#第35回どうぞ落選供養 初めまして。「冗談」のお題に出したものです。 「怪獣の生まれた日」 マラソン大会をぶっ潰す! カズキはそう心に堅く誓った。カズキの中学では毎年二月にマラソン大会があり、今年もあと二週間に迫っている。二年生のカズキは、去年の大会の悪夢を思い出して震えた。 学校の体育の授業は好きで、百メートル走のタイムは十四秒を切るし、運動神経は人並み以上だと自負している。ところが、なぜかマラソンだけは苦手だった。 去年も、途中で脇腹が痛くて走るどころか歩くのがやっとになり、後から走って来た連中にどんどん追い抜かれて、ビリに近い順位になってしまった。耐えがたい屈辱だった。 マラソン大会のコースには、学校の近くにあるシローズ池の周囲を周る道が使われる。この池は「V」の字の形をしていて、真ん中の三角形の所は公園になっていた。小学校の頃、カズキはよく戦艦の模型を作ってシローズ池に浮かべて遊んだものだった。それを思い出したカズキは、ある壮大な計画を思いついた。 発泡スチロールを切り出して三角形のパーツを八枚作り、徐々に大きさを変えて、並べると恐竜の背びれっぽく見えるようにした。それに絵具で色を塗る。青と緑を混ぜたベースに、少しずつ黒を足しながらグラデーションをつけて行く。仕上げに防水処理を施すと、なかなかの出来栄えだった。材料費でお年玉の残りが消えてしまったけど。 「あの集中力を勉強に向けてくれたらいいのにねえ……」カズキの母はため息をついた。 マラソン大会一週間前、早朝のシローズ池。カズキは背びれを小型のブイ八個に取り付け、紐で直列にラジコン式水中モーターに繋いだ。かじかむ手に息を吹きかけ、モーターを蛇行運転させると、背びれは大蛇のごとく身をくねらせて、滑るように水面を進む。背景との画角工夫を重ねながらなんとか動画を撮って、さっそく動画投稿サイトにアップロードした。タイトルは「大発見!シローズ池の怪獣シロッシー!!」 これでシローズ池には連日野次馬が押しかけて、マラソン大会なんかできなくなる。観光客がいっぱい来て、屋台が並んで名物『シロッシーまんじゅう』が売られ、テレビ局が池の水ぜんぶ抜いちゃうかも……カズキはニヤニヤしながら妄想に浸った。 翌日、学校から帰ったカズキは、真っ先に動画サイトをチェックした。閲覧数は……六回。それは全部カズキ自身によるものだった。 「まあ、初日だからな」だが、次の日も、その次の日も、閲覧者は自分だけ。四日目にようやく閲覧者が現れて、一件のコメントがついた!……のだが、そこに書かれていたのは――「シロッシーwwwwだっさw」 心ない言葉を浴びせられ、すっかり嫌気がさしたカズキは、サイトを見るのをやめてしまった。こうなったら後は神頼み、大会の日に大雨が降りますように! マラソン大会当日――空は無慈悲に晴れ渡り、カズキの最後の儚い願いはシローズ池の水面に砕け散った。 「パーーン!」スタートの合図と共に、一斉に生徒たちが走り出す。カズキも重い足と心を引きずりながら嫌々出発したが、池を一周もしないうちから、もう脇腹がチクチクと痛みだした。氷の針のような空気が肺に突き刺さり、息が上がった。泥沼にはまったように脚が重い。(もうダメだ……ビリになるくらいなら、いっそ棄権しよう)と、その時―― 「シロッシー!!」 幼稚園くらいの男の子が、池に向かって叫んでいた。横にいる母親が、スマホの画面をその子に見せている。シロッシーの動画だ! そして、偶然水面近くで大きな魚が跳ねたのか、ボチャンと水しぶきが上がった。 「ママー、シロッシーのしっぽが見えた!」 男の子は池の柵にしがみついて、必死になって水面に手を振っている。 それは、本当に不思議な感覚だった。シロッシーは、今まではカズキの頭の中だけに存在する、背びれのほかには身体や脚や頭さえも持たない影のようなものだった。それが今この瞬間、この子の心の中で、シロッシーは生きて、自由に泳ぎ回っているのだ。 カズキは、背中から胸にかけて、熱い塊がじんわりと拡がってゆくのを感じた。胸の内側が、くすぐったくって仕方なくて、足の裏で地面を蹴ると、自然に身体が浮き上がる。前へ前へと進むのがひたすら気持ちいい。涙が滲む目を、手の甲でぐいっとぬぐう。寒さも、息が苦しいのも、脚のこわばりも、脇腹のチクチクする痛みも、いつの間にか、なくなっていた。 (いつか、かならず、お前をこの世界に解き放ってやる!この空や、水や、大地を、全部お前のものにして、好きなだけ暴れさせてやるんだ。待ってろよ、僕の怪獣シロッシー!)
- 名上 了