阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「橋ですれちがう女」川畑嵐之
毎日、同じ橋ですれちがう女性がいた。
それも朝夕の二回。
その若い女性は長い髪をなびかせて、複雑な香水を発散させ、ブランド物のバッグを肩にかけて、うつむきかげんに足早に通りすぎていった。
こっちも通勤の行き帰りにすれちがっているわけだから、おそらく通勤しているのだろう。
大学生でも通じるほど、かなり若そうではあったが。
おかしなものである。朝夕毎日すれちがうなんて。こちらは駅から職場に向かい、夕方は職場から駅へ向かっているのだから、彼女は駅を目指し、そして駅から自宅に帰るのだろう。
こちらとしては、こうも毎日すれちがうと気になってくる。
でも、彼女にほうはというと、サラリーマン風情のおじさんに興味なんてないのか、目もくれない。
ま、視線をくれてもイヤな表情をされたら、それはそれで残念苦痛だが。
しかし、それがこうも毎日すれちがい、それもうつむきかげんの顔がけっこうかわいいとなれば、ぐんぐん興味も湧いてくるものである。
それでついやってしまったのである。
彼女が珍しくうつむきかげんな顔でもなんとなく笑っているように見えた。
なにか良いことでもあったのだろうか。彼氏とでも楽しいときを過ごしたのだろうか。それとも友だちとどこかにでも行ったのだろうか。
機嫌が良さそうなので、つい、調子に乗った。すれちがいざまに、こう声をかけてしまったのである。
「よくすれちがいますね。それも毎日二回も」
「はい?」
すると彼女は顔をあげ、顔を左右にふり、見回すと、私なんか見ないで不安そうに駆け去っていったのである。
一瞬、わざと見えないふりをして無視されたと思いました。
でも、そのとき彼女は本当に見えていないのだと気づきました。
それと彼女の顔を初めてまじまじと見ました。
彼女は、ある女性に似ていました。
そうです。うちの会社に新卒の新入社員として入ってきた明美という女性です。名前のとおり、明るく美しい女性でした。私は一目で惚れてしまいました。妻がいるというのにです。
彼女は最初、会社の一先輩として接していてくれていたのでしょう。
でも私が好意を持っているということはすぐに気づいたようです。
私も妻がいるということは、同じ会社なので隠しようがありません。
だからもんもんとした日々をおくっていました。
彼女もまんざらでもないようで、私が妻と離婚してくれるならという条件でつきあってくれるようになりました。
私はとびついて明美とつきあうようになりました。
妻はもちろんのこと、会社のみんなには内緒です。
でも、にえきらない私に明美はしびれをきらそうとしていました。
私はもうしばらく待ってほしいと懇願しました。
早く奥さんと別れて結婚してくれないと、すべてをばらすと脅すのです。
困ったことに妻になんの落ち度もないし、不満もないということです。ただ、明美が好きになっただけなのです。
それでも意を決して、妻に離婚してほしいと言いました。妻は激怒して、絶対離婚しないと宣言しました。
困り果ててしまいました。明美にそのことを言うと、これまた話しが違うと激怒し、ついには会社で言いふらし始めたのです。
私は会社で白い目で見られ、たいへん居づらいものになりました。
そして会社からの帰りの夕方に、この橋の上から衝動的に自殺したのです。
なんとも哀れな男です。いや、自業自得ということでございましょう。
それから毎日朝夕に橋の上ですれちがっていた明美にすこし似た女性は、この橋から百メートルほど上流にある橋を髪なびかせて通るようになったのであります。
(了)