つくログ上で募集した、「小説でもどうぞ」第34回の落選作品。 #第34回どうぞ落選供養 全ての作品に目を通し、そのなかから埋もれさせておくのはもったいない作品を公募ガイド編集部がピックアップ、記事として公開しちゃいます! https://koubo.jp/article/29637 入選作の陰に隠れた、素敵な落選作品に今一度光を……! 作品の感想もつくログ上でお待ちしております。
- 小説でもどうぞ【公式】
- 齊藤 想
第34回落選作その2です。 たまに書いている戦争物ですが、公募で採用されたことはありません。 なかなか難しいですね(汗) ――――― 『最後の特攻』 齊藤想 杉本軍曹は、廣垣中佐のことを本当にクソ司令だと思った。アメリカ在住経験のある合理主義者という噂は、完全に買い被りだ。 戦況が極度にひっ迫していることは、ベテラン搭乗員であればだれもが知っている。明日の正午に玉音放送があるということは、おそらく戦争は終わるのだろう。 それなのに、目の前にいる廣垣司令はベテラン搭乗員を横一列に並べて、明日の十時をもって館山の沖合にいる敵艦隊に特攻せよという命令を読み上げている。 杉本軍曹は大戦を生き残った数少ないベテラン搭乗員だ。木更津の航空基地に配属されたのも、帝都を空襲するB29を迎撃するためだ。実際に何機も撃墜して、落下傘で脱出したB29搭乗員を捕まえるための山狩りに参加したこともある。 武勲はだれにも負けない。それなのに、なぜいまさら特攻を命じるのか。無駄死にではないのか。 指令室には、自分に優るとも劣らないベテラン搭乗員が並んでいる。だれもが一騎当千の若鷹たちで、航空学校で質の高い教育を受けてきている。生き残れば日本の復興に必ず役に立つ人材だ。 それを、目の前にいる合理主義者は、非合理にも無駄死にさせようとしている。 廣垣司令は隊員たちの不満の表情を読み取ったのか、ドスのきいた声を発した。 「どうも貴様らのなかに、死ぬのが怖くなったやつがいるようだな。おまえらそれでも日本男児か。英霊たちに恥ずかしくないのか」 廣垣司令は、精鋭たちに向かって、クククと侮蔑の籠った忍び笑いをした。 「臆病者のお前らのために、燃料タンクは満タンにしてやる。敵艦隊を見つけられなくても、6時間は大空で迷子になれるぞ」 侮辱にもほどがある。毎日が死と隣り合わせの搭乗員が、いまさら死を恐れるわけがない。命を惜しんでいるのは、上官から受けた命令を無批判に若者に押し付ける廣垣司令ではないのか。命令には唯唯諾諾と従うのが合理主義者なのか。 杉本軍曹は我慢の限界だった。横並びの列から一歩前に出る。 「廣垣司令。ひとつお願いがあります」 「なんだ、杉本。言ってみろ。特攻前だ。できることなら何でも叶えてやる」 「廣垣司令のことを、力のかぎり、殴らせてください。では、失礼いたします」 杉本は、返事を聞く間もなく廣垣司令のことを右から殴りつけた。おまけに左側からもう一発。 廣垣司令が床に転がる。廣垣司令は笑みを浮かべている。杉本軍曹は確信した。廣垣司令は狂った。この異常な状況に、合理主義者として耐えきれなかったのだ。もっとも、この戦争自体が、異常者たちが集団暴走したようなものなのだが。 杉本軍曹は、転がる廣垣司令を無視して、航空機の整備のために飛行場へと向かった。 廣垣司令は、方面軍参謀からきた命令に憤慨していた。 「明日の正午までに、B29搭乗員の捕虜を全員処刑しろ」 参謀は自己保身の塊のような男だ。捕虜を激しく尋問したことを連合軍に知られることを恐れているのだ。しかも、責任回避のために処刑を現場にやらせる徹底ぶりだ。いまごろ、参謀本部では証拠隠滅のために命令書を焼却しているかもしれない。 廣垣司令は、部下である搭乗員たちの顔を思い浮かべた。彼らはこの大戦を生き抜いてきただけに、技量だけでなく人間性も学業も優秀だ。彼らは戦時中に即席栽培された搭乗員とは違う。航空学校で物理、数学だけでなく英語もマスターしている。彼らは戦後日本の復興のために必要な人材だ。 だから廣垣司令は特攻を命じた。 明日の十時に出撃すれば、目標地点に到達するまでに戦争は終わる。彼らが飛行している間に捕虜を処刑すれば、戦争犯罪人として裁かれるのは廣垣司令だけだ。 それに、特攻を命じた地点に敵艦隊はいない。目標が発見できなければ、基地まで戻ってくるはずだ。 あとは搭乗員たちに殴られれば完璧だ。戦争犯罪人たる廣垣司令に反抗すれば、戦後の戦犯裁判でなによりの免罪符になる。 廣垣司令は勇者たちを挑発した。戦後に必要となる貴重な人材たちを侮辱した。 杉本が一歩前にでた。お願いがあります。そうだ、その調子だ。貴様の拳が、未来への通行券になるのだ。 廣垣司令は右頬に激しい痛みを感じた。次に左頬にも。 そうだ、それでいい。 廣垣司令は、胸の奥から湧き上がる喜びを抑えることができなかった。 #第34回どうぞ落選供養
- 島本貴広
今さらながらですが投稿いたします。最後というテーマでは暗くなるなと思い、明るい感じにしたかったんですがうまく行かず落ちがいまいちな(というか意味不明な)ものになってしまったかなと思います。 #小説でもどうぞ #第34回どうぞ落選供養 夕方のことだった。男子大学院生が人通りの少ない道を歩いていると物陰から白のジャンパー男が飛び出し倒れ込んできた。おどろいた院生は倒れた男の顔を恐るおそる覗き込んだ。顔は、まだ、若い。自分とはそこまで離れてなさそうだった。痛めたところがうずくのか苦悶の表情だ。 「だいじょうぶですか?」 「う、うるせえ」 乱暴な口調だ。男はゆっくりと起き上がるとよたよたと歩き始めた。左足を引きずっていて歩きにくそうだった。 「あの、病院とか行った方がいいと思いますよ」 「うるさい。ついてくるな」 「でも、その左足折れてませんか?」 「……折れてねえ」 その後も何度かやり取りを交わして病院へ行くよう説得を試みたが男はどこまでも頑なだった。もう構わない方がいいだろうか。そう思ったが院生は男のことを放っておけなかった。 「わかりました。じゃあ病院はいいです。その代わりに手当てだけはさせてください」 「はあ? だから良いって言ってるだろ」 「さすがにけがしてるひとをこのまま見捨てたら寝覚めが悪いです」 男はそう言われると、逡巡したあと「じゃあ」とだけつぶやいて院生についてきた。 院生の自宅マンションは男と出会った場所から五分ほどのところだった。たいしたことはできない。せいぜい男の顔や腕にできたすり傷にオキシドールで消毒しておおきめの絆創膏を貼り付けてやるくらいだ。折れているかもしれない左足はネットで調べた骨折時の応急手当てのやり方を見よう見まねで施した。 「だから別に折れてねえよ」 「折れてなくてもヒビが入ってるかもしれません。やっぱり病院まで送りますから」 「病院には行かねえよ」 「さっきからそれ、なんでなんですか?」 院生は叱る親のような口調で男に問い詰めた。 「保険証も金もないからな」と、男は目線をそらしてぼやくようにに答えた。 なるほど、もしかしたら無職のひとか。院生はそう納得した。 「あんた、法学部の大学生?」 男は院生の部屋を見渡していた。目線の先には参考書が詰まった本棚がある。 「法学部は卒業してます。いまはロースクールに行っていて」 「検察とか目指してるのか?」 「いえ、弁護士です」 そこまで聞くと男は無理やり立ち上がった。トイレかと思ったが、玄関の方へと向かっていく。 「じゃあな世話になった。ありがとうよ」 「え、どこいくんですか」 「帰る」 院生はあわてて引きとめた。 「だから、その引きずった足じゃ無理ですって」 「お前もしつこいな。余計なおせわだと……」 痛みが走ったのか男の言葉は途切れた。院生はその姿をみかねて「もう夜です。きょうは帰れないでしょうからここに泊まってください」と言った。 「正気か?」 男は信じられないと言った表情で院生を見つめた。 「はい。外も寒いですしね」 院生は窓の外を見るように部屋の方を振り返った。カーテンの隙間から見える外は暗い。すると男は無言のまま院生の横を通って部屋へと戻った。部屋の隅っこまで行くと、そこで何も言わず腰をおろしてそのままうつむいた。院生はそれをみてほっとした。 その晩はLサイズのピザをとってふたりで食べた。男はあまり手をつけなかったが、それでも何切れかは食べていた。 零時を周り、寝る時間となった。男は座っていた場所でそのまま寝ようとした。院生は毛布を一枚貸した。電気を消し、眠気が深まってきたときだった。男は突然、院生に尋ねた。 「お前、なんで弁護士になりたいんだ?」 「そうですね、やっぱり困って弱ってる人を助けたいからでしょうか」 「俺を助けたのも、それが理由か?」 「はい」 「そうか」 「ところで、あなたはなぜあんなところにいたのですか? けがはなぜしたんですか?」 院生の問いに、男は何も答えなかった。寝てしまったらしい。院生もそのまま目を閉じ眠った。 朝。うめき声が聞こえ、院生は飛び起きた。男の顔を見ると汗が吹き出していた。痛みが増したようだ。どうしようと思っていると、「おい」と男が声をかけてきた。 「寝る前の質問に答えてなかったな。俺はなずっと盗みをはたらいてきた。きのうも、民家に侵入して金を奪おうとしてたんだ」 院生はなにも言わず、男の目をじっと見た。男も院生から視線をはずさなかった。 「だれもいない時間を狙ったはずだが、なぜか住人がいてな。外まで逃げたが捕まって揉み合いになって、階段から落ちた」 「それでけがしたんですね」 「そうだ。ダサいよな」 痛み止めを渡すと男は一気に飲み込んだ。 「警察、行きましょう。逮捕されますが治療は受けられるはずです」 男はすっかり観念していたのか、院生の言葉に何度もうなずいていた。 男は警察に行く前にシャバで最後の飯を食いたいと言った。何が食べたいか聞くと「牛丼」と答えたので、近くにある牛丼屋で弁当を買ってきた。痛み止めがいくらか効いているのか、男の顔はおだやかだった。 特盛の牛丼を食べながら、男がぼそりとつぶやいた。 「俺もこれで最後。人生終わりだな」 それを聞いた院生は首を横に振った。 「なに言ってるんですか? 生きてる限りいくらでもやり直しは出来ますよ」 「バカ言うな」 「ほんとうですよ」 院生のやけに自信に満ちた言い方に男は思わず顔をほころばせた。 「……そうか、お前がそういうならそうなんだろうな」 その顔はとてもうれしそうだった。
