阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「オレはラッキーボーイ」広都悠里
オレは運がいい。
例えば昨日、自転車で出かけたら途中で雨が降ってきた。ファーストフードでテイクアウトをしようとしただけなのに、店についたら髪も服もびしょびしょだった。
「よかったらお使いください」
カウンターの中にいた女の子がタオルを差し出した。
「ありがとうございます」
ふかふかの真っ白なタオルはすがすがしい洗剤の匂いがした。
「店内でお召し上がりですか」
「はい」
せっかくタオルを借りたのに、また雨の中へ出て行くこともないだろう。オレは店の中で熱いコーヒーを飲み、ハンバーガーを食べることにした。
女の子からにっこりほほえみかけられてタオルを貸してもらうなんて体験はそうそうできるものじゃない。やっぱりオレは運がいい。
別の日にはこんなことがあった。バイトに出かけようとしたら、家の鍵がない。どこへ置いたんだ。
「鍵、鍵、鍵」
うわごとのようにつぶやきながら探す。さっきまで手に持っていたはずなのに、どこへ置いたんだ。やばい。このままだとバイトの時間に間に合わない。
「くそっ。どこだよ!」
もう鍵をかけずに行ってしまおうかと半分やけになった時、下駄箱の上に置いてあるのに気がついた。
「なんだよ」
鍵を探し始めてすでに十分たっていた。もう完全に遅刻だ。それでも駅まで走って行き、あわてて改札を入ったところで気がついた。
なんだか駅の様子が変だ。人が多いし、ざわついているし、さっきからアナウンスが流れている。
「さきほど、車内で急病人が出たため、電車を緊急停車いたしました。運転再開までいましばらくお待ちください」
急病人が出たのはオレがいつも乗る電車だった。いつも通りに家を出ていたら、電車に閉じ込められたまま運転再開を待つ羽目になっていただろう。
バイトには遅刻したが、オレは相当運がいい。
「ねえ、それって本当に運がいいって言えるの?」
バイト仲間の美咲が笑う。
「どっちかって言うと、運が悪いようにしか思えないんだけど」
「何事も気の持ちようです」
きっぱりそう答えたら「そのポジティブさを見習いたいわ」と感心された。
こんなことで感心されるなんて、オレは運がいい。
本当はオレは運が悪い。
そんなことは知っている。だから何度も口に出して言うんだ。
オレは運がいい。
オレは運がいい。
「今日、ごはんでも食べに行かない?」
「ごめん。今日は、用事があるんだ」
そうか。これはまだその時期じゃないっていうことだ。
「もうすぐ桜が満開になるなあ。ちょっと見に行かない?」
「花見なら、みんなで行こうよ」
まず友達からスタートが正解ってことか。
「この映画、おもしろそうだなあ。見に行かない?」
「その映画、もう見ちゃった」
誰と? 付き合っている人がいるの? 聞きそうになるのをこらえて「面白かった?」とだけ聞いた。
美咲はまだオレの気持ちに気が付いていないのだろうか。
さりげなく聞き出した美咲の誕生日に、思い切ってこの気持ちを伝えよう。
プレゼントは何がいいだろう。指輪はまだ早いよな。ネックレスなら大丈夫? やっぱり花束かな?
「ねえ、知ってる? 美咲、プロポーズされたらしいよ。ほら、左手を見て」
薬指に光る指輪がオレにジ・エンドを告げる。
オレは運がいい。プレゼントも用意せず甘い言葉を考える前にフラれたのだから。
本当はわかっている。オレは言いたい。
いったい、オレの運はどこへ行ったんだ?
そのうちまとめていいことが起こると信じたい。
だってオレは運がいいはずなんだから。