第4回「小説でもどうぞ」佳作 結露/フサノユメコ
第4回結果発表
課 題
記憶
※応募数292編
「結露」フサノユメコ
寒くなり、風呂場のガラス窓は結露になると上から下へゆっくりと流れた。十四本の線は川のように流れ窓ガラスは泣き顔となると、わーんわーんと泣く女の子のようで、姉のことを思い出していた。子供の気持ちを大人になると忘れてしまうし、何故そんなことをするのだろうと思うことがある。大人と子供の温度差なのかもしれない。水滴はまた一つ流れていった。
母の実家は伯母が美容院を営んでいる。なかなかの人気店で忙しく、家事まで手が回らない。台所は雑然としており、床の上にまで鍋が置かれていた。朝は喫茶店でモーニング、夜は店屋物。お客さんは次から次へと来店し、忙しいのだなと子供ながらに思っていた。
台所に並ぶ鍋の中には、芋の煮っころがし、かぼちゃの煮物、カレイの煮つけが入っていた。私たち家族のために、仕事前に拵えてくれたのだろう。いとこのひろみちゃんと姉と鍋の中を覗くと、試食会と称して一つずつ芋の煮っころがしを口の中に入れた。コラッと三人で注意された。
ひろみちゃんの部屋でいろいろな物を見せて貰った。見るもの全てが真新しかった。ブラシやドライヤーがピンクだったり、箪笥の中には可愛い服がたくさん入っていた。色付きリップや、化粧水、乳液があり、驚いた。それらは、大人の女性が丁寧にうっとりと顔を包むように付けるものだと思っていた。小学一年生のわたしからすると、六年生のひろみちゃんはとても大人に感じられた。
「ひろみちゃんってなんだかおませさんだね」
新しく覚えたばかりの言葉を使ってみると、ひろみちゃんは笑った。
「みーちゃんも、もう付けたほうがいいよ。今日顔を洗ったら付けていいよ」
わたしは早速顔を洗うと、化粧水と乳液を初めて付けた。茹で卵になったようで嬉しかった。
夕飯の支度をひろみちゃんが手伝っていた。姉は漫画を描いていて、わたしも真似して大きな瞳の女の子を描いていた。瞳にきらめきを一つ入れると台所から良い香りが漂ってきた。わたしは落ち着きなく台所を覗きに行くと、皿に盛り付けられた芋の煮っころがしが品よく都会的なお芋さんになった。わたしは田舎から都会に出てきた人が道に迷ってウロウロしている様子を再現していると、新聞を読んでいる伯父に「みーちゃんは本当に落ち着きのない子だな」と怪訝な顔をされた。母に二階へ行ってなさいと促され、ひろみちゃんの部屋でもう一度化粧水を付けると、さっきのお芋さんのように少し落ち着いたように思えたのだが、顔が光り過ぎているような気がして、顔を洗いに階段を駆け下りると廊下に大きな鍋が置いてあることに気が付かず、躓いて鍋の中の味噌汁を全身に被ってしまった。私は火のつくように泣いた。一瞬はとても熱かったけれど、せっかく作ってくれた味噌汁を台無しにしてしまったことに対して泣いて喚いたのだった。母は浴室にわたしを抱えて服を脱がすと水のシャワーを全身に掛けた。真冬の水は心底冷たかった。いつの間にか救急車が到着していた。初めての救急車に火傷や冷たい水以上に興奮していた。私は母と一緒に救急車に乗り込むと、真剣な表情の姉が
「あたしも乗りたい、あたしもみーちゃんと一緒に連れていって」
と駄々をこね始めた。
「救急車は付き添いの方一人だけです」
救急隊員はそう姉に告げると、わーん、わーんと次から次へと涙を流していた。
「乗りたい、乗りたいの」
姉は伯母に押さえつけられ泣き叫んでいた。アイドルを追っかけする熱狂的な女の子みたいだと思った。不思議と救急車に乗ってからの記憶は覚えていない。姉の姿ばかりが目に焼き付いている。火傷の痕は残っていないので、大したことはなかったと思う。