- lemonade
「祭り」に出品した作品です。 ご感想や修正点などご返信欄からお気軽にご教示頂けたら嬉しいです。 よろしくお願い致します。 #小説でもどうぞ #第34回どうぞ落選供養 『城』 彼女はどうして自分の人生を軽く考えているのだろう。僕は何度も自問した。 彼女と出会ったのは大学の哲学のゼミだった。僕は何度か彼女と話すうちに彼女が同じ思想を学ぶ傾向にあり、同じ思想に興味がある事を知った。大学の哲学科は、各分野の学問を礎にしてその上に確立される存在だ。アインシュタインを学ぶ理系もいれば、フランス文学に親和性のある文系もいる。地域文化を研究する者も入れば、経済学から介入する者、政治学や精神分析学、時に医学から学ぶ者と様々だ。彼女とは履修する講義が被る事が多かったので、同じ方向の研究をしている事を知った時は、また同じ音楽も好きだと知った時は嬉しかった。 しかし彼女と僕はとても違った。同じ思想を学んでいても彼女は「Newton」を持ち歩いているような理系であり、数式や情報処理で物事を考える傾向にあり、感性の機微に触れる事が苦手なようだった。彼女も文系の僕に興味を持ち、おすすめの文学書を何度か尋ねた。しかしプルーストは苦手だったようだ。「何が書いてあるのかさっぱり分からなかった」らしい。それでもカフカの「城」は彼女の愛読書の一つになった。彼女は城の紋章のような絵を描きフォトショップで加工してワッペンを作り、「城の会」を創設した。メンバーは僕と彼女だけだったが、印刷会社に大量に発注したワッペンは学園祭で販売すると、独特なデザインがウケて高値で売れた。 彼女は僕からしたら若干エキセントリックに見えた。見た目は地味な方だし、なぜ奇抜な雰囲気があるのか分からなかったが、たまに雀荘に「偶然性を味方につける」と意気込んで行く所かもしれない。彼女は僕の事を「落ち着きがあって、優しい人」と表現してくれたが、彼女とは恋愛関係には全くなれそうになかった。 それどころか彼女とどうしようもない決裂が生じたのは、最も根本的な問題だった。例えばニーチェが、一方はナチスにもう一方はマルクスに受け継がれたように。 僕は日比谷公園にいた。思想を可視化するデモに参加するために。彼女を誘ったが来る気配はなく、彼女は新宿に出来た雀荘に行ってしまった。彼女は僕の活動にも共有していたはずの思想にも同調する事はなく、僕も彼女の没頭するエンターテイメントに興味はなかった。 大学卒業後、彼女は企業専属のホワイトハッカーとして仕事を始めた。そうかと思えば、何処の馬の骨とも分からない男といつの間にか結婚し子供までできていた。 それでいて僕にとって彼女を忘れることは中々難しい事だった。彼女は僕の思想は理解できても僕の活動は理解できない。しかし思想を誰よりも理解できるのだから活動も理解できるはずだ、と考えている自分は甘かった。インプットが同じでもアウトプットが同じだとは限らない。僕だってAIのような彼女を理解しがたい。彼女はいつも資本主義社会の中枢にいて、その余剰を謳歌しているように見えた。 しかし彼女を呼び出す方法が一つだけあった。「城」のワッペン画像を自分のSNSに流し込むだけだった。 彼女はつい昨日会った人のように僕の前に現れた。「久しぶり!呼んだ?」と。時を超えて再び現れた彼女。何気ない話題もまるで夢のような時間だった。そして彼女はしばらく会話をすると「またね!」と言って陸上選手のような軽快な走りで駅の方に走り去ってしまった。お互い時間の流れ方が違う。既婚者でもある彼女をどうすれば捉えられるのだろうかなどと僕は自問自答していた。 それから10年の時ばかりが瞬く間に過ぎていった。僕と彼女は時折会うことはあったが何の進展もなく、それでいて城の会は相変わらず僕と彼女のままだった。僕は大学に就職して多くの女性と出会いはあったが、独身のままでいた。今になって彼女が既婚者である事への壁、そして城の主人公のように彼女に辿り着こうとすればする程、辿り着けなくなる状況を僕はようやく悟り始めた。彼女はある時言った。「城」とは確率論を学ぶための有効な手段で、城に辿り着くという事は麻雀で「大三元」を出すようなものだと。 一度だけ日比谷公園を彼女と散歩がてら歩いた。その時の彼女の姿は、時にマグダラのマリアのように時にジャンヌ・ダルクのようにかわるがわる見えた。周りにはキラキラとダイヤモンドの星が降っていた。月も出ていない夜だった。
- 齊藤 想
#第34回どうぞ落選供養 400字原稿用紙5枚と思い込んで投稿してしまいました。手書き以外は2000字前後だったのですね。 スタッフの皆様にはご迷惑をおかけして申し訳ありません……。 <落選作> 『最終話』 齊藤想 現役プロデューサーは、ある種の感慨をもって会議室をを眺めていた。 国民的人気を誇った時代劇も、もうすぐ最終回を迎える。この国民的時代劇の最終回をどうまとめるのか。歴代のプロデューサーたちが会議室に呼ばれ、喧々諤々の議論を続けていた。 最初に口火を切ったのは、当番組の初代プロデューサーだ。定年退職して老人ホームで余生を過ごしていたが、この会議のために呼び出されたのだ。 初代は重々しく口を開く。 「最終回であるからには、熱心なファンからの疑問や質問に答える脚本としたい。それがファンへの礼儀であり、ドラマとしてあるべき姿だと思う」 ベテランの話は納得のいくものだった。さすがの観点だと、全員がうなずく。 「それで、うちの孫が聞くんだよ。なぜ、小柄なおじいちゃんが印籠を出しただけで、悪い人たちが土下座するのかって」 それを言ったらダメだろう。会議の流れが変な方向に進みそうになったので、現役プロデューサーが慌てて止めに入る。 「そこを考え出したら脚本はまとまりません。ファンは印籠のご威光に悪人がひれ伏す瞬間を楽しみにしているのですから」 「いや、そうとも言えぬぞ」 今度は四代目プロデューサーが発言する。 「ワシは印籠が見えない盲目の剣士を登場させたことがある。あの回は、放送後の反響がすごくてなあ」 反響と言っても悪評のほうだ。なにしろ、ご老公が印籠を出しているのに、悪人は「ワシにはそんなもの見えぬわ」と大暴れを続けて、主人公三人組を滅多打ちにしてしまうという伝説の回だ。 そもそも、四代目は国民的時代劇の視聴率を大幅に下げた戦犯だ。なぜ彼を会議に呼んだのだろうか。 続けて五代目が自信満々に立ち上がる。 「諸先輩方には申し訳ありませんが、いまの視聴者はもっとドライです。印籠に平伏する納得できる理由が必要です」 嫌な予感しかしない。五代目はお色気路線に舵を切り、僅かな新規ファンの獲得と引き換えに往年のファンを離れさせた、これまた戦犯のひとりだ。 「ご老公たちが”印籠に平伏すれば吉原に招待する”というビラを配っていたのはどうでしょう。ラストは歴代ヒロインが吉原に集まっての大宴会です」 長老たちが妙な盛り上がりを見せている。 「ほほほほ、それはいい」 「まさに目の保養ですなあ」 「もちろん衣装は露出が多めでのう」 現役プロデューサーは頭が痛くなってきた。時代錯誤もはなはだしい。コンプラ上の問題もありそうだ。その気配を悟ったのか、先代の女性プロデューサーが語気を荒げる。 「みなさん考えを改めてください。時代は変わったのです。これからのドラマは、世界同時配信を見据えないといけません。日本国内だけで勝負していてはダメなのです」 おおさすがだ。これは期待が持てる。 「まず主人公をトランスジェンダーのヴィーガンにします」 期待が瞬時にしぼんでいく。いったい彼女は何を言い出すのか。 「もちろん相棒の二人はボーイズ・ラブの関係にします。さらに越後屋もechigo-yaに改名して店主をアフリカ出身の黒人女性にします。これが多様性時代のドラマなのです」 もはや時代劇でもなんでもない。時代についていけない自分が悪いのか、それともこの会議室の空気が悪いのか。 そう迷っていたら、長老軍団が急に話を振ってきた。 「ところで、現役プロデューサーは印籠問題をどう解決するつもりなのかね」 現役はパニックになった。変な案ばかり聞かされてきて、思考がついていけない。 「そうですねえ。ご老公たち3人は、印籠を見せたら全てが解決する異世界に転生していたというのは、どうでしょうか」 会議室中の白い目が一斉に集まる。現役は空気に飲まれたことを悟った。もはや、この会議において発言権はないも同然だった。 このような調子で会議はダラダラと続き、ついに社長が立ち上がった。 「最終回をどうするかは、議論百出で決めがたい。よって時代劇は放送を延長して、最終回は来シーズン以降とする。なにしろ、国民的時代劇であるから中途半端な最終回は作れないからなあ」 社長の決断に、歴代のプロデューサーたちはほっと胸をなでおろした。 こうした理由で、某国民的時代劇はまれにみる長期シリーズになったという都市伝説がある。
- 石蕗
