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いぬとび

『猿真似』#3 長机を一つ挟んで、正面には無駄に肩幅の広い男が二人椅子に座っていた。きつそうなスーツを身に纏った二人は、僕の姿を見ては顔を合わせて困惑をそこに滲ませ、続けて鼻で笑っていた。 「君は見た目がサルの人間か、あるいは人間の見た目をしたサルか」 「話すのがあまりうまくないところを推測すると、サルかもしらん」 「まあ、どちらにせよ、飛行機の操縦室にサルやサルのような人間を乗せるのは、見た目的にも、ねえ」 「ああ。でも、ソビエトの人工衛星になら乗せてもらえるかもしらんな」 「ほう、かもしれないね。ところで、それに乗った犬はどうなったんだろう」 「さあね。その真相は私にもわからん。宇宙には到達したそうだが、……そうだ! 彼にスパイとして調査してきてもらえばいいじゃないか。そうすれば、アメリカさんだって大喜びで、うちのパイロット学校も儲かるかもしらんよ」 「それもそうだね。ねえ、君、空を飛べればなんだっていいだろう? 飛行機の操縦士も宇宙飛行士も相違ないさ。どうかな、君がうんと頷けば、僕たちが話をつけてあげても構わないよ。実際、社会主義の方が距離的には近いんだからね。打つ手は山ほどあるさ」 「ハハハ、そうさ。ちょっとやそっとじゃ遠い海の向こうにはばれやしないだろうよ。ただ、ばれたあかつきにはもう一つ爆弾を落とされるかもしらんな。あれから10年以上経ってるんだ、もしそうなったら、今度こそ日本には櫻は咲かなくなるだろうよ」 「まあ、その気になったら、ここの番号に連絡するといい。きっといつでもすぐに空を飛べる」 「それが片道切符にならないといいけどね」 後から知ったが、彼らは元空軍兵士であり、敗戦をその身に痛感した者たちの一員だった。そのためアメリカに対して未だに敵対意識を抱いたのか、アメリカへ向けた過剰なこびへつらいは今後謀反を起こすそれと同じようにも聴こえた。 もちろんパイロット学校の面接試験は不合格で、僕の手元には怪しい会社の名前が印字された名詞が残った。 高校の教師にその面接試験のことを話したら、教師は面接官の彼らが向けた視線と同じ視線を僕に向けてきた。教師は僕の言葉を真面目に受け止めようとはせず、常に半笑いだった。君は本気で操縦士になれると思っていたのかい? 君はサルが運転する飛行機に乗りたいと思うのかい? そう問いかけてくるような顔の色だった。そして、彼は形だけでも教師としての職務を全うするためにこう提案してきた。 「君のような得体のしれない生き物は、そう簡単に人間社会に馴染めっこないんだ。だからね、周りのみんなが選ぶような大学進学や企業への就職は諦めた方がいい。もちろん操縦士もさ。僕が思うに、君はサーカス団に入るか、山奥の温泉で三助をするか、按摩になるか、そのどれかがいいと思うんだ。もし、君がサーカス団に入りたいというなら、いいつてがいるんだよ。どうかな?」 僕は辟易した。彼らはどうしてこうも自慢そうにものを言えるのだろうか、と妙な気分にもなった。そして、彼らはどうしてこうも自分のことばかり気にして、他者を駒のように打ちやることができるのだろうか、と苛立ちさえ覚えた。それはナイフのように鋭利で、光にかざせばギラギラと輝いた。軽いひと振りで、何でも二つに切り分けるほどの切れ味を保有していることは一目瞭然だった。僕は躊躇うことなくそれを彼らに向けることができた。それから数秒堪えてやれば、なぜだかその殺意は自分に向けられていた。このナイフで彼らの首ではなく自身の首を切って死にたいと思った。それならたった一回ですべてが済むのだ。しかし、死ねなかった。素直に恐かった。 死ぬ前に、せめて人間らしい姿を日に浴びせてやりたいと思ったが、剃刀は長い毛が絡まりどれもすぐにダメになった。余計死にたくなった。このときには一度死にたいと思ったときより恐怖は薄れていた。このようにして死への恐怖は和らいでいくのだろうか、と僕は何度も身体に剃刀を当てた。ただ、死を決意するまでには剃刀の数が足りなかった。 その夜、僕は震える手で、校舎の外側の壁に設置された緊急用の電話機のボタンを一つひとつ丁寧に押していった。ボタンを押していない方の手には、面接官から渡された名詞があった。死ぬくらいなら、人工衛星でもなんでもいいから最後に空を飛んでやろう、と躍起になっていた。 受話器の奥で5コール鳴って、相手が出た。女の声だった。男の心を下からゆっくりと愛撫するような柔らかな声色だった。そして、彼女はこれからなら空いているから、とホテルの住所と集合時間を二回繰り返した。