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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「高村」タカハシタイセイ

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第61回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「高村」タカハシタイセイ

玄関から一歩踏み出した足が何かを踏んだ。またやられた―。高村は踏み出した足を見下ろした。嗅ぎなれた匂いが鼻をかすめる。なんだこれ、マヨネーズかよ…。

謎の嫌がらせが始まったのは二週間ほど前だ。初めはポストに溜まっていたチラシ類が地面にばらまかれていた。自転車のタイヤの空気が抜かれ、洗って外に干していたスニーカーに泥をかけられた。警察に相談したが、証拠がないと何もできないと言われた。

何か心当たりはありませんか?警察は言ったが、高村には思いつかなかった。自分で言うのもなんだが、高村は周囲の人間に好かれていると思う。職場の人間関係も良好だし、友人ともうまくいっている。玄関先にマヨネーズをばらまかれるほど恨みを買った覚えはなかった。

革靴を脱ぎ、スニーカーに履き替えた。マヨネーズの海を飛び越し、高村は出勤した。帰ってから掃除しなくてはならない。隣近所に不審がられるな。高村は苦々しく思った。

定時で仕事を切り上げ、高村はホームセンターで防犯カメラを購入した。スマートフォンでどこでも画像が確認できるタイプを選んだ。ホームセンターには様々な防犯カメラがずらりと並んでいて、時代だな、と高村は思った。

帰宅し、いろいろ迷った末ドアの真上に取り付けることにした。付けただけで嫌がらせは止むかもしれないと思ったが、本心では犯人の撮影に成功し、現行犯で捕まえ正体を暴きたかった。

三日ほどなにも起こらなかった。高村はアパートにいる間、なにか物音がすればすぐに映像を確認したし、会社でもトイレに行くたびに確認した。やはりカメラに気付いて止めたのかもしれない。

取付から四日目の夜、家で高村がテレビを見ていると、がちゃんと外で音がした。高村は素早く映像を確認し、危うく声をあげそうになった。画面に男の顔が大写しになっているのだ。高村は玄関に走りドアを開けた。重いものにドアがぶつかりぎゃっと声がした。男が脚立から転げ落ちる。

「なんだお前」

高村は叫んだ。男は床に這いつくばっている。高村は胸倉をつかんだ。

「すみません」

男は両腕で顔を覆いながら言った。高村は腕をつかんで引き離した。二十代前半、幼さが顔に残っている。見覚えは無かった。

「誰だお前。なんで俺に嫌がらせするんだ」

「すみません、本当にごめんなさい」

「謝ってないで言え。まずお前は誰だ」

「僕は…僕は、近所に住んでるヤマザキっていいます。金輪際しませんから見逃してください」

「見逃すわけがないだろう。なんで俺に嫌がらせする」

「それは…」ヤマザキは言葉を切り、唾をのみ込んだ。「それは…あなたが高村さんだから」

「はあ?」

「あなたが『高村』さんだから、こうせざるを得なかったんです」

高村は言葉を失った。こいつは一体何を言っているんだ?

地面にへたり込んだヤマザキが話し出す。

「実は、この前まで働いてた会社の上司が『高村』って名前だったんです。その社長にパワハラ受けてました。クズだのゴミだの言われたり、殴られたりしました。うつ病になって、やっとの思いで辞められたんです」

高村は思わず自分の両手を見下ろした。

「うつ病が治って、たまたまこの辺を通ったらポストの『高村』って文字を見つけました。もちろん上司の家じゃないことはわかってます。でも『高村』って字を見た途端、自分でも分からない感情が沸いてきて、気付いたらポストにたまってた郵便物をぶちまけてました。それでも気持ちが収まらずに嫌がらせをしてました。本当にごめんなさい。もうあなたにはしません」

高村は呆然とヤマザキの話を聞いていたが、最後の言葉で我に返った。

「あなたにはって?もしかしてほかの高村さんにやるつもりか?」

「見つけたら、やると思います」

ヤマザキはうなだれた。

「自分でも止められないんです。『高村』って字を見ると、何かに取り憑かれたみたいになります。自分が自分でなくなります。こうなったのも高村って上司が悪いんです」

ヤマザキはよろよろ立ちあがり、脚立を畳んで脇に抱えた。

「本当にすみませんでした。もうここには来ません。別の高村さんを見つけます。幸い、珍しい苗字ではないですから」

それが冗談なのか、高村には判断ができなかった。ヤマザキは背中を丸め、とぼとぼと夜の闇に消えていった。

(了)