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今日のスープ

#第35回どうぞ落選供養 はじめまして! よろしくお願いします! タイトル: 名人の影 静寂に包まれた小さな町の片隅に、古びた木造の家が佇んでいた。その家の主、古谷信次は、町の人々から「名人」と呼ばれる存在だった。彼の指先から生み出される作品は、まるで息づいているかのように精巧で、見る者の魂を揺さぶるほどの美しさを放っていた。 信次の工房に一歩足を踏み入れると、木屑の香りと漆の匂いが鼻腔をくすぐる。壁には無数の工具が整然と並び、その一つ一つが長年の使用による艶を帯びていた。しかし、その整然とした空間とは裏腹に、信次の心の中は常に混沌としていた。 幼い頃から、信次は他人との触れ合いを苦手としていた。人々と会話を交わそうとすると、頭の中が霧に包まれたように朦朧とし、言葉が喉元で詰まってしまう。その代わりに彼は、黙々と物を作ることで自分の存在意義を見出していった。 木材を削る鉋の音が静かに響く。信次の手には、生まれたばかりの木彫りの人形が握られていた。その人形の表情は、まるで生きているかのように生き生きとしている。しかし、よく見ると、その瞳の奥底に言いようのない悲しみが宿っているのがわかる。 「名人」という称号は、信次にとって光栄であると同時に、重荷でもあった。人々の期待は日に日に高まり、彼の肩にのしかかってくる。その重圧から逃れるように、信次はますます自分の世界に閉じこもっていった。 ある春の日、信次の工房に一人の若い女性が訪れた。桜の花びらが舞う中、彼女は緊張した面持ちで戸口に立っていた。 「初めまして、古谷さん。私、秋山玲奈と申します。どうか、あなたの弟子にしてください」 玲奈の眼差しには、憧れと決意が混ざり合っていた。信次は最初、彼女を拒絶しようとした。他人と関わることは、彼にとって耐え難い苦痛だったからだ。しかし、玲奈の熱意は日を追うごとに強くなり、ついに信次は渋々ながら彼女を弟子として受け入れることにした。 玲奈が信次の元で学び始めて数か月が過ぎた頃、彼女は不可解な違和感を覚え始めた。信次の技術は確かに素晴らしかったが、どこか人間離れしていた。彼が使う道具や素材にも、この世のものとは思えない異質さがあった。 ある月明かりの差し込む夜、玲奈は信次の秘密を探るべく、こっそりと工房に忍び込んだ。月光に照らされた工房の奥には、無数の人形や彫刻が並んでいた。それらは、まるで命を吹き込まれたかのように、かすかに揺らめいているように見えた。 玲奈が息を呑んで立ち尽くしていると、背後から信次の声が響いた。 「見てしまったのか」 振り返ると、そこには月光に照らされた信次の姿があった。彼の目は、今までに見たことのないような深い闇を湛えていた。 「これらは…私の魂の具現化だ。私は、自分の魂の一部を作品に込めることで、この技術を保っているのだ」 信次の告白に、玲奈は震えが止まらなかった。彼女は逃げ出そうとしたが、信次の手が彼女の肩を掴んだ。 「もう遅い。君も、私の作品の一部となるのだ」 玲奈の悲鳴は、誰にも届くことなく夜の闇に吸い込まれていった。 翌朝、工房には新たな作品が加わっていた。玲奈の面影を残した、異様なまでに美しい人形。その瞳の奥には、深い悲しみと恐怖が宿っていた。 町の人々は相変わらず信次を「名人」と呼び続けた。しかし、彼の作品に隠された真実を知る者はいなかった。信次の名声は高まる一方だったが、彼の心の闇もまた、それに比例して深まっていった。 やがて、信次の姿は町から消えた。彼の工房は朽ち果て、残された作品たちも次々と崩れ落ちていった。しかし、玲奈の人形だけは、不気味なほどに生き生きとしたままだった。 今もなお、月明かりの差し込む夜には、廃墟となった工房から悲しげな笑い声が聞こえてくるという。それは、名人の技に魅せられ、永遠の作品となってしまった魂たちの嘆きなのかもしれない。 名声とは何か。それは栄光の光なのか、それとも心の闇を覆い隠す仮面なのか。信次の姿は消えたが、彼が残した「名人」の影は、今もなおこの町に濃い影を落としている。そして、その影は私たち一人一人の心の中にも、静かに忍び寄ってくるのだ。(了)

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