公募/コンテスト/コンペ情報なら「Koubo」

阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「まやかし」深愛

タグ
作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第54回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「まやかし」深愛

ショウウィンドウのマジックミラーに映る自分の顔を見ながら、髪型を整える若者たち。その様子を見るだけで、和子の心には、羞恥心と恐怖心が交互に押し寄せてくる。

和子には、二つ年の離れた姉がいる。黒い髪は艶やかで、陶磁のように白い肌を際立たせ、くっきりとした二重、長すぎない鼻梁、少し小さめの口が、シャープな輪郭に収まっていた。凛とした百合のような姉に、誰しもが賞賛の声を惜しまなかった。和子は、自分の顔も姉と同じ作りになっていると思い込んでいた。姉妹なのだから、当然だ。周囲からは、「和子ちゃんは、お姉さんと似ていないのね」と言われるが、何を言っているのか理解ができなかった。小学校のスクールバス乗り場の前にある美容室の窓に映る自分は、姉と同じ顔だ。毎朝、そこで眉にかかる前髪を整えるのが、和子の日課だった。和子の髪は、母親が空かし鋏で、肩の辺りの長さに切り揃えていた。母親の手際はよいとは言えない。和子は、姉に似た艶やかな自分の黒髪が、母親の手には負えないような気がしてきた。小学校六年生になった時、姉のように美容室で髪を切ってみたいと、母親にねだった。中学生の姉は、スクールバス乗り場の前にある、あの美容室に足繁く通っていた。

姉と同じ世界へ足を踏み入れるなんて、夢のようだ。和子が、そろりと美容室の扉を開けると、茶髪を頭の後ろでまとめた店員が、「いらっしゃいませ」と、明るく声をかけてきた。それと同時に、その店員が、斜め後ろにいた紫の髪の青年とニッと笑みを交わす。ふっと、和子が感じた一瞬の違和感は、美容室のキラキラ輝く装飾とシャンプーのよい香りにかき消された。和子は、美容室の一番奥の椅子に案内された。初めて座る革張りの椅子は、和子の心のようにふわふわとしていた。体にかけられたクリーム色のケープが何だかくすぐったい。「髪をまとめていきますね」と、茶髪の店員が和子に声をかけ、クリップで髪を留めていく。後ろ髪を頭頂へ、左右の髪をそれぞれ横へ、最後に前髪を掻き上げられた時、和子は、信じられないものを見た。

目の前にいるのは、誰だ?

垂れ下がった眉、一重の小さな目、申し訳程度についた鼻、口角の下がった唇、下顎の張った輪郭……。眩しいほどの光で照らされた美容室の鏡は、真実を映し出していた。

いや、そんなはずはない。

和子は、即座に思い直した。この美容室の窓に映っていた自分は、姉と同じ顔だったはずだ。恐る恐る目を横に向け、いつも覗き込む美容室の窓を見た。その窓は、街路樹の葉の一枚一枚や、歩道を行き交う人々の表情を鮮明に映し出していた。マジックミラー……。その存在を人生で初めて知った。その名の通り、和子は魔法にかけられていたのだ。毎朝毎朝、この美容院の窓を覗き込み、前髪を整えていた。入店した時の店員たちの目配せの意味が分かった。顔が一気に熱を帯び、鏡の中の和子は、まるで子猿のようだ。「姉と同じ顔の自分」という、和子が築き上げてきた自己像は、粉々に打ち砕かれた。あの日から、和子は、顔を覆うように前髪を長く伸ばし始めた。「貞子」が、和子の通称となるまで、そう長くはかからなかった。

梅雨のオフィス街は、湿気をはらんだ風が吹き抜けている。うねる髪が、水分を含み、顔に張り付く。その鬱陶しさに、和子は、思わず、前髪を掻き分けた。雨の気配がする。雲の様子を見ようと、顔を上げた時、ある二文字が浮き上がるように目に飛び込んできた。

「整形」

七階建てのビルの五階の窓に印字されたその二文字は、和子の胸を激しく揺さぶった。強力な磁石で引き寄せられるように、ふらふらと、そのビルの五階を目指す。扉の先は、無機質な空間だった。万人受けする顔の受付嬢が、ニコリと、和子を迎え入れた。名前や病歴など簡素な問診票を記入し終えると、診察室へ通された。そこには、白髪で恰幅のよい中年の医師が椅子に座っていた。医師は、おずおずと診察用の椅子に腰かける和子の顔を凝視する。「どうなりたいの?」と、医師は不愛想に十和子に問うた。愚問だ。和子は、姉の顔を詳細に、前のめりになって説明した。

「とりあえず、二重にしとく?」

医師は、軽く一杯とでも言うような口調で和子に提案した。和子は、即座に頷いた。医師の元へ通う度、「とりあえず」が増えていく。高卒で事務職として働く和子の月収では、とうに賄いきれないほどの整形費用になっており、生活を圧迫していた。それでも、和子は、姉の顔のパーツを少しずつ手に入れてく快感に酔いしれていた。しかし、今、姉が和子を見ても、誰とは分からないだろう。栄養失調で、櫛が通らないほど乾燥した髪、落ち窪んだ眼窩と頬、血色を失くした唇、枯れ枝のような体。よろよろと覚束ない足取りは、まるで棺桶から這い出たゾンビのようだった。