#第34回どうぞ落選供養 #小説でもどうぞ 過去作もOKとのことで、W版「友だち」に応募させていただいた拙作を供養させていただきます! (今読むと、テーマが添えるだけになっていてお恥ずかしいですが) ===== 【リップ・サービス】 「あたしね、好きな人できちゃったかも」 金曜夜の騒がしい店内でも、カナコの可憐な声はよく通った。 私たちの周りでは音の洪水が起こっていた。数年前に流行った邦楽が流れ、店員の元気な掛け声がそれをかき消している。 そして彼らに負けないくらい大きな声で、サラリーマンの集団が何やら語っていた。呂律は回っていない。隣の席の派手なマダム二人も、旦那の愚痴を飽きることなく喋り続けている。 しかし何故だか彼女たちは、時折ちらちらと私に視線を向ける。 居酒屋に若い娘が来るのがそんなに珍しいのだろうか。もしかすると七〇〇ミリリットル入りの巨大なジョッキでハイボールを飲んでいるからかも。あるいは、マダムたちみたいに串に刺された鶏肉を上品に箸で外してから食べず、山賊みたいに真横からかぶりついているから。 「ねえアヤコ、聞いてる? アヤコってば、お酒入ると黙り込むんだから」 カナコはため息を吐いた。聞いてる聞いてる。ちゃんと聞いてるよ。 「気になる人、ゼミの先輩なんだよね。ほら先週さ、卒論の中間発表のあと研究室で居残りしてたじゃん。アヤコ寝てたから知らないかもだけど、先輩が戻ってきてお喋りしたの」 何それ、聞いてない。ゼミの先輩って誰? 村岡さん? 「そう、村岡先輩。何で分かったの?」 だって私たちのことよく見てたから。カナコ目当てなんだろうなぁって、すぐに分かったよ。 「ええっ、そうなんだ。もしかして脈あり? 告白しちゃおうかなあ」 カナコの声は桃色を帯びた。私は唇を尖らせる。 裏切り者。他所に男をつくるなんて。おばあちゃんになるまで一緒に居て、一緒のお墓に入ろうって誓いあった仲なのに。 「誓いあった覚えはないけど……そんな話、したことあったっけ?」 ないよ。だって今言ったもん。 「もう、この酔っ払い。ねえ、告白しちゃっていいかな? アヤコはどう思う?」 そうだねえ。私は頬杖をついた。 村岡先輩のことを思い浮かべる。顔は中の上で、背は普通。口調は穏やかで、女遊びが激しいとかの噂は聞いたことがない。 たまにカナコを見つめる目には分かりやすい下心はなく、優しさに満ちている。誠実な人だ。あまり話したことはないのでシャイな性格なのだろう。今のところ好感度は高い。 高いのだけれど、私にとってカナコは長年連れ添った親友だ。友達は他にも居るけれどカナコとの付き合いがいちばん長い。わが妹のように可愛がっている。 どこの馬の骨とも知らぬ男に、カナコを易々とくれてやるつもりはない。 そう考えたとき、テーブルに置いてあったスマホが震えた。 覗き込んだ画面に表示されていたのは一件のメッセージだった。差出人は村岡先輩。噂をすればなんとやら、だ。 「これから他のゼミ生と飲みに行くから、もし興味があったら来ないかって。場所この近くなんだ。ええっ、行きたいなぁ」 カナコの嬉しそうな声といったら。すでに居酒屋でハイボール飲んでます、しかもジョッキですって返信してやろうか。 「ダメ! もう、意地悪しないで。ほらアヤコ、お手洗い行くよ。お化粧直さなきゃ」 可愛いカナコを易々くれてやるつもりはないけれど、まあ食事くらいならいいか。二人きりではないみたいだし。 カナコに急かされ、私は席を立った。 隣のマダム二人はこちらを見て、まだ何やらヒソヒソと話していた。 * お会計を先に済ませて化粧室に入る。バッグから化粧ポーチを取り出し、中に収まっている二つの口紅を指先で探った。 私はマットなベージュが好きだけれど、カナコはチェリーピンクを好む。仕方ないなあと思いながら、チェリーピンクを唇に引いた。 それから視線をゆっくりと上げて、鏡に映る姿を見つめる。 肩まで伸びた黒髪には光の輪が差し、頬は水蜜桃のよう。くるんと上を向いた長いまつげが、大きな目をふち取っている。 うん。今日も「カナコ」は、世界一可愛い。 「じゃあね。ほどほどに楽しみなよ?」 鏡の中の「カナコ」にそう告げて、私は眠りについた。 おしまい
- 公募ガイド編集部(友)
Kouboメルマガvol.183「それぞれの創作スタイルで」 こんにちは。編集部の(友)です。 うだるような暑さの日々が続いていますが、 みなさまいかがお過ごしでしょうか。 私は去年に引き続き、冷感グッズを駆使して どうにか過ごしております。 さて。 みなさま、「つくログ」をご利用いただいていますか? 「つくログ」はKoubo独自のSNSで、 創作や公募好きのみなさまが仲間と交流したり、 創作メモに使ったりしてもらえたらいいなという 思いを込めてつくった場所です。 まだまだ機能は発展途上。 ですが、現在「小説でもどうぞ」に 参加されたみなさんとの企画を開催中です!!! 詳細は↓にて。 創作は、どんな分野であっても孤独な作業です。 その上、プロや余程のレベルまで到達した人でない限り、 「私が書かなくても誰も困らないのに……」 という気持ちが湧いてくる人も多いのではないでしょうか。 少なくとも、私はそうです。 それでも、辞められない。 辞められないけど、書かなくてもいられたりする。 じゃあ辞めてしまえるんじゃないか。 でも……の繰り返し。 そういう気持ちが「わかる」、 さらに、励まし合えたり、やる気をもらえたりする、 「つくログ」はそういう人たちが集まるための場所です。 創作や公募への向き合い方は人それぞれなので、 それぞれが好きなようにこの場所を使い、 創作や公募に励む毎日がたのしく、 より自由になっていけば こんなにうれしいことはありません。 では、今回はこの辺で。 みなさま、今日も明日もあさっても、 素敵な公募・創作ライフを~!! ――INDEX――――――――― (1)メルマガ企画 編集部(友)の「とったるぞ、●●賞!」 (2)PR 松山市主催「第21回坊っちゃん文学賞」 作品募集中! (3)告知 つくログ 「#第34回どうぞ落選供養」 作品投稿イベント開催中 (4)おすすめ記事5選! 最近よく読まれているバックナンバー記事 TOP5 ――お知らせ――――――――― 【「公募ガイド2024年夏号」発売中!】 ◎特集「嘘(フィクション)とリアルの境界」 基本的に嘘の世界を作り上げるのが「創作」。 フェイクドキュメンタリーやパスティーシュ、 SCP財団などの魅力や構成を紐解きながら、 その面白さや「リアリティ」の秘訣に迫ります。 ▶いま引っ張りだこ! ホラー作家、梨さんに聞く SCP 財団の魅力&創作怪談の心得! ▶小説家、清水義範さん流、嘘なのに 「これってあるかも?」と思わせるテクニック ▶お茶の水女子大学基幹研究院准教授、橋本陽介先生の 「嘘だとわかっているのになぜフィクションを楽しめるのか」 など、興味深い内容が盛りだくさん! ストーリーを一流にする数々の「嘘」の手法。 創作者必見です! ◎連載 ・W選考委員版小説でもどうぞ 第9回選考会 高橋源一郎さん×江國香織さん 第10回募集開始 高橋源一郎さん×千早茜さん ・中村航選「プロットだけ大賞」 ・せきしろの自由律俳句添削 ・青くて、熱い。 創作テレビドラマ大賞受賞 森野マッシュさん https://koubo.jp/magazine/latest ■X(旧Twitter):@kouboguide ■Instagram:@kouboguidemama ////////////////////////////////// メルマガ企画 編集部(友)の「とったるぞ、●●賞!」 ////////////////////////////////// 第13回となる今回は、 賞を目指すみなさんの ①「創作における座右の銘」を募集しました。 さらに今回も、 ②「お題とかどうでもいいから、ちょっと聞いてよ」 という、なんでもいいから聞いてほしい愚痴、自慢、ぼやきも可。 【ベスト回答】 ☆ ①7回転んだら、7回起きあがればいい とりくん(56歳/愛知県) シンプルなこちらを今回はベスト回答にさせていただきました。 転ぶことすらしなければ起きることもないので、 まずは転ぶという行動をしている時点で偉い!!!です。 まずはみなさん、転びにいきましょう。 【次点回答】 ☆ ①シンプルに「楽しく」を座右の銘にしています。 創作を「楽しく」するための日々の学びを怠らず、 発見に敏感でいることを意識しています。 megumii(36歳/静岡県) これ、大切ですよね。 「楽しく」あろうとする心がけって、 実は相当な努力が必要な気がします。 ☆ ②アラサーに突入しちゃったけど、綺麗だよって言われた。 夏目わか(31歳/三重県) 美しさと若さはイコールではないですからね。 個人的には、アラサー以降に生き生きとする女性が周りに 多いように感じます。 これからもさらに輝いていきましょう。(アラフォーより) ■―――――――――― 次回の投稿企画は 編集部エビスの大喜利(第14回)です。 お題は 「『夏休み』『パソコン』『おじさん』を 全て使って、切ない短文を作ってください」 ベストな投稿をいただいた方には ちょっとした粗品を進呈します。 ↓詳細はこちら https://koubo.jp/contest/246310 ////////////////////////////////// [PR] 松山市主催「第21回坊っちゃん文学賞」 作品募集中! ///////////////////////////////// 松山市主催「第21回坊っちゃん文学賞」では、 4,000字以内のショートショート募集中! 締切:9月30日 賞金:大賞 50万円 https://bocchan-shortshort-matsuyama.jp/ //////////////////////////////////////// つくログ 「#第34回どうぞ落選供養」 作品投稿イベント開催中 //////////////////////////////////////// 「小説でもどうぞ」に関する情報発信や、 Kouboユーザーのみなさまとの交流機会をつくりたく、 「つくログ」の「小説でもどうぞ【公式】」アカウントを開設しました。 https://koubo.jp/tsukulog/profile/123492 現在、企画第1弾として8月1日に結果が発表された 第34回(お題:「最後」)に応募したけれど 落選してしまった作品を「つくログ」に投稿する、 「#第34回どうぞ落選供養」を開催中! 続々と作品が投稿されており、 感想も飛び交っております。 入選したいけれど、入選だけがすべてじゃない! 第34回に応募しなかった方も、 感想だけや自身の応募への意気込みも投稿できます。 ぜひのぞきに来てくださいね。 ↓企画はこちら #第34回どうぞ落選供養 //////////////////////////////////////// おすすめ記事5選! 最近よく読まれているバックナンバー記事 TOP5 //////////////////////////////////////// Kouboでは、公募情報のほかに 公募や創作に役立つ記事を多数発信中! 「バックナンバー」という記事は、 過去の雑誌の特集記事をWEB記事として公開したものです。 まだ読んでいない人は要チェックです! ◆第5位 世界文学があなたの小説を新しくする4: おすすめ海外文学20選 https://koubo.jp/article/26602 ◆第4位 誰でも一生に一冊小説が書ける。④: あなたに合った文学賞はどれ? https://koubo.jp/article/22576 ◆第3位 文学賞別傾向と対策4: 純文学系新人文学賞 傾向と対策 https://koubo.jp/article/25480 ◆第2位 エッセイを書く勘どころ⑦: エッセイの書き出しと終わり方の工夫 https://koubo.jp/article/22352 ◆第1位 詩を書こう①:超ビギナーのための詩作入門1 https://koubo.jp/article/23893 ほかにもまだまだたくさんあります! 「バックナンバー」が読めるページはこちらから。 https://koubo.jp/article/list/tag/463 #メルマガバックナンバー
