阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「荷物」本間文袴
彼の部屋からは、駅がよく見えた。
三階建ての古いアパートの二階の角部屋に入って三年になる。目と鼻の先に駅があるため、暇なときは窓から様子を眺めることが多い。それなりの大きさがある駅のため人の出入りも多く、見ていて飽きなかった。
毎朝、同じ時間に駆け込んでくる人、車で見送りにくる人、疲れたように駅から出てくる人、様々だった。中でも特に気になるのが、出入り口付近に設置されたコインロッカーの利用者たちだった。
旅行客と思しき人は大きなキャリーバッグを重そうに持ち上げ、どうにかこうにかロッカーに押し込んでいく。大体は小型の荷物を入れていく利用者だが、たまに目を引く者もいた。
その利用者に気づいたのは夕暮れ近くになった頃だった。夕日を浴びて電信柱の影が長く伸びているのを何とはなしに見ていたとき、駅から出てきた一人の男がいた。黒いスーツを着た若い男で、少し痩せ気味の体躯はひょろ長い印象を与える。黒い仕事鞄と皺の寄った茶色い紙袋を提げ、猫背加減でのろのろと歩いているのを目で追っていると、不意にその男は動きをとめた。どうしたのだろうと思っていると、くるりと踵を返して駅へ戻っていく。そのまま真っ直ぐロッカーに近づくと、持っていた紙袋をごそごそと丸め始めた。どうやら中に入っているものは小さいものらしかった。
男は紙袋を丸めながら、しきりに改札の方を気にしている。気遣わしげにしながら財布を取り出し、そそくさとロッカーに紙袋を押し込んで鍵を掛けると、あっという間にもと来た道の向こうに消えていってしまった。先程の足取りが嘘のような急ぎ足だった。
一部始終を窓から眺めていた彼には、男の行動が奇怪に思えた。最初に見たとき、男はひどく思いつめた表情をしていた。そして、焦ったように荷物をロッカーに片づけ、気掛かりそうな顔をしながら足早に離れていったのだ。
まるで何かを隠しているかのようだと、彼には感じられた。
そのまま男のことを考えるうちに時間はすぎ、帰宅者の一団が駅から溢れ出てきた。どうやらラッシュの時間帯になったらしい。駅から四方へ散っていく人々を目で追っていると、一人の若い女に目が留まった。急ぎ足で家路につく人の群れから一歩離れ、壁際で鞄の中を覗き込んでいる。グレーのスーツを着たその女は、自分の荷物の中身を見ながら考え込んでいるようだった。首をかしげながら暫くそうしていたが、思いついたように鞄に手を入れて何かを引っ張り出した。取り出されたのは黒い厚手のビニール袋に入った何かで、細長いものにように見える。女はそれを手にロッカーへ歩み寄ると、先程の男が荷物を入れた場所のちょうど反対側の端にビニール袋をしまって、そのまま駅を出ていった。
その女もまた、少し不安そうな顔をしていたのが、どうにも彼の想像力を掻き立てる。
もしかしたら、あの細長いものは刃物かもしれない。あの女は何かをする算段をたてているのではないか。今日、実行に移すか迷って、とりあえずあのロッカーに隠したのかもしれない。それに、あの男も怪しい。あの紙袋の中身は、ひょっとしたら何か危ない取り引きに使われるのではないか……。
彼は頭の中で様々な事件の連想を繰り返しながら眠りについた。
次の日から、彼は夕方になると例の二人が現れるのを待った。大体は男が先に現れ、ロッカーの中を確認しては入れ直し、さっさと帰っていく。その一本あとくらいの電車で女が現れ、やはりロッカーを確認してから去っていく。たまに順番が逆になることもあったが、ロッカーの確認は毎日のように行われた。
気忙しく行われる確認作業は、彼の想像力をますます豊かなものにしていった。
一週間程たったある日、いつものようにロッカーを覗く男に近づく人影があった。見れば、普段はあとから来るはずの女が自分のロッカーを開けている。中の荷物を女が取り出すのと、ロッカーに頭を突っ込んでいた男が顔を上げたのは同時で、顔を合わせた二人は仰天した表情をした。互いにしどろもどろな様子で言葉を交わしているようで、双方とも顔が引きつっている。
暫くして決心をしたような表情で、女の方が袋の中に手を差し入れた。まさか、ここで何かしでかすつもりかと息を呑んで見つめる先で、女が取り出したのは細長い箱だった。それを見た男が慌てるようにして自分の袋から小さな包みを引っ張り出す。どちらも美しく包装されたそれを二人して見つめ、そして同時に破顔した。お互いに何かを言って頭を掻き、包みを交換して仲睦まじく帰っていく。
なんてことない、一組の男女が互いの贈り物を内緒にしていただけのことだったのだ。
(了)