数日後、伯母から化粧水や乳液が送られてきた。母はわたしたちの頬にぱちゃぱちゃとつけてくれた。
「これから二人とも落ち着きますね、まずはほっぺから」
「はい」
元気よく返事をすると、化粧水はひんやりと肌に浸透していった。
(了)
母の実家は伯母が美容院を営んでいる。なかなかの人気店で忙しく、家事まで手が回らない。台所は雑然としており、床の上にまで鍋が置かれていた。朝は喫茶店でモーニング、夜は店屋物。お客さんは次から次へと来店し、忙しいのだなと子供ながらに思っていた。
台所に並ぶ鍋の中には、芋の煮っころがし、かぼちゃの煮物、カレイの煮つけが入っていた。私たち家族のために、仕事前に拵えてくれたのだろう。いとこのひろみちゃんと姉と鍋の中を覗くと、試食会と称して一つずつ芋の煮っころがしを口の中に入れた。コラッと三人で注意された。
ひろみちゃんの部屋でいろいろな物を見せて貰った。見るもの全てが真新しかった。ブラシやドライヤーがピンクだったり、箪笥の中には可愛い服がたくさん入っていた。色付きリップや、化粧水、乳液があり、驚いた。それらは、大人の女性が丁寧にうっとりと顔を包むように付けるものだと思っていた。小学一年生のわたしからすると、六年生のひろみちゃんはとても大人に感じられた。
「ひろみちゃんってなんだかおませさんだね」
新しく覚えたばかりの言葉を使ってみると、ひろみちゃんは笑った。
「みーちゃんも、もう付けたほうがいいよ。今日顔を洗ったら付けていいよ」
わたしは早速顔を洗うと、化粧水と乳液を初めて付けた。茹で卵になったようで嬉しかった。
夕飯の支度をひろみちゃんが手伝っていた。姉は漫画を描いていて、わたしも真似して大きな瞳の女の子を描いていた。瞳にきらめきを一つ入れると台所から良い香りが漂ってきた。わたしは落ち着きなく台所を覗きに行くと、皿に盛り付けられた芋の煮っころがしが品よく都会的なお芋さんになった。わたしは田舎から都会に出てきた人が道に迷ってウロウロしている様子を再現していると、新聞を読んでいる伯父に「みーちゃんは本当に落ち着きのない子だな」と怪訝な顔をされた。母に二階へ行ってなさいと促され、ひろみちゃんの部屋でもう一度化粧水を付けると、さっきのお芋さんのように少し落ち着いたように思えたのだが、顔が光り過ぎているような気がして、顔を洗いに階段を駆け下りると廊下に大きな鍋が置いてあることに気が付かず、躓いて鍋の中の味噌汁を全身に被ってしまった。私は火のつくように泣いた。一瞬はとても熱かったけれど、せっかく作ってくれた味噌汁を台無しにしてしまったことに対して泣いて喚いたのだった。母は浴室にわたしを抱えて服を脱がすと水のシャワーを全身に掛けた。真冬の水は心底冷たかった。いつの間にか救急車が到着していた。初めての救急車に火傷や冷たい水以上に興奮していた。私は母と一緒に救急車に乗り込むと、真剣な表情の姉が
「あたしも乗りたい、あたしもみーちゃんと一緒に連れていって」
と駄々をこね始めた。
「救急車は付き添いの方一人だけです」
救急隊員はそう姉に告げると、わーん、わーんと次から次へと涙を流していた。
「乗りたい、乗りたいの」
姉は伯母に押さえつけられ泣き叫んでいた。アイドルを追っかけする熱狂的な女の子みたいだと思った。不思議と救急車に乗ってからの記憶は覚えていない。姉の姿ばかりが目に焼き付いている。火傷の痕は残っていないので、大したことはなかったと思う。
数日後、伯母から化粧水や乳液が送られてきた。母はわたしたちの頬にぱちゃぱちゃとつけてくれた。
「これから二人とも落ち着きますね、まずはほっぺから」
「はい」
元気よく返事をすると、化粧水はひんやりと肌に浸透していった。
(了)