『猿真似』#1 箱から一本のタバコをつまみ口に咥え、少ししゃくれてやってタバコの先を持ち上げる。いつしか如何なる時も震えるようになった腕は、ライターさえも見た目以上の質量を見る者に思わせていたに違いない。顔前に持ってきたライターの位置を調整するのに手間取っているうちに、焦点は窓の外の夜空に合わせられる。際限のない暗闇の中に放り投げられたなら誰しもがそうするように、誰に命令されるでもなく、目は無意識に星の輝きに向けられる。星と星を線で結び始める。オリオン座、ふたご座、おおいぬ座と、大方の検討をつけていく。たとえどの星とどの星を結んでやればいいのかわからなくなったとしても、夜空にはその代わりとなる星々が至るところに瞬いている。だからやろうと思えば、オリオンの横にサソリを置くことだってできたし、双子を三つ子、四つ子、五つ子、……と量産できた。 僕はその夜空に友人として仲良くしていたシャム双生児のシルエットを描いた。彼ら——一つの個体だったとしても、彼らには二人分の名前があったし、二人分の価値観や意志があった。正面から見て、右がウタロウ(右太郎)、左がサタロウ(左太郎)。しかし、彼らから見て左が右太郎になり右が左太郎になるため、どちらかが名前を呼ばれる度、彼らは困惑した表情で共に返事をしていた。——は、アジの開きのように綺麗なほどに左右対称で、互いに気分が良い時は肩を組んで歩いていたりした。僕はその瞬間の彼らを夜空に描いたのだ。傍から見れば、ただの仲の良い双子のように見えていたのだろう。しかし、彼らは確かに腰の辺りで一つに繋がっていた。ふたご座が、二人の人間を表現するために別々の星を線で繋いだ二つの星座でないように。 当然、僕は彼らのことを思い出して懐かしい心持になっていた。遠く昔の人々もこんな風にして夜を過ごしていたのだろうか、とそこに遍いていたに違いない重厚な静寂さと純粋な平和を羨ましくも思った。太陽が沈み、光を失った人類は皆こぞって野原に寝転び、夜空の星々に指をさして自分の物語をそこに並べていっていたのだろう。 実に平穏で、実に安らかなる世界。 僕はそんな世界を望むと同時に、そんな世界の夜空に並べられた物語に対して疑問を抱いていた。 そんな世界で語られる物語のどこに人の心を打つ場面があるのだろうか。森の木々の青さを眺め、山から下りてくる風の匂いに川の清涼さを強く感じる季節の頃、立ち寄った茶屋のおばさんと……、とどこにでもありそうな世間話を文句も言わず聞くことができるのは、昼間の辺りの喧騒が時として逃げ場となるからなのだ。夜の逃げ場のない静けさの中で語られる独りよがりな私小説ほど聞き苦しいものはない。そして、その内容が平和であればあるほど、僕たちは身体の芯から揺れ出す眠気に敏感になる。 何も平和が悪いとは言っていない。ただおそらく、平和は全人類が等しく追い求めるものでありながら、全人類が等しく退屈だと感じでいるものなのだ。この二千年の間に語られた物語のその多くが奪われた平和を取り戻す類いのものであり、作家は一つの作品の主人公が平和を手に入れ物語の結末を迎えれば、別のところから平和を奪い混乱を創造し、物語を描き始めた。そして、それは決して二次元の中でのことに限ったものではなく、三次元(現実)においても容易に確認できる。一つの争いで国が荒れ果て平和が訪れれば、また別の場所で鉄砲が叫び、爆弾が落とされいくつもの国が火の海となってきた。その出来事が形を変え、色を変え、多くの人々によって語り継がれてきた。それは人の心を打ち、ときに新たな争いを助長した。歴史の教科書に平和を映したページがないのも、人類の二律背反とした性質がゆえなのだろう。 奇しくも人類はこのようにして、平和を願いながらもそれをすぐに蔑ろにする自分たちの矛盾に満ちた性質を無意識のうちに体現しているのだ。 僕も人類の一員としてその性質を細胞の中の、核の中の遺伝子の中にしっかりと刻み込んでいる。だからこそ、これから語ることはシャム双生児との平穏な休日のことではなく、それなりに奪われた平和をそれなりに取り戻す話だ。 そして、話を始める前には、話を始めるために必要なことがある。火を点けることだ。そう、始まりはいつも一つの火からだ。小さな火から。その小さな火で大砲は唸り声を上げ、爆弾は大地を崩し、大樹が倒れるようにして平和はその姿を失くす。数ある物語はいつもそこから語られる。 口の中に溜まった唾液がタバコを湿らせたために、その先が視線の隅にどんどんと姿を消して行っていた。僕はそれを下唇で無理やり視界の中央に持ってこさせ、ライターで火を点けた。『踊り子』という銘柄のタバコは、タバコの先で揺れる煙が踊り子のように優雅に見えたことから名づけられたらしい。これも昔、とある女性から聞いたことだった。鼻先で揺れる煙はまさに踊り子の嫋やかな舞のようであり、僕はその舞を近くで見るために気づけば、タバコを吸う時には一切手を使わなくなっていた。灰が腿に落ちて、ジーンズに穴を開けても何も気にしなかった。特等席で見る踊り子の舞は、毎晩僕に良い夢を見させてくれるからだ。それは形容できないほどに素晴らしい夢なのだ。そして、それはここで語るべきものではなく、唾棄すべきものの類いに含まれるに違いないため、そのことについて触れるのは控えさせていただこう。 まあとりあえず、火が点いた。僕は大砲でなければ爆弾でもないから、人間として語ることにする。僕の物語を——
いぬとび