コメントありがとうございます。アドバイスを読んで、たしかに! と興奮しています。書いたものに感想をいただけるというのはやはりうれしく、励みになります。このような機会をつくっていただきありがとうございました。今後も書きつづけていきたいと思います。
- ばったんへの返信ばったん
- ばったん
#第35回どうぞ落選供養 テーマ:名人 タイトル「説教の名人」 教師になってみていちばん驚いたことはみんな説教が驚くほどうまい、ということだった。そもそもそれまで人をまともに叱った経験もなかったので、いくら相手が高校生とはいえ、何かその子を正しい方向へ導くようなことを言う資格が自分にあるとは思えなかった。だから問題行動を起こした生徒と面談室で相対したとき、口から出てくるのは相手に阿るような冗談や、通り一遍な道徳を自分なりにアレンジした重みのない言葉ばかりだった。生徒からすれば教室に戻ることが第一なので、新任教師の言葉に体重が載っていないことに気づいていても、真面目な顔と態度は崩さなかった。指導がそんな具合だったから、学年主任への報告も漠然としたものになって、他の教員が話す面談内容との差に恥ずかしさを覚えた。 遅刻指導では、他の教師の説教を直接見ることができた。「なんで遅れたん?」「夜は何時に寝たんや?」「一個逃しても間に合う電車に乗ってるか?」「社会に出たら遅刻は信用に関わるんやで」「いまのうちにちゃんとしとかんと、卒業してすぐできるようにはなれへんで」「来週一週間は朝八時までに正門でチェックを受けることになります」リストアップしてしまえば当たり前の台詞ばかりだが、じっさい相手を目の前にして噛んで含めるように自然な調子で語りかけるのは意外と難しい。変に詰まったり、たどたどしくなると、途端に場の緊張感が緩んで生徒の態度も崩れ、またそのことを叱らなければならなくなり……と、せっかくの指導がぐずぐずになってしまう。内容はありきたりであっても、それに説得力をもたせてリズムよく喋ることが指導の場では重要なことなのだ。自分が話をはじめると、はじめはいい調子でも、すぐノープランぶりが間や言葉選びに表れてきて、そのことに自分でも気づいているからだんだん早口になって内容も抽象的になり、他の教員の半分くらいの時間でしゃべりおえてしまう。 これではいけないと自分は同僚たちのやり方をまねるようになった。表情、声音、話の運び方……。数をこなすうちに、自分の説教の技術は少しずつ向上していった。成功体験を重ねるにつれて説教に快感さえ覚えるようになり、はやく何か問題が起きて説教ができないかとトラブルを心待ちにするようになった。そのうち職場に後輩ができて、彼らにも説教をするようになった。年下はもちろんのこと、年上でも勤務校での経験は自分のほうがあったから、自信たっぷりに説教をした。 週末は部活の練習を指導しによく外部コーチがやってきた。いつもサングラスをかけた癖のある人物で、彼もまた説教が好きな人物だった。新人に会うと、どんな小さな落ち度でもめざとく見つけて説教をし、つねに「いまどき珍しい怒ってくれる人」であろうとした。自分もその被害に遭ったひとりだった。出会ってからもう数年が経っていたし、いまさら恨みを晴らそうと思ったわけでもなかったが、説教がしたくてたまらず、ある日、自分は二十も歳の離れたその男にも説教をした。「人と話すときはサングラスをとったらどうです」「生徒に椅子をもってこさせるのってどうなんですかね」「お説教はやめましょうか」「あなたは教育者じゃないでしょ?」「自己啓発本で読んだような周回遅れの知識を披露されても困りますよ」ひょっとして大げんかになるかと危惧していたのだが、コーチはたいした反応も示さないまま口をきかなくなってしまった。自分の説教はとうとう年上の人間にも通用するようになったのである。 説教をしてからコーチは練習にも試合にも姿を見せなくなった。自分とのやりとりが原因だと判明すると、同じクラブの顧問である教頭に呼びつけられた。教頭の高圧的な説諭がひと段落すると、こんなパワハラにはなんの説得力もないですよと説教してやった。反論を予想していなかったのか、教頭はとたんに弱気になり、君みたいな人間を置いておくことはできないうんぬんとぶつぶつ言いだしたので、あなたは雇用主ではないでしょう! と一喝してやった。もはや教頭ですら自分を止めることはできなかった。あくる日校長に呼びだされたが、ごちゃごちゃとまくしたてる校長の言葉がまったく理解できず、仕方なく自分は手本として理路整然とした説教を披露した。 気がつくと、自分は学校を放逐されていた。いつ机の荷物をまとめたのか、業務の引き継ぎをどうしたのか、まったく覚えていない。覚えているのは、職員室でゴミをまとめていた用務員に、体臭がひどいから毎日風呂に入るようにと説教をしたことだけだった。実家に電話して、学校をクビになったことを母親に告げると、どこかで聞いたような説教をしだしたので、こちらも説教をぶつけて電話を切った。スマホを開き、Xのタイムラインをさらいながら、偏った意見を述べている者たちに片っ端から説教のリプライを送った。もはや自分に説教できない相手はいなかった。理詰めで反論してくる人間も数多くいたが、必ず説教を挟む隙はあった。自分は人間に飽き足らず、犬にも本にも広告にも太陽にも風にも説教した。内へ内へ傾こうとする矢印をたえず外側へ向けつづけた。 最期のとき、自分は「死」に向かって説教をしていた。「人が時間かけて育ててきた意識がなくなるってどういうこっちゃあ」自分はブラックアウトの瞬間まで説教をぶつけつづけた。説教道とはかくも孤独な営みなのである。