阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「待ち人」十六夜博士
空が夕焼けに染まる頃、キリンの花子は直立不動で遥か遠くを眺めていた。
待ち人来らずーー。
花子がおみくじを引いたなら、そんな言葉が書かれているのではないか。そうでない事を願いながら、夕陽に赤く照らされた花子を私はジッと眺めていた。
動物が好きで、私は小さな動物園の飼育員となった。もう勤め始めて五年になる。動物園の飼育員は結構ハードな仕事だけど、大好きな動物の世話が出来るのが幸せだった。
花子はうちの動物園でも人気者のキリン。特に最近は話題を集め、花子目当てで来る人も多くなっていた。
花子が話題を集め始めたのは、六ヶ月ぐらい前。ある日、花子の頭にスズメが留まるようになった。花子は全く嫌がらず、スズメも心地よさそうに、花子の頭を占拠した。いつしか、そのスズメはチュン太と名付けられた。そして、徐々に話題になっていった。
そのチュン太がここ数日現れない。
それ以来、花子は遠くを見つめ続けるようになった。いや、チュン太の件とは関係なく、昔から花子は遠くを見つめていたのかもしれない。でも、自分には、やっぱり、チュン太を探しているに違いないと思えた。
この前、3つ下の妹の結婚が決まった。自分が姉より先に嫁いだ事が後ろめたいのか、妹は急に私のことを心配し始めた。
(お姉ちゃんはどうなの?)
(どうでもないよ・・・)
(職場に好きな人とかいないの?)
うーん、と首を傾げた。
(もしかして・・・)と悪戯っぽく微笑み、(お姉ちゃんは奥手だからな。でも、待っているだけじゃ、ダメだって)と、妹のくせに偉そうなことを言った。
(いや、待ってないし)
私の口先が否定した。
「また、花子見てるのか」
背後から声がする。高杉さんだ。私の3つ先輩で、動物飼育に全身全霊を捧げている。尊敬できる人だ。
花子から目を離さない私の横に並びかけ、「やっぱ、チュン太来ないか」と聞いた。
「はい」
「そうか・・・、なんか花子、寂しそうだな」と言った高杉さんに、ええ、と同意し、二人でしばらく花子を眺めた。花子は遠くを見つめたまま、赤色を濃くしていった。
「高杉さん、キリンってなんで首が長いんでしょうね?」
突然の私の質問に、えっ、と驚きながらも、進化だろ?と高杉さんは答えた。
「エサが限られた草原で、首が長ければ高い木の葉も食べられる。それはとても有利なことで、首が長いものが生き残っていく。結果、キリンの首は長くなった・・・」
私がお経のようにダーウィンの進化論を唱えると、その通り、と高杉さんが合いの手を入れた。
「でも、最近、そうじゃないんじゃないかと思うんです」
高杉さんが私に顔を向けるのがわかった。きっと、怪訝な表情のはず。
「キリンは何かを待っていたんじゃないですかね。花子のように。首を長ぁくして」
花子を見ていると最近素直にそう思うのだ。でも、ホントに花子のこと? 言った後、意味深なので、ちょっと後悔した。
高杉さんに顔を向けると、高杉さんはフッと笑った。
「じゃあ、俺の首もいずれ伸びるかもな」
「えっ? 高杉さんは何を待ってるんですか?」
「ん、晩飯の時間」
ハア?と思いつつも、「高杉さんらしい」と笑った。心配して損した。
「今日もハードワークで、もうぶっ倒れそうだよ」
高杉さんは、今にも気絶しそうな表情で戯けた。
「そういや、最近、一緒に飯行ってなかったな。今日はあがりだろ。食べに行かないか?」
「どこに行くんですか?」
「そうだな。いつものフレンチでフルコースといくか」
行きつけの定食屋さんに決まってる。
「じゃあ、連れてってください。フルコースに」
高杉さんは、ハハッと笑いながら、よし行くぞ!と事務所に向かい歩き始めた。
花子をもう一度見る。まだ、遠くを見たままだ。花子の首が少し長くなったように感じる。週末、今年まだ引いていないおみくじでも引きに行こうか。花子の分も。私はちょっと遠ざかった高杉さんを追いかけて、小走りに花子のもとを離れた。