- タカハシヒロナリ
#第34回どうぞ落選供養 入選できなかった作品が読め、とても参考になりました。 落選する理由として 1.テーマ軽視 2.話が落ちていない 3.仕組み(トリック)が先行し登場人物が仕組みを動かすだけになっている はなんとなく掴んでいましたが、 4.展開に無理がある 5.展開が弱い 6.話がわかりにくい もあるなと思いました。私も基本的に落選なので、どれかには該当しているわけですが。 「最後」テーマの私の作品ですが、「5」に該当するかなと思いました。あとは落ちも弱かったかも。ただ、この話の設定から無理のない展開できれいに落とすのは、今考えると難しく思います。そもそも設定が良くなかったのかもしれません。 タイトル:最後のファン ライブ後、レコード会社の社長に呼び出され、次のライブで客が十人入らなかったら解散だと告げられた。 おれたち三人はその足で居酒屋に向かい、黙って乾杯した。 「終わりだな、おれたち」おれは沈黙に耐えられず言った。 「今日は何人だった?」ドラムのマサヤが言った。 「五人」ベースのヒロトが言った。「次のライブで十人も入るわけない」 「どこで間違えたんだろうな」おれの言葉にマサヤが言った。「なにを?」 「おれたち、最初は違う音楽やってた。それを売れ線に変えたのは社長だ。なのに、売れてない」「だからって社長のせいに―」「わかってる。あの社長のもとで売れないならおれたちに問題があったんだ」 おれたちは黙り込んだ。すべてが手遅れだった。おれたちには次のライブしかなかった。 おれとヒロトとマサヤ、高校の同級生三人で結成したバンドは、バンドブームの助けもあって、運良くインディーズレーベルからデビューできた。おれたちを拾ってくれたレコード会社の社長、鹿野は有名なプロデューサーでもあり、音楽を売れ線を意識したものに変え、バンド名も「レイン」に変えた。 だが、デモテープを作り小さなライブハウスでライブを重ねたが、客は減る一方だった。毎日練習し、チケットも手売りした。だがだめだった。何かを決定的に間違え、もうそれは取り返しがつかなかった。そして今日、鹿野から最後通告が来た。 数日後、おれたちはスタジオに集まった。セットリスト通りに練習を始めしばらくたった頃、マサヤが言った。 「ちょっと提案があるんだけど」 おれとヒロトは手を止めてマサヤを見た。 「次で最後だよな、おれたち。考えたんだけど、最後なら好きなことやらないか」 「例えば?」 「デビューする前にやってた音楽だよ。おれ、正直あの時がバンドやってて一番楽しかった。デビューしてからは鹿野さんの言う通りやって、それは間違いじゃなかったと思うけど、やっぱりどこか楽しくなかったと言うか…」 「そうだな」おれは言った。「どうせ最後なら、好きなことやって終わるか」 「社長に怒られるぞ」ヒロトが言った。 「黙ってやればいい。どうせ契約解除なんだから」 「よし、セットリストも変えよう」マサヤが言った。 それからおれたちは昔の曲でセットリストを作り、リハーサルした。楽しかった。バンドをはじめた時の初期衝動が体に蘇ってきて、そうだ、これだ、とおれは思った。バンドをはじめた時、おれはずっとこんな気持だった。なにかが新しくはじまるような、眩しい朝日を見ているような。 ライブ直前、おれたちはライブハウスの通路に置かれたベンチに座って始まるのを待っていた。チケットが何枚はけたのかは聞いていない。ライブ告知はいつも通りで「レイン」の解散ライブとは銘打っていないが、むしろ解散ライブとしたほうが客は入ったかもな―おれは自虐的にそう考えた。 「出番だ」ライブハウスの支配人がおれたちを呼んだ。お互いに言葉を交わすことなく、おれたちはステージに出た。 ステージは眩しく、客席は暗い。おれは目を細めて客席を見た。 客はひとりだった。三十人ほど入るスタンディングの会場に、ひとりだけぽつりと立っている。二十代くらいの女性で、所在なさげに手すりを掴んでいた。 おれはヒロトとマサヤと目配せし、たったひとりの客に向き直った。客席の端のほうに鹿野の姿が見える。腕を組んで壁に寄りかかっている。 「えー…、今日はレインのライブに来てくれてありがとう。短いですが、最後まで楽しんでください」 ライブに来てくれる客はほとんど顔を覚えているが、この女性に見覚えはなかった。あまり来ないのかもしれない。最後の客がそんな客とは皮肉なものだった。 「それで…」おれは鹿野の顔を見て、決心した。「実は、レインのライブはこれで最後です。今日をもっておれたち解散します。なんで、最後は自分たちの好きな音楽やります。デビュー前、この三人で初めてやった感じで」 マサヤがカウントを始めた。ヒロトのベースのアタック音が響き、おれはギターを鳴らし歌った。 最後の音が空中に吸い込まれると、一瞬沈黙が漂った。女性は目を丸くしていたが、突然拍手した。大きな拍手ががらんとした会場に響く。 「すごい!すごくよかった!!」 「あ、どうも…」 「あの、今日初めて来たんですけど、すごくいいですね!次のライブはいつですか?」 「ちょっと待って。初めて来たの?」 「はい」女性はあっけらかんと言った。「友だちにドタキャンされて、時間が空いたんで」女性は続けた。「それで次のライブは?」 「あー、最初に言ったけど、今日でおれたち解散なんです」「うそ。曲、すごく良かったのに」 「ありがとう。実はいつもやってる曲とは違って―」鹿野の顔が目に入る。暗くて表情は読めない。「デビューするまではこういう曲やってたんだ。『リバー』ってバンド名で」 「絶対今のほうがいいですよ。人気出ます。続けたほうがいいです」 おれは今度こそ鹿野をしっかりと見た。鹿野は肩をすくめると会場を出ていった。 おれはヒロトとマサヤを見た。ふたりもどうしたら良いかわからないようだったが、目は輝いていた。おれは女性を振り返った。 「じゃあ、レインは解散しますが、リバー再結成です。どうなるかわかんないけど」 「良いと思います!じゃあ、私がリバーの最初のファンってことで」 女性が笑った。
- 香車伝(きょうしゃでん)
#第34回どうぞ落選供養 はじめまして。「第32回 選択」(2024年3月)より投稿させていただいております。昨年亡くなった叔母が数年前に入院していて、見舞いに行った実在の病院をテーマにしました。太宰治が山崎富栄と玉川上水に身を投げた前日、太宰が実際に訪れた史実をもとに、脚色して書きました。タイトルにある岩槻新道とは旧国道16号線です。 タイトル「岩槻新道沿いの病院」 (最初に大宮に来た時、駅から五分も歩かないうちに疲れちまって、中山道沿いの務台病院で点滴を打ってもらったな……。富栄と古田さんに付き添われて。たった一ヶ月前のことなのに、もう何年も経っちまったような気がする……) 一九四八年(昭和二十三年)六月十二日の昼過ぎ。国鉄大宮駅東口の改札を出た津島修治は、そんな感慨に浸っていた。上は白いワイシャツ、下はグレーのズボンに下駄姿の修治は、東口の狭いながらも人通りの多い商店街を三分程歩いて中山道に出た。そこには北側の商店街、東側の中山道に挟まれた務台病院があった。大宮駅東口の南側には、まだ明るいうちから営業していて酒が飲める「いづみや」という居酒屋があったが、酒好きの修治も、さすがに要件を済ませる前に、独りで立ち寄ろうとは思わなかった。 中山道を渡った修治は、さらに狭い路地を東方向に歩き、一の宮通りに入った。一の宮の〝宮〟とは「武蔵一の宮氷川大社」のことだ。四月二十九日から五月十二日までの二週間、ここ大宮の大門町で生活していた修治は、寄寓させてくれた小野澤清澄に挨拶をする前に、古田晁と話をする必要があった。そのため、古田が仮住まいしている、岩槻新道沿いの宇治病院に向かって歩いた。古田晁は筑摩書房の社長だ。古田の細君のと志は、宇治病院の院長である宇治田積(昭和十二年からの三年間に大宮町長を歴任)の細君である義子の妹だ。筑摩書房の経営は厳しく、古田は妻子を長野県の郷里に住まわせて単身、ここ大宮の宇治病院に仮住まいしていたのだ。 津島修治(筆名は太宰治)は流行作家だ。そして筑摩書房社長の古田は、修治の自伝的小説『人間失格』執筆に最適な環境の確保に骨を折っていた。当初、古田が用意した熱海で『人間失格』の執筆を始めた修治だったが、小説『斜陽』のモデルでもあった愛人の太田静子の住む家と近かったことから、新しい愛人の山崎富栄に嫉妬され、やっとのことで古田が見つけてくれた執筆場所が大宮だった。 古田は大宮の天婦羅屋「天清」の主人である小野澤清澄に、大門町の小野澤宅を修治と富栄の寓居としてほしいと懇願、小野澤宅の二階、八畳と三畳の部屋を修治の仕事場とさせてもらう許諾を得た。結核と不眠症に苦しんでいた修治にとって、小野澤宅から徒歩五分もかからない宇治病院へ通院できたことも幸いだった。 小野澤宅での『人間失格』執筆は順調に進んだ。毎朝九時頃に起床して食事。十一時頃から執筆を始め、午後三時か四時ごろには筆を置き、夕食時の酒を嗜む。