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水口芙海

#第34回どうぞ落選供養 「激動期のまみ」 教師ってやつらが一体何を根拠にあんなにふんぞりかえっていられるのか、わからない。わかりたくもないくらい。授業中のけだるい静けさや休憩時間のざわめきの前、10センチもないくらいの教壇の上に立つ物理的な高さが奇妙な勘違いを生んでいるのだろうか。 現代文の授業が始まり、教師が授業を始める。 「えぇっと、僕が驚いたのはココの正答率が非常に低かったことですね。泰然自若。わからないかぁ。うーん……」 その口調が思い上がった精神を際立たせ、絶妙にイラつく。そんなの生活のどこで触れて誰が使おうって思うのよ。 「哀しき泰然自若」 メモに書いて後ろの席に回す。まみがさらさらと返事を書いている気配がする。 「傍若無人でさえある。偉い。体を張った四字熟語講座、忘れない」 それでも、私たちはかなりまじめなほう。授業に対しても、くだらない教師たちに対しても。 「帰りマックでシェイク飲も」また紙切れを回すと、 「OK」すぐに返事が返ってきた。 校門を出て急な上り坂を見上げる私たちの姿は、少しでも俯瞰的に見ればちっぽけだろう。白い靴下はふくらはぎにすいつき、足先がローファーの中で蒸れている。私の足は球体的。まみの足はか細い。初夏の青空には、入道雲の予感を漂わせた立体的な雲が浮かんでいる。 「今日も元気にのぼろーかー」 「のぼろーねー」 最近流行りのあほらしい歌をうたいながら登り始める。 ヨーグルト味のマックシェイクはおいしくてときめく。まだ冷えていてなかなか吸い上げられないらしいまみは頬っぺたをへこませて苦戦している。肉のない顔がげっそりして見えるのに、なんだかかわいらしいなと思う。そんなことをのほほんと言っていられない事情が彼女にはあるのに。盗み見のような気分でちらっと見やると、目が合った。どちらからともなく大げさに目をむいて見せる。まみはすぐに真面目な顔に戻り、 「私、数学のT(注:teacher)が好きみたい」 と呟いた。 「ふむ」間の抜けた反応をしてしまう。 数学の教師の名前は吉田。どこかのヨガ講師みたいに凛とした脱力感が印象的で、教師にしては好印象であるのは確かだった。多くの教師がそれぞれのうそくさい喋り方を活かして授業をするのとは対照的に、いつまでもどこか慣れ切らない雰囲気のするつかみどころのない感じの教師だ。まみはこの前職員室の前で吉田とぶつかったらしい。それで、まみは廊下に、先生は職員室のなかに「吹っ飛んだ」らしい。まみは尻もちをついて、もしかしたらパンツもちょっと見えたかもしれない、と恥ずかしそうに言った。先生はこけるところまでは行かず、そっとまみのほうにやって来て「びっくりしたね」と言ったそうだ。 私はその話を聞いて咄嗟に、彼は変態的なプレイボーイかもしれないと訝しんだけれど、まみはそんなこと微塵も思わなかったようで、同じだけ「吹っ飛んだ」ことと、「個人的なやりとりができた感触」が嬉しかったと言って照れた。ハーフアップにした髪の毛が、九〇度の角度で座っている私にもはっきり見えるほどに俯いている。この子恋愛で苦労していくタイプかもしれない、と、誰かを想ったことのない私でも思った。 こうやって、人は、くだらない相手へ熱心な視線を向けることを忘れていくのかもしれない、と思った。趣味は人間観察、とか言って、それが、斜に構えたかっこいい行いであるかのように頷き合ったまみは、私よりいくらか先に、女性へと変化を遂げていこうとしている。 くだらない教師たちなんかじゃなく、恋に落ちた相手の一挙手一投足に何かを見出して、そこから繊細な感性や緻密な洞察を育んでいくようになるんだろう。 寂しいな、と思った。それで、 「寂しいな」と呟いた。 「どうしたの。」びっくりしたような顔で訊かれる。 親友が違う世界観へと足を踏み出してしまった寂しさを彼女に伝えるつもりはなかったのに、どうして余計な一言を口に出してしまったのか、すぐに後悔して、 「夏が始まったら、なんかさー」とくさい感じで取り繕う。 高校二年生、青春真っ盛り。どんな夏が始まるんだろう。家ではほとんどご飯を食べていないらしく、やせ細っていくまみを、冬頃から見守ってきた。私といるときだけは、おいしそうに食べ飲みする。その詳細な理由を彼女は語らない。だから私も聞かない。自分の心の中を誰かにさらけ出すことが簡単にできるのなら、拒食症になんてならないだろうと思う。だけど、とも思うのだ。率直に、何でもない事かのように、大事なことについて語り合えたらどれだけ良いんだろうって。海外映画の登場人物たちが、深刻な話をカジュアルに交し合うのをみたりしていると、まみと、こんなふうになれたらどれだけ良いだろうと憧れたりもする。 何が苦しいの、どんなことを考えているの、家で何があった? いつかの思い出がまだ燻っているの? 「柔らかくなってきたわ」 色のない頬にしわをよせてにっこり笑って、まみはマックシェイクを吸い上げる。 (完)

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