阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「商店街の神様」まりそう
パンプスのヒールが取れかけていたので、買いに行かなければならなかった。今日気付いて良かった、と思った。気付くのが明日の朝だったら、と思うとぞっとした。明日は朝から面接試験があるのだ。
駅前のショッピングモールまで行く元気がなかった。近くの商店街にあるといいのだけど。麻子はブーツを履くとアパートを出た。
商店街のアーケードの中は、夕飯の材料を求める主婦や冬休みに入った子ども達で、まあまあの賑わいだった。
近くに住んでいながら、麻子はあまりこの商店街を利用したことがなかった。たまに惣菜を買いに来るぐらい。大学に行くには、駅前からバスに乗らなければならないから、普段の買い物は自然と駅前のショッピングモールで済ませることが多くなる。
明日の朝、この商店街をまたリクルートスーツを着て歩かなければならない、と思うと気持ちが沈んだ。コートを羽織っていても、黒いパンプス、リクルートバッグ、後ろに一つにまとめた髪。就活生なのは一目瞭然だった。
麻子には、就職活動が始まってから、ひそかに心に決めたことがあった。十二月までには内定を取りたい、というものだ。そのために企業説明会にもたくさん行ったし、インターンシップにも参加した。学校の勉強だって四年間頑張ったつもりだ。
でも、現実は厳しい。街がクリスマスムード一色になっても届くのはお祈りメールばかりである。
筆記試験まではうまくいっている気がした。でも、そのあとがいけない。運がないのだろうか。
麻子は、緊張しやすい性格だった。
明日面接試験があるとしたら、前日からそれは始まった。布団に入ってもなかなか寝付けない。寝る二時間前に風呂に入るといいとか、寝る前にホットミルクを飲むといいとか、部屋にアロマを焚くといいとか、教えてもらったことは全部やってみたけれど、それでもやっぱり眠れない。教えてくれたのは、大学のひとつ後輩の陽人だった。名前通りの温かい性格のひと。物静かな陽人と明るい麻子はなぜか気が合った。麻子は、冗談を言っては陽人を笑わせ、時には先輩風を吹かせた。就職だって、すぐに決めてみせたかった。なのに、現実は厳しい。まさか陽人と一緒に就活をすることになったりして。日ごろ威張っている先輩としては、受かったよ! と早くかっこよく言いたかった。
間口の狭い靴屋で、お爺さんがひとりで店番をしていた。就活用の黒いパンプス……と言うと奥の棚に案内してくれ、サイズを聞くまでもなく、すぐに麻子に合う物を選び出してくれた。履いてみるとぴったりだ。駅前まで行かなくてもよくなって、ほっとした。
「八百屋の横でやってるから、引いてって」
お釣りと一緒に福引券を一枚もらった。歩きながら福引券をながめると、だいぶ前からやっているようだ。もうきっと空くじばかり。ポケットティッシュってとこだろう。
列に並んだ。一等賞は温泉旅行ペア券と書いてある。いいなあ、温泉かあ。ふいに陽人の顔が浮かんだ。いやいや、ただの後輩だし。一緒に行けるわけがない。もとよりこんなところで運は使えない。麻子の番が来た。ハンドルを持ってガラガラを回した。カタン……ほら、ポケットティッシュ。いや、違う。転がり出てきたのは、七色に輝く綺麗な玉だ。なんて言ったらいいのだろう。今まで見たことがないような不思議な色だ。華やかで美しい。手のひらに乗せて、ずっと見ていたくなる。何かすごいものが当たったのではないだろうか。麻子は、思わず景品が書かれてある張り紙に目をやった。係のおじさんが困った顔をしていた。
「ごめんね、お姉さん。それ何等でもないわ。誰かが間違っていれたみたい」
「はあ……」
「お詫びに何あげようかな、ちょっと待ってね」
「いや、いいですよ、そんな」
朝子は顔の前で手を振った。もともと期待していなかったし、今日はパンプスを買えれば良かったのだ。
「ごめんね。また来てね」
背中からおじさんの大きな声が追いかけてきた。ふっと笑いがこぼれた。愉快な気持ちだった。
その晩、麻子は風呂にゆっくりつかり、ホットミルクを飲むと布団に入った。すぐに瞼がくっついた。
翌日の面接はうまくいき、後日、その会社に採用が決まった。あの日、麻子には一等賞よりも、もっといいものが当たっていたのだろう。手にはもらえなかったけれど、温泉旅行より、ずっといいものだったに違いない。