修治と富栄の食事の世話は、小野澤の姪で十八歳の女学生、藤縄の担当だった。風呂はすぐ近くの氷川神社参道に面した「松の湯」に通った。氷川参道には数多くの闇市が軒を並べており、風呂上がりの修治は闇市の一軒一軒を覗くことが好きだった。 修治は、大宮・大門町での執筆生活がとても心地良かったことを、美知子夫人への手紙に記していた。小野澤宅と宇治病院との間の一の宮通り沿いには、大西屋酒店がある。酒好きの修治が立ち寄らないはずがなかった。一の宮通りと岩槻新道が交わる手前のポストで修治は美知子夫人宛の二通の手紙を投函した。ときには大宮駅近くの映画館に足を運んだことはあったものの、修治が過ごした二週間の〝生活圏〟は大門町だった。後年、藤縄は『人間失格』脱稿を喜んだ修治の顔を「印象的で忘れられない」と述べている。 宇治病院を訪れた修治は、母屋の縁側でその後、二代目院長となった宇治達郎と妹の節子と顔を合わせた。達郎は修治よりも十歳若い二十九歳、節子は二十六歳だった。 「そうですか……、古田さんは長野に帰られて、ご不在ですか……」 落胆する修治を節子はこう慰めた。 「予定では明日にはお帰りになられるそうです。先生、今日はこちらにお泊りになるわけにはいきませんでしょうか?」 「いや、また来ます。古田さんがお帰りになられましたら、宜しくお伝えください」 宇治病院を辞してから小野澤宅に寄り、家人に小説『グッド・バイ』執筆の難航をぼやいた修治は、三鷹へ帰っていった。 翌六月十三日、太宰治こと津島修治は、愛人の山崎富栄とともに玉川上水に身を投げた。 六月十四日、宇治病院へ帰ってきた古田は、もし自分が修治と会えていたら心中は防げたのではないかと、只々悔やむしかなかった。 東京帝国大学医学部を出て、軍医候補生として中国に従軍し復員後、東大病院で胃カメラの開発に着手していた宇治達郎は、三年後に世界初の胃カメラの学位論文を書いた後、宇治病院の院長を継ぐことになる。 「兄さん、もし一昨日(おととい)、先生と古田さんがお会いできていれば、あんな悲劇は起きなかったでしょうか?」 「どうかな? たとえ、一昨日(おととい)、あんなことにならなくても、先生は孤独から逃れられなかっただろうね。先生は生まれてからずっと、家族と周囲の人々に依存せざるを得ない人生を歩まれてきた。依存しても決して充足することができないのが人間だ。だから人に依存すればするほど、コミュニケーションに絶望し、孤独の渦に飲まれていく。コミュニケーションのギャップを埋めようする絶望的な試みが心中だ。先生は少なくとも二回は心中を試みていた。内科医で専門外の私にはそれ以上の推測はできないが……」 参考ウェブサイト①:太宰が住んだ大宮 トップページ (ninja-web.net) 参考ウェブサイト②:宇治 達郎(ウジ タツロウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)
- 水口芙海
#第34回どうぞ落選供養 「激動期のまみ」 教師ってやつらが一体何を根拠にあんなにふんぞりかえっていられるのか、わからない。わかりたくもないくらい。授業中のけだるい静けさや休憩時間のざわめきの前、10センチもないくらいの教壇の上に立つ物理的な高さが奇妙な勘違いを生んでいるのだろうか。 現代文の授業が始まり、教師が授業を始める。 「えぇっと、僕が驚いたのはココの正答率が非常に低かったことですね。泰然自若。わからないかぁ。うーん……」 その口調が思い上がった精神を際立たせ、絶妙にイラつく。そんなの生活のどこで触れて誰が使おうって思うのよ。 「哀しき泰然自若」 メモに書いて後ろの席に回す。まみがさらさらと返事を書いている気配がする。 「傍若無人でさえある。偉い。体を張った四字熟語講座、忘れない」 それでも、私たちはかなりまじめなほう。授業に対しても、くだらない教師たちに対しても。 「帰りマックでシェイク飲も」また紙切れを回すと、 「OK」すぐに返事が返ってきた。 校門を出て急な上り坂を見上げる私たちの姿は、少しでも俯瞰的に見ればちっぽけだろう。白い靴下はふくらはぎにすいつき、足先がローファーの中で蒸れている。私の足は球体的。まみの足はか細い。初夏の青空には、入道雲の予感を漂わせた立体的な雲が浮かんでいる。 「今日も元気にのぼろーかー」 「のぼろーねー」 最近流行りのあほらしい歌をうたいながら登り始める。 ヨーグルト味のマックシェイクはおいしくてときめく。まだ冷えていてなかなか吸い上げられないらしいまみは頬っぺたをへこませて苦戦している。肉のない顔がげっそりして見えるのに、なんだかかわいらしいなと思う。そんなことをのほほんと言っていられない事情が彼女にはあるのに。盗み見のような気分でちらっと見やると、目が合った。どちらからともなく大げさに目をむいて見せる。まみはすぐに真面目な顔に戻り、 「私、数学のT(注:teacher)が好きみたい」 と呟いた。 「ふむ」間の抜けた反応をしてしまう。 数学の教師の名前は吉田。どこかのヨガ講師みたいに凛とした脱力感が印象的で、教師にしては好印象であるのは確かだった。多くの教師がそれぞれのうそくさい喋り方を活かして授業をするのとは対照的に、いつまでもどこか慣れ切らない雰囲気のするつかみどころのない感じの教師だ。まみはこの前職員室の前で吉田とぶつかったらしい。それで、まみは廊下に、先生は職員室のなかに「吹っ飛んだ」らしい。まみは尻もちをついて、もしかしたらパンツもちょっと見えたかもしれない、と恥ずかしそうに言った。先生はこけるところまでは行かず、そっとまみのほうにやって来て「びっくりしたね」と言ったそうだ。 私はその話を聞いて咄嗟に、彼は変態的なプレイボーイかもしれないと訝しんだけれど、まみはそんなこと微塵も思わなかったようで、同じだけ「吹っ飛んだ」ことと、「個人的なやりとりができた感触」が嬉しかったと言って照れた。ハーフアップにした髪の毛が、九〇度の角度で座っている私にもはっきり見えるほどに俯いている。この子恋愛で苦労していくタイプかもしれない、と、誰かを想ったことのない私でも思った。 こうやって、人は、くだらない相手へ熱心な視線を向けることを忘れていくのかもしれない、と思った。趣味は人間観察、とか言って、それが、斜に構えたかっこいい行いであるかのように頷き合ったまみは、私よりいくらか先に、女性へと変化を遂げていこうとしている。 くだらない教師たちなんかじゃなく、恋に落ちた相手の一挙手一投足に何かを見出して、そこから繊細な感性や緻密な洞察を育んでいくようになるんだろう。 寂しいな、と思った。それで、 「寂しいな」と呟いた。 「どうしたの。」びっくりしたような顔で訊かれる。 親友が違う世界観へと足を踏み出してしまった寂しさを彼女に伝えるつもりはなかったのに、どうして余計な一言を口に出してしまったのか、すぐに後悔して、 「夏が始まったら、なんかさー」とくさい感じで取り繕う。 高校二年生、青春真っ盛り。どんな夏が始まるんだろう。家ではほとんどご飯を食べていないらしく、やせ細っていくまみを、冬頃から見守ってきた。私といるときだけは、おいしそうに食べ飲みする。その詳細な理由を彼女は語らない。だから私も聞かない。自分の心の中を誰かにさらけ出すことが簡単にできるのなら、拒食症になんてならないだろうと思う。だけど、とも思うのだ。率直に、何でもない事かのように、大事なことについて語り合えたらどれだけ良いんだろうって。海外映画の登場人物たちが、深刻な話をカジュアルに交し合うのをみたりしていると、まみと、こんなふうになれたらどれだけ良いだろうと憧れたりもする。 何が苦しいの、どんなことを考えているの、家で何があった? いつかの思い出がまだ燻っているの? 「柔らかくなってきたわ」 色のない頬にしわをよせてにっこり笑って、まみはマックシェイクを吸い上げる。 (完)
- 夢追いBと
#第34回どうぞ落選供養 #小説でもどうぞ Kouboさんからメールいただき今回の企画に投稿させて頂きます。 第22回「小説でもどうぞ」 募集の課題「祭り」に応募した短編小説です。 ________ タイトル 「心の祭り」 「今度は祭りにしようと思って」 Aくんはアゴにマスクを引っ掛けて、コンビニで買ったジュースにアルコールを入れたような類の缶酎ハイアルコール度9%500mlを飲みながら言った。 2023年5月9日13時晴れ、僕たち二人は公園の仕切りのついてないタイプのベンチに座って今度アップする動画の内容について打ち合わせをしていた。 「え、どういうこと?お祭り?」 僕は聞き返した。 「こないださ、春樹の新しいやつ紹介したじゃん、あれ再生回数よかったじゃん」 「まあね」 僕たちは小説のあらすじを紹介したり批評したりするYouTubeチャンネルをやっている純文学系ユーチューバーなのだ。 「今度はさ、もっと再生回数あげたくて祭りにしたくって、再生回数爆上げカーニバルまつり」 「Aくん、そういうのこだわらないって言ってたよね、回数どうでもいいって、はじめ」 「春樹のが良かったから、欲でてきて、たまにはいいかなって思えてきて」 「そうか、でも何をとりあげるの?」 「”美しい顔”って小説あったじゃん、あれ」 「え、それ普通だよね、新人賞受賞作品紹介シリーズの流れでしょ、祭りになるかな」 「いや普通じゃないよ、盗作問題でもめたじゃん」 「ポイントそこなんだ、それ趣味悪いよ、炎上狙いなんだ、面白くないよ、それに話題としても古いし」 「いや結構マジメに批評しようと思って、だから炎上狙いとは違う。あとね、”美しい私の顔”って小説もあるじゃん、それと絡めようと思って」 「え?どういうこと?なんの関係があるの?」 「いやタイトルが似てるから、どっちも同じ賞とってるじゃん」 ・「美しい顔」2018年第61回群像新人文学賞を受賞。北条 裕子著 ・「美しい私の顔」2011年第54回群像新人文学賞受賞。 中納直子著 「ギャグのネタにするってこと?」 「いや結構マジメに比較して批評しようと思って、タイトルを盗作してるんじゃないかって」 「いやいやいや、それはアカンやつでしょ不謹慎だよ。