そこで僕は電話の相手が風俗嬢だと気づいた。この名刺は、面接官が愛用していた風俗嬢のものだったのだ。 「ち、違うんです。これは間違い電話なんです」 僕の声は明らかに震えていた。それを聞きとった女性は、男のプライドに傷一つつけないような、プロフェッショナルなやり口で僕のことを慰めてくれた。「違くないと思うわ。きっとあなたは私を求めているの。そんなの恥ずかしいことじゃないし、そこまで怯えなくていいのよ。一度経験してみれば、なんてことないのよ。空を飛んだことない鳥だって、一度その羽根を羽ばたかせれば翌日にはきっとその羽根で平然と空を飛び回っているわ」。その言葉は、確かに僕のプライドに傷をつけることはなかったが、僕のプライドに火を点けるのに十分すぎた。そこまで言われて引き下がることはできないのだ。 通話が終わり受話器を元の場所に戻すと、僕は服についた土汚れを手で何度もはたいた。月明かりに照らされた校舎の窓を鏡代わりにして髪型を整えたり、絡まった砂を取り除いた。淡い青色の月光は、僕の顔まで青に染めた。ピカソの青の時代を想わせる哀愁が、そこにはあった。 この夜、僕は初めて女を買った。 待ち合わせ場所に女はいた。僕は心のどこかで、そこに彼女がいなければいいのにな、と思うと同時にそこに彼女がいなかったら僕はどれほど決まり悪いだろうか、とも思っていた。だから、ホテルの304号室の扉をノックして反応があったときには、驚きのあまり僕は本物のサルのような声をこぼしてしまった。 それに対してその女は何も変わった様子を見せることはなかった。僕の姿を見ても何も言わなかったし、僕の容姿について何一つ触れなかった。唯一触れたのは、僕の陰茎の大きさのことだけであり、それもまた男のプライドを守り、火を点けるような言い回しだった。 まさに相手は自分の仕事を全うしているようだった。僕の性行為がどんなに下手糞であろうと、プロフェッショナルとしての声掛けを忘れなかった。喘ぎ声も一丁前で、一つになった二人には広すぎる閑散とした一室にその声は嫌なほど響いた。耳の傍を何度も通り過ぎていく蚊の羽音のように、僕はその声のせいで目の前のことに一切集中することができなかった。そして、最終的に僕は射精できずにその部屋を後にすることになった。 「鳥だって初めから上手に飛べるわけじゃないのよ。羽根を持っていようと、それを使いこなすまでになかなかに苦労することだってあるの」 別れ際に女が僕に向かってそう言った。僕の目を見てそう言った。そして、また来てちょうだい、と新たに名刺をくれた。僕はそれを受け取ると、逃げるようにしてその場を後にした。目尻に溢れた涙をどのタイミングで拭おうか、とホテルのエレベーターまで速足で歩いていった。 どうしてだろうか、僕は相手にサルとして見られたくないはずなのに、そう見られることにうんざりしているはずなのに、実際相手にそう見られないとなると強烈な違和感を覚えた。女にとって自分が取るに足らない男のように思えて虚しくなった。自身のことをなおざりにされているような気がして無性に腹が立った。妙な話だが、いつしか僕は深層心理の中で自分が相手にサルとして見られないことに不満を抱くようになっていたのだ。 そういった感情を抱いていることに僕はその夜、夜空に浮かぶおとめ座の上を滑空する飛行機の点滅を眺めながら気づいた。そうすると、なぜだか夜空に浮かぶ星々がいつもより遠く、よそよそしく見えた。薄く幕を被ったようにおぼろげとして輝いていた。飛行機の点滅も徐々にその光を小さくし、視界の隅でぽうっと閃いたかと思うと次の瞬間には姿を消した。それはまるで水辺の蛍の最期のようであり、何かの暗示のように僕の脳裏に鮮明に焼きついた。そして、僕はその暗示を無意識のうちに読み取り、受け入れようとしていたに違いない。だからこそ僕はこのときその感情に折り合いをつけるべく、サーカス団に入ることを決心したのだ。案外すんなりと決心できたことに自分でも驚き、吐く息が白いのにも関わらず身体が少しも寒くないのはこの体毛のおかげなんだ、と自身の異常な体質に感謝の念を抱きつつあった。 しかし、僕の頬には絶えず涙が流れ続けていた。涙は毛の上を伝い、するりするりと顎の方まで落ちていった。あみだくじの要領で、時折それは鼻先や耳の方に流れて行った。口先にやってきたときには、僕はそれを舌先で舐めた。涙は高揚感と自身に対する惨めさとを混ぜ合わせたようなしょっぱい味がした。

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