『猿真似』#2 一つ目の戦争は25年前、海の向こう、広い大陸の山々を越えた遠い場所で起こったらしい。まだ幼かった僕は人づてにそう聞いた。25年という時間が、何日と何時間と何分で構成されているのかも知らない時分のことだった。そして、二つ目の戦争は海の向こう、広い大陸の山々を越えた遠い場所から遥々こちらにやってきてくれた。別に僕はそれを見たいとは頼んでいなかったが、それは有無も言わさず次々とやってきた。これが25年という時間なのか、と支離滅裂な思いに駆られ子供ながらに感動した記憶がある。 それから二つ目の戦争が終わり、しばらく経った頃、僕は静岡の山奥の村にいた。疎開というやつで訪れることとなったその村に、結局住むことになったのだ。離れ離れになった両親とも合わずじまいだった。おそらく彼らは灰となって、平和を象徴する快い夜明けの風に吹かれていたに違いなかった。向かい風の中に立った時、ふと何気なく後ろを振り返ってしまうのは、その風の中に灰となった彼らがいるかもしれないと潜在的に感じているからなのだろう。 両親を失っていた僕はしばらくの間帰る家がなかった。だから疎開先の村の小学校の校庭の木の上で、燦然とする星々を見上げながら多くの夜を過ごしていた。冷える冬場は焼却炉の傍で、そこに残ったぬくもりを優しく抱きしめて寝ていた。 その学校に通う子供たちはみんな僕のことをサルと呼んだ。教師や生徒の親も平気で僕をサルと呼んだ。村にやってきてから木の上で寝起きしているから、ということもあったが、何より僕の見た目がサルそのものだったのだ。僕は一般的な人と比べて異常なほどに毛深かった。顔面にも、腕にも、胸にも、腹にも下半身にも髪の毛並みの毛が生えていた。物心ついた頃からそうだった僕にとってはそのことはあまり気にすることではなかったが、それを目にする周囲の人々はその異様さにひどく敏感だった。 「まさか、お前のパパは女が捕まえられなくて、血迷った結果メスザルと交尾をしたのかい?」 「いいや、グラマーなママが夜中に森を一人で歩いていて、その際にオスザルに侵されたんだろうよ」 「もしかしたら、パパもママもサルで、彼はその間に突然変異として生まれたのかもしれん。そうだとしたら、ダーウィンという学者が言っていた説が証明される良い証拠になるだろう。半年もすれば国の研究機関で、囚人よりもひどい仕打ちを受けることだろうよ」 誰の声にも僕を不憫に思うような気遣いがありながらも、口の端には常に嘲笑の色が浮かんでいた。そして、力の抜けた両肩の高さは目の前に見ているサルのような人間が自分自身、あるいは自身の子供でなくてよかったと安堵しているようでもあった。 それでも僕はなんとか学校に通っていた。木の上や焼却炉の横よりかは学校の方が何かと安全だったのだ。屋根があれば、トイレもあったし、ご飯だってそれなりに食べることができた(ほとんどをクラスメイトの手によって屑籠に放られていたが)。そして、何よりも図書室が僕にとっての家だった。 僕という存在と同じように、図書室には多くの子供が寄り付かず一定の距離を置いていた。しかし、少数の読書好きの拒食症気味の女子や博識ぶった坊ちゃんは僕に構わず図書室にやってきた。当然その中にも好んで僕に話しかけてくる者は一人としていなかった。誰しもが、胡坐をかき本棚を背凭れにして本を読む僕を石ころのように扱った。蹴っ飛ばしたり、踏んづけたり、本の角で叩いたりしてきた。ただ、そんなことをする彼らも僕と同じようにクラスで浮いているような奴らであることには変わりなかった。なぜだか、その中でも僕だけが周りからひどい扱いを受けていた。少年として不相応な読書好きな彼らは、一度としてクラスメイトが勝手に家から持ち出した父親の猟銃で殺されかけたことはなかったはずだ。僕はただ毛深いという理由だけで、その銃口を知らず知らずのうちに向けられ、その銃声に肝を冷やしていたのだ。 ときには首輪をはめられ猿回しのようなものをみんなの前でさせられたし、それぞれが家から持ち寄ったバナナを一斉に投げつけられたことだってあった。要するに、彼らにとって僕という存在は恰好の遊び道具だったというわけだ。 それでも僕がしつこく学校に通い続けていたのは、そこが外より安全だからということに加えて、図書室で見つけた飛行機のパイロットに関する本に感銘を受けていたためだった。それを読んでから、僕はパイロットになりたいと本気で思うようになっていた。だからこそ必死に勉強しようと思い、自身に降り注がれるひどい仕打ちのことなんて一切頭の中に入らないくらい努力していたのだ。 しかし、社会さえも僕をサル扱いしてきた。
いぬとび