俺両方読んでるけど、全然関係ないよ、盗作したのは震災のノンフィクションでしょ、あとさ百歩譲って不謹慎はおいといても、あらすじを一冊づつ紹介するならまだしも、二冊いっぺんに紹介して、その関連性だと難しいよ」 「いや知ってるよ、俺もどっちも読んだけど、何か通底するものがあるんじゃないかと思って、」 「いや、それはないよ、難しいんじゃないかな~」 「ルッキズムだと思うんだよね、美しい顔というタイトルも、作者の顔出しの仕方も含めて、あと不謹慎っていうけど2冊とも現実に存在する本でタイトルに被りがあるのは事実、あと小説は虚構だからどういう風に解釈してもいいじゃん」 「酔ってるんじゃないの」 Aくんは2本目のアルコール度7%のコーラ味の缶酎ハイ500mlを飲み始めた。 「酔ってないよ」 「まあでも、あと、この二冊の小説のこと知らないとさ、見てる人が楽しめないよね」 「いや、だから紹介するんでしょ、あらすじをさ、俺たち、そのためにやってるじゃん、読んでない人に向けて純文学チャンネルを」 「わっかた、わかった、じゃあ再来週の日曜撮影しよう、それまでに大まかな原稿書いてできたらメールしてよ」 「了解了解」 Aくんはニコニコしながら2本目を飲み干したのち、ベンチの横に立てかけていた自転車にヒョイと飛び乗って帰っていった。 あれ、酒飲んで自転車乗ったらダメなんじゃなかったけ?僕は家に帰るためにトボトボ歩いて駅に向かった。 再生回数爆上げまつりだって言っていたけど、公園で昼間から酒飲んで、今日という日がAくんにとっての心の中の祭の日だったのかもしれない、と僕は思った。 ________________
- みぞれ
#第34回どうぞ落選供養 第34回に応募していませんが、過去の落選作品を供養します。反省を踏まえて書き直しました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『宛先』(お題:トリック) 繁忙期の半ばを迎えた早朝に異変は起きた。体の節々に拭いきれない疲れを感じながら、勤務先の公認会計士事務所に出勤した。 フリーデスクに空席を見つけ、席に座った。背伸びをすると、パソコンを起動させた。メールの確認を始めると、三歳年下の藤堂先輩からメールが届いていた。 「現時点で、確認状に関する業務を私が担当しておりますが、業務を引き継いで頂ければと存じます。適宜メールを共有しておりましたため、業務内容についてはご存じかとは思いますが、ご不明点等ございましたら、お気軽にご連絡下さい。お忙しいところ恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします」 メールを読み終えると、舌打ちをした。ひ弱で頼りなさそうな優男が、脳裏に浮かんだ。 メールを見返すと、チームリーダーである大島さんも、メールの宛先に入っていた。スマートフォンを手に取ると、迷いなく大島さんに電話をした。 電話が繋がるまでの時間が永遠に続くように感じた。寝ぼけた声が、「はい、大島です」と名乗った。俺は、早口で捲し立てた。 「先ほどの藤堂さんからのメールをご覧になりましたか」 「おう、俺も見たよ。もともと確認状は高坂君の担当じゃなかったっけ」 「忙しかったんで、藤堂さんに引き取ってもらったんです」 「高坂君より年次の高い藤堂君のほうが忙しいだろうに。高坂君の作業まで引き取るなんて、藤堂君は優しいな」 大島さんの口調には、同情が込められていた。スマートフォンを強く握りしめた。語気を強め、自分の正当性を主張した。 「繁忙期の真っ只中に業務を返されても、困ります」 「分かった、分かった。藤堂君に電話してみるから、少し待ってくれる?」 家庭持ちで十歳年上の大島さんの力強い言葉に、胸を撫で下ろした。 やはり上司や先輩と呼ぶべき存在は、周囲の状況を俯瞰できるような、年上であるべきだ。 落ち着きを取り戻し、未読で溢れかえっているメールボックスの確認を再開した。全てのメールの確認を終え切れていない中、早くも五分後に大島さんから電話が架かってきた。 「藤堂君に電話して事情を聞いてみた。単刀直入に言うと、藤堂君から業務を引き継いでくれないか」 「何でですか。今からなんて、迷惑ですよ」 「高坂君、君は半年前から理由もなく、藤堂君からの仕事の依頼を断って、逃げていたそうだね」 「逃げてなんかいませんよ」 「高坂君さ、いつも定時過ぎに上がっているよね。仕事を片付けてくれるんだったら、早くに上がっても、全く問題ないと思っている。だけど、藤堂君は、高坂君がすべき仕事を片付けるために、日付が変わっても、毎日仕事をしていたそうだよ。藤堂君のほうが先輩である分、普段から、難易度の高い業務をこなして忙しいんだよ」 信頼していた大島さんの裏切りに、沸々と怒りが湧き、腑が煮え繰り返った。 「今日中に引き継ぎのミーティングをオンラインですると聞いたから、適切に業務を引き継ぐように。よろしく」 電話の切れる無情な音がした。メールボックスに新着メールが届いた。 藤堂先輩から引き継ぎのミーティングの会議招集が届いていた。「承諾」を押そうとしたが、藤堂先輩の顔を思い出し、「仮承諾」を押した。ミーティング中に、パソコンの画面上に現れた藤堂先輩の顔は、いつも通り、気弱で頼りさそうだった。 翌日から、チームメンバーの俺に対する態度が、腫れ物に触るような態度になった。繁忙期の後半に差しかかった頃には、他のチームでも、俺に警戒の眼差しが向けられるようになった。 ようやく繁忙期が明けた打ち上げの夜。仕事の都合で少し遅れて打ち上げの会場に到着した。半個室から大島さんと藤堂先輩の声が聞こえてきた。 「それにしても、大変だったな。後輩からの逆パワハラみたいなもんだろう?」 「正直、僕も腹を立てていましたが、高坂君も忙しそうでしたから」 「もっと早く俺に相談してくれれば良かったんだよ。俺は新卒からの働きぶりをみて、藤堂君を信頼してるんだから。それにしても、高坂君の年齢蔑視は資格社会の中では致命的だな」 半個室に入れないまま、耳をすましていた俺は、鳥肌が立った。 藤堂先輩が仕掛けたトリックに、ようやく気付いた。 何故、態々、メールの宛先に大島さんを入れたのか。チームの監督者に状況を共有するためではなかった。 大島さんが、俺より藤堂先輩の言葉を信じると確信した上で、藤堂先輩は賭けに出た。藤堂先輩は、冷静に俺を観察し、俺が大島さんに電話をすると予測し、勝利した。 半個室に足を踏み入れた。酒が入り陽気に笑い合っていたチームメンバーの顔から、感情が失せた。空席を探すと、藤堂先輩の隣しか空いていなかった。 黙って藤堂先輩の隣に腰掛けた。藤堂先輩が俺に対して笑みを浮かべた。 「繁忙期も終わりつつある中、お忙しいなんて、今日は何かハプニングでも起こったんですか」 藤堂先輩の人畜無害な笑顔が、急に恐ろしくなった。(了)
- 蔓紫
#第34回どうぞ落選供養 新参者かつ文学に疎い人間ながら、楽しませていただいております……! ちがう分野ですが私もがんばろう……。
- 村山 健壱
#第34回どうぞ落選供養 実は2022年3月から落選を続けている村山です。 「供養」というのが適切か分かりませんが(そう使われてるのは知っています)、それもずっとNOVELDAYSというサイトの方でやり続けています。 今回の企画としてそぐわないかもしれませんが、そこのページへのリンクを貼ります。 あしあと|第37話 カゲさん(テーマ「最後」2024年5月)|NOVEL DAYS (daysneo.com) *うまく行かない場合は「プロフィール」のリンクからお願いします* 入選作以外も拝読できるのは嬉しいですね。 頑張っていきましょう! よろしくお願いいたします。
- 沙也加
#第34回どうぞ落選供養 今回は夏バテもあって応募できなかったのですが、 皆様の作品投稿を拝読していると次回は応募したいと思いました! 次回応募予定の方と励まし合いながらチャレンジしたいです。
- 休日2-D2
#第34回どうぞ落選供養 「なんとなくアイデアもわいたし、応募してみよう!」と思って書き始めたものの、全然話が膨らまず、400字にも満たないところでギブアップ…😢 もうすこし展開も考えてから書き出せばよかったのかな…話のどこをどう膨らませばよかったんだろう😢 次回は書きあげて応募したいです!🔥 「あとの祭り」 「ただいまより、押舞(おしまい)中学校、最後の体育祭を開始します。」生徒会長の西郷の声がグラウンドに響く。 ド田舎の過疎地域にある押舞市に中学校教師として赴任してきて早5年、ついにこの日が来てしまった。今いる生徒は5人。3年生が4人と2年生が1人。唯一の2年生で生徒会長を務める西郷は、来年からは隣町のもうちょっと栄えた中学に転入することが決まっている。 「最後の体育祭ということで、すべての競技のポイントが10万倍となります。」 俺は耳を疑った。なんの意味があるんだ。クイズコーナーとかで、「最終問題なので10万点」みたいなのは聞いたことがあるが、全競技のポイントを10万倍にしてどうなる。そんな俺の心配をよそに、体育祭は行われた。 最終的には人数の多さが幸いし、150万対3210万で3年生チームが勝利。綱引きなんて本当に見ていられなかった。
- RUN
