#第35回どうぞ落選供養 落選しましたが、小説を書こうという気持ちがしっかり固まった時に書いた作品です。短編5部作の一編を減筆し応募しました。 食物アレルギーの息子の未来を想像しながら、今現にこの症状に自由を奪われている彼や彼女へ… アンチグルメで生きろ!毎日同じつけ麺とカレーで最高だよ!強い応援を優しい物語に乗せました。 どなたかに届き、供養できますように。 🔹お題:友達 🔹タイトル:7つの呪縛 僕は17歳、高校2年生。 見た目は細め、背は余り高くない。顔はどうだろう?美容院に行くと母はやたら「イケメン!」って僕を持ち上げるけど、姉は「のぞむスッキリしたね」だけだから、ごく普通の高校男子なんだろう。 見た目は普通、でも僕は食物アレルギー体質という、人と違う一面がある。 小6まで7品目を除去し訓練された生活を送り、年1回負荷テストという「アレルギー品目を摂取し症状が出るかどうかを確認する検査」のため、毎夏入院をしている。 ❶卵 ❷オボムコイド(加熱卵)❸小麦 ❹大豆 ❺ピーナッツ ❻甲殻類 ❼魚卵 僕にとって7つの呪縛だ。 タベチャダメ サワッチャダメ 母が1日に何回も僕にいう呪文。 生後4ヶ月ごろ耳たぶから汁が出て、小児科医から食物アレルギーの可能性を告げられた。 7ヶ月、初めて食べたうどんでアナフィラキシーショックを引き起こし救急へ運ばれ、この日「僕の食物アレルギー人生」が始まった。 家族の生活は一変したが、幼い僕は当時のことをあまり覚えていない。人から食べられなくて可哀想とよく囁かれたが、ケーキを食べたことがないから味も知らないし、食べたい気持ちもなかった。でも友達がお菓子交換をしている横で一人離れてお菓子を食べていた時は、可哀想というより孤独だった。 この10年で4品目が改善され、高2の最新検査ではIgE抗体の数値が下がり卵と大豆が陰性になった。喜ぶ場面だが卵を食べたい気持ちも美味しいと感じる舌も僕にはないから、陰性になっても生活は変わらない。 こんな僕にも食の思い出がある。通っていた幼稚園の畑で収穫されたジャガイモを使って、毎年カレーパーティーが開催された。大きな鍋から友達と同じカレーを盛り、子供ながらにこの時間がずっと続きますようにと願い、友達とゲラゲラ笑いながら一緒にカレーを食べた。初めて大勢でご飯を食べた喜びと幸せな時間は今も心に残っている。 10年以上過ぎ年々改善しているが、完食はまだ遠い。大豆10グラムとか全卵1/8とか許容量を外食で計るのは難しすぎる。 中学で友達と外食したのは数回。ファストフードに行ったがポテトしか食べられず、そのうち誘われなくなった。中3になると諦めとは違う別の感情が僕の心を占めていた。人に自分の説明は難しい上に、やたら僕を気遣う友達の姿は15歳には絶望に映った。だから友達と遊ぶことをやめた。 サミシクナンカナイヨ イツダッテボクワヒトリ ――2年後。 「みんな帰るぞ。今日は渋谷?下北?」中谷はこの2択しかない。「俺、ラーメン食べたい」豪太が言った。「オレはつけ麺!のぞむは?」また中谷だ。「つけ麺って、お前ら勝手に決めるなよ。まず俺に何が食べたいのか聞けよ」 外食を諦めた僕につけ麺を一緒に食べる友達が出来るなんて、大袈裟だが生きていて良かったと思う。 カレーパーティーから10年以上が経った今、こんな気持ちにしてくれた友達の存在。高校受験に失敗し不貞腐れながらこの高校に進学したことを運命に感じてしまう。誰かと一緒にご飯を食べる楽しさを知った幼稚園のカレーからラーメンの世界に広がり、僕は今幸せを感じている。 高1になった僕は絶望の裏で一人外食し、お店で材料を詳しく聞いてから注文するなど努力してきた。母は心配したが僕は変わりたかった。あの日のカレーパーティーを懐かしみ、幸福感に飢えていたのかもしれない。友達とまた一緒に食べたいっていう気持ちを。 「のぞむは何がいーい?」中谷が言った。 「なんだよ、優しいから調子狂うだろ。今日はつけ麺の気分だから下北かな」下北派の中谷は凄く嬉しそうだ。校門を出て代る代る誰かが喋る高校男子は騒がしい。すると豪太が「俺、やっぱりカレーが食いたい。今日はカレーでたのむ」。その瞬間、僕がどれだけ驚いたか。誰かが反対する前に僕は即答した。「それいいね!今日は渋谷でカレーを食べよう!5人でカレーパーティーだ」一斉に爆笑した。「おい、カレーパーティーって。お前女子か!」 照れる気持ちに気づかれないよう、誰よりも早く駅まで走った。僕を追いかけるローファーの靴音がいくつも聞こえてきた。 ミンナトタベナ ナカヨクタベナ 呪縛という言葉とサヨナラする時がきた。 僕にはカレーがある、ラーメンもある。 友達もいる、もう孤独じゃない。 〈終〉
三連休