阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「命に代えても」村木貴昭
俺は隣ですやすや眠る奈央の横っ腹をくすぐった。奈央は幼稚園児だ。
「奈央、起きろ。遊園地いくんだろ」
「パパ、やめて。起きた、もう起きたっ」
奈央が笑いながら転げまわる。いろいろあって奈央に母親はいない。でも寂しいなんて言わせない。なんたって俺は父親だ。
仕事柄なかなか休みが取れなかった。久し振りに取れた貴重な休み。その休みを利用して奈央と遊園地に行く約束をしていた。
遊園地には奈央が通う幼稚園のお友だち小町ちゃんとその両親も一緒だった。入園口から延びる行列に奈央と小町ちゃんが手を繋いで行儀よく並んでいる。その姿に俺の口元は自然とほころぶ。天気もいいし気分は最高だ。
そのとき、スマホに着信が入った。嫌な予感が背筋に伝わる。画面を見て一気にテンションが下がった。まさしく上司だ。
「わりい、取引が入った。おまえが行って、いつもみたくやってくれや」
どんな無茶だろうと上司には逆らえない。「うう、しょうちました」喉元につかえる言葉を無理やり吐きだす。
隣で心配そうに見ていた小町パパに、「すいません。急に仕事が入っちゃいました」耳打ちするように囁くと頭を下げた。
「いいですよ。奈央ちゃんがいたら小町も喜ぶし。行ってきてください。サラリーマンの宿命です。そういうのはお互い様ですから」
「そうよ。気にしないで。あたしがふたりのお母さんやるから。お仕事がんばって」
俺がもう一度頭を下げるのを見て小町ママがいつもの明るい笑顔で励ましてくれた。
「ごめん、奈央。仕事が入った」
「パパのうそつき。一緒に遊ぶって、やくそくしたのに」寂しそうに唇を尖らす奈央に手を振ると、俺はすぐに背を向けた。ごめん、奈央。俺は父親失格だ。ぐっと涙を堪えた。
取引現場は遊園地から近いホテルだった。途中の駅で同僚と落ち合い、鍵を受け取る。
同僚とホテルに入るとフロントを抜けて取引先が待つ部屋の扉をノックする。
スーツ姿の体格のいい男に案内されて部屋に入ると、さらに男が五人、軍隊さながら部屋の中をきっちり取り囲んでいる。その中心にどっかり座るスキンヘッドの老人が鋭い目つきで俺を見た。「ブツの鍵をもらおうか」
俺たちの取引は互いにロッカーを使う約束になっている。「ここにある」俺がポケットに手を入れた瞬間、老人の横に立つ男が俺の手首を掴んだ。男は俺から鍵を奪い取る。
「こっからすぐの駅、改札を出たところにあるロッカーだ。その中にブツがある」うわずりそうになる声を俺は無理やり抑えた。
男はすぐに部屋を出ていった。
「鍵は?」俺がドスを利かせた声を出すと、「ブツを確認してからだ」周りに立つ男のひとりが喚いた。ずいぶんアンフェアな取引だ。
ピリピリと張り詰めた空気の中、時間が流れる。俺たちは老人を前に囲まれていた。
「ボス。電話です」老人の手にスマホが渡された。老人はふんふんと頷いたあと、近くに控えた男にニヤリと顎を向けた。
「場所は書いてある」男が俺にロッカーの鍵と一緒に紙切れを渡してきた。その紙切れに目を落とした瞬間、声をあげそうになった。奈央たちがいる遊園地の名が書かれてあった。
俺は同僚と遊園地に向かった。こんな形でふたたび来場するなんて夢にも思わなかった。ロッカーには現金が入っている。同僚とはロッカーを確認したら別れることになった。それからあとは自由。つまり奈央と遊べる。
ロッカーは、幼児用コースターの前にある休憩所内に設置されていた。鍵を取り出しロッカーを開ける。中にはボストンバッグが詰め込まれていた。
俺は周りを見回しバッグを開けた。
ひっ。覗き込んだ瞬間、ふたり揃って悲鳴に似た声をあげた。中に現金は入っておらず、タイマーがついた大量のダイナマイトが入っていた。時限爆弾だ。しかも、59、58、……。残り時間が一分を切っている。
「逃げろ」同僚は一目散に逃げ出した。俺も慌てて同僚の背中を追いかける。そのとき、目の前に並ぶ子どもたちの姿に目が留まった。
奈央がいた。小町ちゃんと手を繋いでニコニコ笑って並んでいる。わが子を見捨てて逃げるわけにはいかない。俺は父親だ。
俺は夢中でバッグを掴むと駆け出した。頭の中でカウントダウンしながら人気のない場所を探す。どこも人で溢れている。ダメだ。間に合わない。それでも走った。混みあう人ごみからようやく視界が開ける。広場に池が見えた。俺はバッグを胸に抱えると池に向かって猛然とダッシュした。あと何秒だろう。奈央のことを想った。父親までいなくなったら。脳裏によぎる悪い予感。バッグを池に放った。その瞬間、目の前が白くなった。耳をつんざく轟音と爆風。体が吹き飛ばされた。
よかった、間に合った。奈央と遊べる。
(了)