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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「帰省」えのき

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作文・エッセイ
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第65回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「帰省」えのき

 死んでから十三年目。十三回忌となって俺は実家に、生まれ育った家へと帰る。

「おお、良く来た……」

 そう言って親父が俺を出迎えた。黒かった髪の毛は白髪になり、顔は痩せていてカサカサとしている。そこには孤独によって心の弱っている人間特有の生命感のなさが見えるようで俺はやるせなくなる。

 玄関を上がって居間に入る。畳はボロボロになっている。もう何年も張替えていないのだろう。

「なんだい、お茶でも淹れようか」親父が言う。

「ああ、ありがとう」

 親父の言葉に従って、そのままお茶を淹れてもらう。昔は母親がお茶を淹れてばかりで、親父はそれを飲んでばかりだったが、一人で過ごす日々はそんな親父をも変えてしまった。

 それは俺の年代から見れば好ましいことかもしれなかったが、親父のような昔かたぎの人間がそうしていることに、俺は胸が締め付けられた。昔の親父はぶっきらぼうで、癇癪餅で、もっと怖くて、強そうだった。

 そして俺はそんな親父が、嫌いではなかった。今の親父は、とても、弱弱しく見える。

 ヤカンのシュー、シュー、という音が響く。親父はゆっくりとヤカンを取りに行く。

 俺は何も言わない。言えない。

「俺に引導を渡しに来たのかい」背中を向けたまま親父が静かに聞く。

「ああ」

 俺はここへ終わらせにやってきたのだ。

「そうか、そうか」

 親父はそう言って、お茶を俺に渡す。俺は一口にそれを飲む。温かい。

「実はね、結婚をね、するんだ」俺が言う。

 親父が予想と違ったことを言われたような、少し驚いた顔をするが、言葉を返す。

「ああ、それはめでたいことだなあ」

「そうなんだ」

「そうか。そうかぁ……」

 親父はそう言ってぽろぽろと涙を流す。涙は床の畳に落ち、滲んでいった。やがて、声を上げて親父はおんおんと泣く。

「俺がもっと、もっとあの時に運転に気を付けていたらお前たちは死なずに済んだのに」

「親父」

「お前はこうして立派に育ったのだろう。そうして今日のように俺に会いにきて、それで結婚の話をしてくれたのだろう。なのに、俺が運転をちゃんとしなかったばかりに」

 十三年前、俺たち家族は車で旅行中に事故にあった。母親と弟は即死だった。

 運転手は、親父だ。

「ごめんな、ごめんな。俺を呪い殺していいから。復讐してくれていいから」

 そんな声だけが響き続けた。

「違うんだ親父」

 俺は言う。

「俺は生きているんだ。俺は生きているんだよ」

 死んだのは俺以外の家族だ。母さんと弟と、親父だ。

 俺一人が生き残った。親戚に引き取られて、そうしてこの家もそのまま残してしまっていた。俺に気を使った親戚は今まで俺の実家からすすり泣く声がすると教えなかったのだ。

 自分が死んだと気づかず親父はここで一人暮らしていたのだ。

 だから俺は親父に会いに来たのだ。

「大丈夫なんだ俺は。確かに昔は辛かったけど、ちゃんと幸せにやっている。大丈夫なんだ」

 そう言って、親父は今日初めて悲しい顔が消える。

 俺は生きている。今もこうして生きている。それは辛い悲しみも、超えていけるし、超えていったということなのだ。

 だから俺はそれを親父に伝えたかったのだ。

 もう、悔やむことも、悲しむこともせず、安らかになってくれて良いと。俺はそれを伝えにここにやって来たのだ。

「そうか、そうだったのか」

「ああ」

 そう言って親父はゆっくりと消えていく。

 幽霊でありながら親父は歳を取っていたのに、消えていくにつれて過去のたくましい親父の姿に戻っていく。

「結婚おめでとう」親父が完全に消えると同時に、そんな声が聞こえた。

 俺は一人、誰もいない。ずっと昔に人が住むのをやめた実家でお茶を啜る。そのお茶は、もう冷たい。ぽたり、という音がして畳が滲んだ。

 それでも俺は、ちゃんと生きている。親父とは違う強さで、確かに生きている。

(了)