阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「虚空の弔い」水曜
「うーん」
場合によるが、遺言書というのは文面に悩むものだ。机に向かってずっと睨めっこしてみたが、筆は一向に進まない。
「随分苦戦しているようね」
相棒のソラが、肩を叩いてきた。いつも笑顔を絶やさない彼女は、今日も快活な笑みを浮かべている。
つられて、こちらも自然と口元が綻ぶ。
「どうも、何も浮かばなくてね」
白紙の遺言書を手に、私はお手上げのポーズを大仰にして見せる。
書くべきことは、幾らでもあるはずだった。
感謝の弁だとか。あるいは謝罪の意思か。
もっと散文的になけなしの財産についてだって良い。
ただ、ペンを持って向かい合った途端に全てが霧散してしまう。頭の中が虚ろとなって、再現なく心が空っぽとなる。
「遺言書を残しておくのは規則で決まっているのだから、ちゃんと書かないと」
何気ないソラの言葉が、ずしりと重くのしかかる。
「そう言うソラは、もう遺言は書き終わっているの?」
出来る限り自然体を装った私の質問に、年若いソラはあっさりと首を縦に振る。
「もちろん。あなた以外は皆書き終わっているわよ」
「……そうなんだ」
「何て書いたか知りたい?」
「まあ、ちょっと興味はある」
「それじゃあ、私が死んだ後に教えてあげる。
あとね、そろそろ仕事の時間なわけだけど」
ああ、わざわざ呼びに来てくれたわけか。
随分と無駄な時を過ごしてしまっていたようだ。つまらないことを悩んでいるくらいなら、身体でも動かしていた方が健全だ。
私は大仰な宇宙服に身を包み、ソラと一緒に船外に出た。どこまでも続く夜の中、跨ったマシンを操って文字通り宙を移動する。
「さて、今日もはりきってやりますか」
ゴミ拾いを。
広大な宇宙空間に漂うスペースデブリの回収。それが私達の仕事だった。
人類の宇宙開発が激化する昨今。
大気圏外のゴミ問題は、深刻なレベルへと達していた。使用済みの宇宙船やら人工衛星やらよく分からない部品やらが、気軽にウヨウヨと野放しになっている。
現に今、私達の眼の前には大量のタンクが漂流していた。どこぞのマナーの悪い連中が捨てていったのだろう。
「まったく、拾っても拾っても切りがないな。片付けるこっちの身にもなれっての」
ぶつぶつ愚痴を呟きつつ、私は作業用アームでゴミを掴んではマシンのコンテナに載せていく。
「まあまあ、こういうデブリがいくらでもあるから仕事に困らないわけだし」
ソラからの通信音声が入ってくる。
優秀な彼女は私などより格段に手際良く、ゴミを次々と運び出していた。
「それに、誰かが宇宙ゴミの掃除をしないと皆が困っちゃうよ」
真摯なソラの意見は正しい。
デブリが飛翔する航路を、宇宙船が航行するのは非常に危険な行為だ。衝突すれば大惨事に繋がる。
「でもさ、ソラ。こうやって宙に浮かんでばかりいると時々虚しくなってくるんだよ。もう長いこと陸にも降りていないし」
おまけに私達の仕事は危険と隣合わせだ。
極力安全には気を遣っているものの、宇宙での作業は常に死がつきまとう。
遺書をしたためるのも万一のためだ。
「ソラはさ。この仕事好き?」
「うん、好きだよ」
ソラの答えには迷いがない。
「この空が好き。この宇宙が好き。いつか自分の船を持って、虚空の彼方を旅するのが夢だから」
希望と未来が詰まった言葉だ。
彼女はいつも楽しそうだ。陸を恋しがる私以上に、ソラはこの無重力の暗闇に恋をしていた。
目を合わせると、変わらず彼女は笑っていて……激しい閃光と爆発に包まれる。
後から分かったことだが、デブリの中に精巧に偽装された機雷が混じっていたのだ。戦時中に仕掛けられて放置されたものだろう。
奇跡的に一命をとりとめた私は、ソラの葬儀に参列した。我が相棒は、遺言でこともあろうに宇宙葬を希望していた。
遺体を収容したカプセルが、宇宙空間に放出される。虚空の彼方へ旅に出る彼女が、無数のデブリの一つとなるのを見送った。
願わくば、私や私の同業者達にあの棺が発見されないようにと強く祈る。
私の遺言書は未だ真っ白なままだ。