はじめまして。お目汚し失礼します…… #第34回どうぞ落選供養 『ラストチャンスデイズ』 「はい、ストーーーーーップ」 男の声とともに、すべてが止まった。何が起きている? 人々が行き交うビジネス街の交差点。突然の眩しさに目を閉じかけたところだった。 世界の色が一変した。 「ひとりが死ぬはずだった事故なんだけど、運命のいたずらか君のよくわからない行動のせいで……」 男は渡辺由布子を見た。 「……このままいくとふたりとも死んでしまうことになりました。それはちょっと困るので、どちらが死ぬか、これから決めてもらいます」 動いているのは、男と渡辺と、もうひとり。渡辺と同年代の女性がいた。男はふたりに日本刀が渡す。 ふたりは自然な動きで受け取った。 「懐かしい」 「……さすがに本物はちょっと重い」 「ね。そういえば、久しぶりって声かけようとしてたんだ、久しぶり芝さん」 渡辺由布子と、もうひとりの女性、志波依里香。ふたりは高校の同級生だった。 「これで何すればいいの」 「どっちが生き残るか、必要であれば戦ってもらえればと」 「どっちかは死ぬってこと?」 「はい」 渡辺と志波は顔を見合わせる。 「まぁ、べつに、志波ちゃんが残ってくれていいよ、私」 志波は怪訝そうに渡辺を見る。 「志波ちゃん、子どもいるって聞いたよ。結婚もしたんだね、おめでとう」 「……結婚はしてないけどね。渡辺さんは?」 「あー……まぁ、ふつうに独身」 「へぇ、意外」 「え、そお?」 「20代で結婚して子ども産んでるかと思ってた」 「いや、志波ちゃん私のことなんか今日まで思い出してなかったでしょ」 「まぁ」 「正直~変わってない~」 「まぁ、人生わりとなんとでもなるし、やりたいことやってたらわりと一人でも楽しいし、っていうか人間関係めんどくさいなって思っていまに至る」 「昔も上手くやってるぶってたけどあんま上手くなかったよね、人間関係」 「志波ちゃんのせいで自覚したんですよ。……そのあともわりと時間はかかって納得した感じではあるけど」 「生きづらそうだな、とは思ってた」 「そうなんだよ、私、生きづらいのよ」 男が割って入ってくる。 「実はあんまり時間なくて、早めに決めてもらいたいんだけど。だいたいこういう時ってけっこう殺伐としたバトルが繰り広げられるんですけどね……」 「あとどのくらい?」 「30分くらいで」 ふたりは通りに面していたカフェに入った。相変わらず世界はふたりと男以外は止まっていて、風ひとつ吹いていない。時が止まると、大都会の真ん中でもこんなに静かなのかと渡辺は妙に冷静に思った。 「志波ちゃん、子どもにも剣道習わせようとか思ってるの?っていうか、いまいくつ?」 カフェにいるひとたちも、コーヒーマシーンもすべて止まっていて、トレーに置かれたばかりのアイスコーヒーのカップの結露がつーっと落ちて敷かれたチラシを濡らしている。 そのアイスコーヒーをふたつ、空いた席に渡辺は持ってきて、座った。志波も向かいに座る。 「5歳。……ねぇ、これ、どっちかは必ず死ぬってことで合ってる?」 後半を男に向けて言う。 「そうっす」 「まぁ、じゃあいいか」 「ごめん、もともとそんなに仲良くないのにズケズケ聞いてしまった」 「性格は変わらないもんだしね。剣道させるかはわからない。娘、父親と暮らしてるから」 「……ごめん」 「娘にはその方が良さそうだったから、べつに」 「ほんと私、嫌な奴だね」 「そうやってこっちに言ってくる感じはちょっとね。そんなことないよって言ってほしいみたいでうざい」 「ごめん」 「渡辺さんは?」 「いまは商社で働いてるよ」 「……」 「……」 「……ふと思うんだよね。今日死んでもあんまり後悔ないなって。卑屈な感じじゃなく」 「わかる」 「娘さんいるのに?」 「……こんなこと言うのよくないけど、子どもがすべてってことでもないし。かわいいけどね」 「生き甲斐ができていいなぁと思ってた。そっか」 「そういう人もいるんだろうけどね」 「あと10分でお願いします~」 「はいはい、うるさいな」 「これ、どっちも死んだらどうなるの?」 「僕の評価が落ちますね」 「え、世界のバランスが崩れて地球がおわる~~~とかないの?」 「アメリカ大統領とかでも人によるレベルでそこまでの影響はないっす」 「そんなもんなんだ」 「志波ちゃん、いいよ、私が逝くから」 「私もけっこう後悔ないんだよね。もともとあんま人生楽しむタイプでもないし」 「剣道、燃えてたじゃん!?」 「まぁ剣道は楽しかったよ。私、強かったし」 「強かったね」 「渡辺さんも上手かったよ。なんか熱血ぶってるのはめんどくさかったけど」 「だって高校の部活は青春じゃん!」 「巻き込まれてうざかったけど、あれはあれで悪くなかったかな」 「ああいうのも、あのときしか体験できないことだったねぇ」 「あんまり後悔ないって、いい人生だったってことかもね」 「たいして何もトピックないけど」 「私は種は残せたし」 「そういうこと思うタイプだったんだね……!」 「最後ってみんなこうなのかね? 案外面白かったわ」 「よし、いくか」 男はうなだれて歩きはじめた。ふたりはあとについて行く。 「殺し合いしないし、評価下がるし最悪……」 「ねぇあんたって何なの?」 「死神だよ!!!」 「へぇ、ほんとにいるんだ」 パチンッ。 車の急ブレーキの音と、人々の悲鳴、街が再び動き出した。
- はそやm
#第34回どうぞ落選供養 先ほどは初めての投稿のため本文を貼り付け忘れました。 ひねりもアイデアも足りない。まだまだ実力不足です。 「はるの湯」 こんなに気持ちいいのに最後か。湯船につかり天井を見る。タイル張りの浴槽、熱めの湯。肩までつかると思わずため息が出てしまう。なんでちょくちょく来なかったんだろうと自分を責めたくなる。近所の銭湯、はるの湯が閉まると聞いたのは先月末。その話を聞いて以来、連日はるの湯は大賑わいで番台の爺さんが「男湯は今20人入浴中、女湯は10人浴中!」と早口で伝える。混んでいるから長湯はごめんだよ、という意味も込められていた。気を抜くと聞き取れないほど早いのは下町育ちであるせいか。 「おひさしぶりです」 先月末に何十年かぶりに訪れたとき、そう挨拶をするとジロリと見、すぐに読んでいた新聞に目を落とした。さっさと入ってこいといわんばかりだ。変わらないなと苦笑する。小学生の同級生の実家ということで昔は何度も入浴に出かけた。 「家に風呂があるのに」 と言われても風呂場ではしゃぎすぎて大人に怒られても行くことをやめなかった。はるの湯には、なにか惹きつけるものがあったのだ。中学でも部活帰りにも顧問に内緒で友達と寄った。いつもは無口な番台の爺さんも泥だらけの中学生がドヤドヤと来たときだけは、 「汚すんじゃねえぞ!」 と大声を出した。 「へーい」 と一応は返事をするが泥だらけの足で入るものだから、床は汚れてしまう。孫の智が後で掃除をさせられていたと聞いてからは、みんなで床を拭いてから帰るようになった。 高校になり、世界が広くなると自然とはるの湯から足が遠ざかった。楽しいことや辛いこと、自分のまわりで起こることが多すぎで地元にまで目が届かなくなったのだ。ワンルームの小さな浴室でシャワーを浴び仕事に出かける、たまに同僚と会社近くのサウナに行く、そうやって銭湯の思い出は俺の記憶の中でフタをされていった。 子どもも成長し、休日にどこへ行こうか頭を悩ませなくても済むようになった頃、はるの湯の廃業が飛び込んできた。スマホに流れてくる地域のWEBニュースを見て、懐かしい記憶が蘇ってきたのだ。慌てて出かけると中学の頃のままの爺さんが番台で座って早口で話している。一気にタイムスリップしたような不思議な気持ちになってしまった。 43度の熱い風呂は5分も入れば十分だ。誰もが、さっと汗を流しさっと上がる。どんなに混んでいても人の流れがスムーズなのは熱い風呂のおかげだろう。長時間つかれないが、あがった後の爽快感は家の風呂では味わえない。お休みどころでコーヒー牛乳を飲んでいるとまた昔のことを思い出す。たまに、ごくたまにだが爺さんが俺達にコーヒー牛乳をおごってくれたのだ。 「ん!」 口を聞くのも惜しいと言う感じでパッと瓶を渡してくれる。 「ありがとうございます!」 ほてった身体で床を拭き終わった後のコーヒー牛乳は最高だった。爺さんの口元が心なしが笑っているような気がしたのは気のせいではなかったと思う。 「今日も混雑していますね」 空き瓶を片付けながら番台に声をかけると、 「廃業の話が流れたらこうよ」 と言って鼻で笑われた。思わずズキリと胸が痛んだのが顔に出たのだろうか。 「気にするねい。これがご時世ってもんよ」 とニカっと笑って新聞に目を通した。 人は大切なものを失って初めて気づく、どこかで聞いたことがあるような文言を思い出しながら帰った。 はるの湯が廃業して半年、スマホにまた地域のWEBニュースが流れた。 はるの湯、リニューアルオープン! 「ちょっと!どこ行くのよ!」 驚く妻の声を背に受けながら部屋着のスウェットのまま家を飛び出す。はるの湯の前まで来て本当に開いていることを確かめる。誰かが買い取ったのか?恐る恐る暖簾をくぐり下足入れの札を取る。入り口は変わっていないがリニューアルオープンって?番台も変らないなと思いながら番台の中をのぞくと、 「ひっ!」 「男湯は13人入浴中、女湯は8人入浴中!」 爺さんが座っていた。廃業したのではなかったのか?呆然としている俺に向かって、 「後がつまってんだよ!ちゃっちゃと入りな!」 と早口でどやされた。だが心なしか口元が笑っている。混乱したままフラフラと脱衣場に入ると床を拭いている従業員とぶつかってしまった。 「あ、すみません」 「いや、こちらこ……徹じゃん!」 従業員は智だった。はるの湯廃業の話を聞いて智は爺さんに受け継ぐと言ったが、ご時世に合わねえと拒絶された。実は智が大学を卒業後も銭湯をやると言ったがカフェを併設すると言ったら怒鳴られておしまいになったそうだ。 「はるの湯のはるって婆ちゃんの名前なんだよ」 どうしても銭湯を残したい智は今回は爺さんを説得して営業を再開したのだという。 爺さんの思いを残しながら俺らしさをちょっとずつ出していこうと思う、という智と入浴後、コーヒー牛乳で乾杯をした。
- はそやm
銭湯の閉店と再開を書きましたが、2か月経つと物語にひねりがないなと反省しています。思いついた時はすごいアイデアだと興奮したのですが。まだまだだなあ。#第34回どうぞ落選供養
- のどからから
