阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「小さな恋の話」いとうりん
恵さんの想い人はキリンさん。キリンと言っても、首の長いあの動物じゃない。カフェで働く店員さんだ。背が高くて穏やかで、おまけにベジタリアン。黄色のエプロンがやけに似合うから、キリンさんと呼ばれている。
私は、このカフェのオーナーの娘で、名前は香帆。女子高に通いながら、時々店を手伝っている。キリンさんは、私が小学生のときから、ここで働いている。大学を卒業しても、就職もせずにアルバイトをしている。今年で六年目だ。それってどうなのって思うけど、キリンさん目当ての女性客が多いから「ずっといていいよ」とパパは言っている。
常連客の一人、恵さんの想い人はキリンさんだ。態度を見ていればすぐにわかる。気づかないのは鈍いキリンさんだけだ。恵さんは、清楚で優しいOLさん。キリンさんの取り巻きの中では一番の美人だ。私は、ふたりの恋のキューピットをしてあげることにした。お似合いだし、高校生の私にも、ちゃんと敬語で話してくれる恵さんに好感を抱いていた。ある日恵さんは、私にそっと囁いた。
「キリンさんって、彼女いるんですか?」
「いないと思うよ。無骨な奴だからね」
敬語を使わない女子高生にも、恵さんは嫌な顔をしない。頬を赤く染めて、嬉しそうにうつむくのだ。なんて可愛い人だろう。女の私でも、思わず抱きしめたくなる。
少ない小遣いの中から、映画のチケットを三枚買った。土曜日の昼下がり、カフェの客は恵さんしかしない。いよいよ恋の大作戦だ。
「ねえ、キリンさん。映画のチケットもらったんだけど行かない?」
わざと大声で言う。チケットを見せたら、キリンさんはすぐに飛びついた。
「あっ、これ観たかったやつ。いいの?」
キリンさんは、大きな手でチケットを受け取った。嬉しそうな笑顔が目の前にあった。膝を折って屈んで、いつでも目線を合わせてくれるキリンさんは、そのせいか少し姿勢が悪い。私は、フロアでこちらをチラ見する恵さんに、もう一枚のチケットを渡した。
「三枚あるから、一緒に行かない?」
「えっ、いいんですか? 悪いわ」
私は彼女に目配せをする。「あたし途中で消えるから」と耳元で囁く。恵さんは、頬を赤く染めながら「ありがとう」と言った。
さて当日、映画館の前で待ち合わせ。頭一つ抜けているキリンさんは、どこにいたってすぐに見つけられる。白いシャツにジーンズ姿。エプロンがないと別人みたいだ。
恵さんが来た。淡いピンクのワンピース。どこまでも清楚な人だ。三人揃ったところで、私はわざとらしくスマホを耳に当てる。
「えー、今から。マジで。わかったー」
小芝居をして二人を振り返る。
「ごめん。彼氏から呼び出し。あたし抜けるね。映画はお二人でどうぞ」
「えっ、香帆ちゃん、彼氏いたの?」
キリンさんが私の顔を覗き込む。嘘がばれないように背を向けて「彼氏くらいいるよ。女子高生なめんなよ」と言いながら、一気に走った。人ごみを抜けて振り返ると、遠くにぼうっと佇むキリンさんが見えた。
「うまくいったら、何か奢れよ。お二人さん」
絶対聞こえない距離でつぶやいた。
家に帰っても、何もやることはない。何だか虚しくなってきたけど、これでいい。
私の想い人はキリンさん。小学生の時からずっと同じ。だけどまるで子ども扱いだし、もういい加減片想いにも疲れたし、いっそキリンさんに素敵な彼女が出来ればいいと思った。恵さんとだったらお似合いだ。これで私もきれいさっぱり次に進める。
夜になって、恵さんから電話が来た。
「香帆ちゃん、今日は本当にありがとう」
「夕飯奢ってもらった?」
「ええ、お好み焼きを二人で食べたわ」
お好み焼きかよ。もっといい店なかったのかよ。まあ、キリンさんらしいけど。
「最後に、いい思い出ができたわ」
恵さんがポツンと言った。
「最後って?」
「私、もうすぐ実家に帰るの。母の具合が悪くてね。たぶんもう、カフェに行くこともないと思うわ」
「えっ? でもいいの? キリンさんのこと」
「ええ、もういいの。キリンさんが好きな人は、私じゃないもの。本当はとっくにわかっていたのよ」
「えっ、だれ?」
恵さんは、ふふっと笑った。
「いつも近くにいる、口の悪い女の子よ」
えっ? それって私? いやいやまさか。
「キリンさんはね、彼女が大人になるのを待っているのよ。きっと首を長~くしてね」
キリンだけに、と恵さんはコロコロと笑った。そんな冗談言う人だっけ? 私は耳まで真っ赤になった。明日から、どうすりゃいいのさ。