、キーホルダーが付いてるの、マーライオンのやつ……そうだ、思い出した。五限に遅れそうになったから教室に駆け込んだんだけど、そのとき自転車に鍵かけた覚えがない。差しっぱなしにしてたのかも。誰かが見つけて自転車とっていったんだ。どうしよう、こっちで買ってもらったばっかりの新品なのに」
本当に盗まれたのなら、警察に連絡することになる。そこまで付き合っていられない。
「まあ、鍵を落としただけかもしれんやんか」
「それはそれで困るって」
弓岡さんは両手で頭を抱える。その様子が、ふとあることを思い出させた。彼女は何を忘れたのか。足を運べばわかるだろうが、先に確認しておきたかった。思い出せないことがあって、僕は聞いた。
「あのさ。さっきの店の名前、覚えてる?」
五分後、僕たちは先ほどの定食屋に向かっていた。インターネットで調べた番号に電話をかけると、お尋ねのものは保管してあると店員が教えてくれた。
「よくわかったね、私が歩いてきてたって」
「弓岡さんが、店の傘立てに傘入れてたの思い出したからな」
「そう。夜から雨が降るかもしれないから、傘持って歩いてきたんだった」
彼女が店に傘を忘れていなければ、苦労して自転車を探すこともなかっただろう。
「ありがとう。おかげで助かった」
「いや、どうせ下宿に帰ったときに気づいたやろうから、そんなに意味ないと思うで」
弓岡さんは足を止め、上目づかいに僕を見つめた。恥ずかしくなって目をそらそうとしたとき、彼女は口を開く。
「ところで、あなたの名前、なんだっけ?」
(了)