#第34回どうぞ落選供養 めっちゃ面白いとおもうんだけどな!!! 『最後の夢のつづき』 「最後の夢を見たんだ」と鴨下は言った。 「夢に最後があるものか。今日の晩に眠ったらまた新しい夢を見る。もし今日夢を見なくても明日の晩には夢を見る。もし明日夢を……」 「これは絶対に最後の夢なんだ」鴨下は私の話を遮り、やけに透き通った目で言う。「うまく説明できるかわからんが、もうこれ以降夢を見ることはない。そういう夢を見たんだ。信じられない気持ちもわかるが、そうとしか言えない」 鴨下はシャツの袖を捲ったり引き伸ばしたりしている。最後まで残しておいたプリンのさくらんぼを食べ、もぞもぞと口を動かして種と戯れる。それに飽きると、ナプキンを手に取りぺっと吐き出す。「しかしまあ、名残惜しいなあ」と呟く。 空調の効きすぎた喫茶店である。その端の席で、私は脂ぎった五十がらみの男と向き合っている。氷の溶けきったアイスコーヒーは水っぽく、琥珀色に透き通っている。 「そういえば」私はふと思い出したように言う。「昔よく見た夢があった。人気のない公園で、ひとりブランコを漕いでいると、どこからともなく男がやってきて、飲み物を買ってあげるからついてこいと誘ってくる。ひどく喉が渇いていて、私は多少訝しみながらも立ち上がる。男は私に背を向け、そそくさと公園を離れる。私は幼い足取りでその男についていく」 私と男は細い路地を黙って歩いている。真っ赤に染まった空が薄闇に包まれ、蝉の鳴き声がカラカラと響く。パリッとしたスーツを着込んだ男は均整のとれた身体をしている。歩きながらその背中をじっと眺めていると、ここはいかにも都会的なこの男が馴染むような町ではないと思う。 「どこにいくの?」と幼い私は男に尋ねる。男は黙ったまま、あかあかと光る自動販売機を通り過ぎ、家と家の隙間を抜け、舗装されていない小道へと歩を進める。 「喉が渇いた」と私は言い、小さな家の玄関に腰を下ろす。男はなお黙って歩き続ける。「喉が渇いた」と少しばかり声を張り上げて私は言う。男は静かに振り返るが、その顔は暗闇に溶け込んで窺うことができない。「あと少しだよ」と低く優しい声がして、男は再び歩き続ける。私は足元の小石を蹴飛ばし、空っぽのポケットに手を突っ込んで重い腰を上げる。 「延々と男についていくんだが、どこにも辿り着くことはない。夢は気がついた時にもう始まっているというけれど、それと同じようにこの夢は気がついたら終わっている。いつの間にか私は食卓にいて、母親が作ってくれた目玉焼きを食べている。夢を見ていたことは忘れてしまって、やり損ねた宿題やら喧嘩した友人の顔やらを思い浮かべながら学校へと向かう準備をする」 鴨下は私の話を興味深そうに聞いていた。目を閉じて空っぽのグラスを啜り、要所要所で頷く。口を開くことはないが、時折緩む唇は笑っているようにも見える。 「そんな夢を小学生の頃によく見ていたんだ。今になるまで忘れていたけれど、何度も見るそれは間違いなく悪夢だった」 「散々だな」と鴨下は言う。 「そう、散々だった」 鴨下はポケットから黒いハンカチを取り出して額の汗を拭い、それを綺麗に折りたたんでテーブルの上に置くと、小便に行く、と言って席を立つ。私はその後ろ姿を眺めやる。白いシャツは汗で滲み、下に着込んだタンクトップの輪郭が透けている。ズボンの後ろから裾が出ていて、ひらひらと舞う白い布地の向こう側に水色のボクサーパンツがちらと見える。 堕落した中年の体型だな、と思う。しかし近いうちに私の身体も鴨下のようにだらけきった肉体を晒すことになるだろうと考えると、少し憂鬱な気分になる。気まぐれに自分の腹を叩いてみると、ポコポコと軽い音を立てた。肉体の劣化はすでに始まっているらしい。 パチンと弾けるような音がして、突然に店内の照明が消えた。停電だろうか。ほんの一瞬、冷ややかな沈黙がその場を支配すると、隣に座る女性の漏らす「何?」と言う声が客たちを触発し、何も見えない真っ暗な中で小さな騒ぎが巻き起こる。グラスの割れる音と、「痛っ」と声を上げる男の声。「財布ない!」と喚き立てる掠れた高い声は、暗闇で小狡く動き回る足音に向けて発せられているらしい。 私は手元のバッグを引き寄せ、その中身を確認しようと奥をまさぐってみる。しかしその中に財布と思しき手触りを感じることができない。 やられたか、と思う。照明が消えてからわずか一分余り。近くに人が忍び寄ってくる気配はなかった。これはなかなかの玄人だ。そう感心こそしてみるが、しかし財布を盗まれたとなるとそうも悠長なことは言っていられない。 もしかしたら家に置いてきたのかもしれない。そういう楽観が頭によぎり、いやいやもっと現実を直視しなければならないと自分に言い聞かせていると、再びパチンと弾けるような音がして、店内に黄色い明かりが灯される。膝の上には薄汚れた水色のバッグがあって、その口は大きく開いている。中には雑草やら空き瓶の蓋やら水の滲んだキャンパスノートやらが入っている。使い古された砂っぽいこのバッグは、もういつから使い続けているだろうか。 何事もなかったかのように化粧室から出てきた鴨下が私の前に座る。 「ずいぶん長く歩いたね」と鴨下は言った。
- 半袖
展開が思いつかなすぎてやけくそになってしまったやつ #第34回どうぞ落選供養 --- 『腐っても駄菓子屋』 蝉の鳴き声が耳をつんざく。じりじりと照りつける太陽の下、アスファルトから立ち昇る熱気が肌を刺す。私は額の汗を拭いながら、ゆっくりと坂道を上っていく。 「もう、歩くのも大変な年になっちゃったわね」 そう呟きながら、懐かしい風景を眺める。古びた木造の家々、道端に咲く朱色のサルスベリ、遠くに見える入り江。すべてが50年前と変わらないようで、でもどこか違う。 坂の頂上に差し掛かると、私は立ち止まった。そこには一軒の古い駄菓子屋がある。「たなか屋」と書かれた看板は色褪せ、軒先にぶら下がる風鈴は錆びついている。店先には、「本日をもって閉店」の貼り紙。 深呼吸をして、がたがたと揺れる木の扉を開けた。 「いらっしゃい」 かすれた声が響く。奥から現れたのは、白髪まじりの老人だ。 「あら、田中さん。お元気だったの」 私は微笑む。 「おや、夏子ちゃんか。久しぶりだねぇ」 田中さんは目を細めて笑った。 店内をゆっくりと見渡す。古びたガラスケースの中には、色とりどりの飴や、懐かしいお菓子が並んでいる。壁には黄ばんだカレンダーが掛かり、時計の針はゆっくりと動いている。 「最後の日に来られてよかった」 田中さんは静かに言う。 「さっきね、最後のお客さんが来たんだ。小学生の男の子でね、目をキラキラさせながら駄菓子を選んでたよ」 胸が締め付けられるような思いがする。子供の頃、ここで駄菓子を買っていた日々が走馬灯のように蘇る。 「ねえ、田中さん。最後だから、あのゲーム、もう一度やらせてもらえないかしら」 田中さんは目を丸くした後、くすくすと笑い出した。 「まさか、あの当てくじのことかい?」 私は頷く。田中さんは棚から古びた箱を取り出し、カウンターに置いた。 「さあ、どうぞ」 深呼吸をして、おそるおそる箱に手を入れる。紙をくじくじと破る音。そして、 「当たり!」 自分の声が店内に響く。田中さんは大笑いしながら、「やれやれ、最後の日に当てられちまったよ」と言って、棚から一番大きな飴を取り出した。 急に、目に涙が浮かぶ。しかし、その涙は濁った緑色で、頬を伝って落ちていく。 「やはり、気づいていたのね」 私は静かに言う。 田中さんはゆっくりと頷いた。 「ああ、君も私も、もう人間ではない。でも、それを認めたくなかった」 自分の手をじっと見つめる。皮膚の下で、緑がかった血管が脈打っている。 「どれくらい経ったのかしら、私たちがこうなってから」 「正確にはわからない」 田中さんは棚の埃を指でなぞりながら答えた。 「記憶が断片的でね。でも、少なくとも数十年は経っているはずだ」 店内を見回す。 「じゃあ、この駄菓子屋も、私たちの記憶の中でしか存在しないのね」 「そうだ」 田中さんは悲しげに微笑んだ。 「我々は自分たちが生きていると信じるために、この幻想を維持してきたんだ」 棚から古いキャンディを手に取る。 「これも...」 「ただの石ころさ」 田中さんが言葉を継いだ。 「でも、我々の舌には甘く感じる。我々の脳が、そう信じ込ませているんだ」 静かにキャンディを口に入れる。確かに甘い。しかし、その甘さの中に、何か腐ったような味が混じっている。 「私たち以外にも、こんな...ゾンビはいるの?」 恐る恐る尋ねる。 田中さんは窓の外を見やった。 「いるだろう。でも、みんな我々と同じように、自分の状況を受け入れられずにいるんだ。だから、互いに気づかないふりをしている」 胸に手を当てる。心臓の鼓動はない。 「これからどうすればいいの?」 「正直、わからない」 田中さんは肩をすくめた。 「でも、もうこの幻想を維持する必要はないんじゃないか。我々の本当の姿を受け入れて、新しい生き方を見つける時なのかもしれない」 ゆっくりと立ち上がる。その動作に、人間らしい滑らかさはない。 「じゃあ、この店を閉めるのは、私たちの新しい人生...いえ、死後の生の始まりってことね」 田中さんも立ち上がり、私の方へ歩み寄ってきた。 「そうだ。怖いかい?」 首を横に振る。 「いいえ、怖くはないわ。ただ...寂しいだけ」 私たちは黙って見つめ合う。そして、ゆっくりと抱き合う。その時、私たちの体から人間らしい温もりが最後の一滴まで抜け落ちていくのを感じた。 「さあ、行こうか」 田中さんが言う。 「外の世界へ。我々の本当の姿で」 私は頷く。手を取り合い、がたがたと揺れるドアを開ける。外の世界は、思っていたのとは全く違う姿をしていた。しかし、それは私たちの新しい現実だった。 駄菓子屋の看板が風に揺れ、やがて落下する。私たちの姿は、荒れ果てた風景の中にゆっくりと溶けていった。
- 小説でもどうぞ【公式】
みなさま、こんにちは。本日から始動の「小説でもどうぞ」公式アカウント、企画第1弾はこちらです!!! ✨✨✨✨✨✨ #第34回どうぞ落選供養 ✨✨✨✨✨✨ どのコンテストでも入選作品の何倍も落選作品がありますよね。 でも落選したからと言ってその作品に価値がないわけではありません! ・「第34回小説でもどうぞ」にご応募いただいた作品 ・今回こだわった部分や、思い入れのある一文 などを、こちらのハッシュタグをつけて投稿してください😊 みなさまの大切な創作にかける思いを共有し合えたらと思っています。 第34回に参加されなかった方にとっても、今後の創作活動に向けて意見交換や刺激をもらえる場としてぜひご活用ください。 「小説でもどうぞ」をいっしょに盛り上げていきましょう💁♂️ #小説でもどうぞ