阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「余命」菅保夫
三十九歳の誕生日、何の因果なのか私は医者に余命宣告を受けた。その夜、友人たちが開いてくれた誕生パーティーは感慨深いものとなった。最高に楽しくて料理もおいしく、最後の誕生日としては申し分のないものと思える。友人たちに余命のことは言えるはずもなく、宴が終り一人になると自然に涙が流れ出した。そして久しぶりに祖母のことが思い出された。
祖母はその年代の人には珍しく、長身で足が長く頭が小さいモデル体形で顔も美人だった。その祖母がよく言っていたのだ。「お前は長生きできないから、自分の好きなように生きて行きなさい」と。年端も行かぬ子供の私に向かってである。祖母が私のことを嫌っていたわけではない、むしろ溺愛されていた私は生まれながらに病弱で、すぐ貧血になったり、風邪をひいたりもしていたが、門田はその理由である。
祖母が言うには自分は他の星から来た異星人で、地球に来て祖父と出会い結婚し、私の父となる子をもうけた。しかし異星交配のため遺伝子の組み合わせがうまくいかず、弱い体で生まれたというのだ。実際、父は二十七歳で病気のために亡くなった。その子である私も長生きできないと言うのだった。
私は子供ながら思い悩んだ。祖母にそんなことを言われたと、祖母は異星人だと友達に話したかったが、そのことを話そうとすると暗示にでもかかっているかのように口に出すことができず、誰にも打ち明けることができなかったのである。
祖母が異星人だということより、自分が長生きできないと言われたことがそのときの私には重かった。父が病死し、間もなく私の弟か妹をお腹に宿したまま交通事故で逝ってしまったので、私は極端に死を恐れた。日々の暮らしに気をつけるようになり、ことに食べものは子供らしからぬもので、スナック菓子や甘いものなど一切とらない妙な子供になってしまった。
適度な運動を心がけ、コレが体に良いという情報には飛びついていた。まるで生活習慣病の症状が出始めた初老のようだった。しかしそのかいもなく私は病に冒されたというわけだ。
私がもうじき二十歳になる頃、祖母は消えた。「里帰りしてくる」そう言って笑って手を振っていた。そのときはさすがに祖母が異星人だとは思っていなかった。しかしその日に祖母が乗った小型旅客機が消息を絶ったのである。懸命な捜索が続けられたが、機体のカケラひとつ見つからなかった。何らかのトラブルにより海に落ちたとされたが、何も見つからないのはおかしいと、しばらくマスコミが騒いでいた。
祖母がいなくなって二十年ほどたつ。祖母が言っていたように私は長生きできないらしい。一人になってからも祖母に言われたことが心にあり、私は結婚をしなかった。どうやらそれは正解だった、妻や子がいたなら後のことが心配で、死んでも死にきれないだろう。
自分の食が細くなったのは歳のせいだろうと思っていた。二日に一度のジョギングも段々と走り続けられなくなり、歩くことが多くなっていた。ふり返れば思いあたることもある、けれど気づいていながら私は病院に行かなかった。これから私の体は急激に弱り、痩せ衰えて死んでいくのだろう。先を思うと不安で恐ろしい。
墓参りに来た。死期が近づいて私も信心深くなったのだろうか、普段は半年に一度くらいしか来ない私がである。墓は死人の亡骸が入っている場所で魂があるとは思っていない。戦地で死んだ祖父と同じく、祖母の骨壺に遺骨は入っていない。しかし祖母を近くに感じる。手を合わせ目を閉じ、そして願ってみる。私は行きたいと、生きて何がしたいではなく。ただ、もう少し。否、できればあと数十年どうにかできないものかと頼んでみる。
突然右側でかすかな電子音が聞こえ、私はそちらへ顔を向けた。何もない中空が、まるで車のスライドドアが開くように四角い穴があいたのだ。夕焼けの辺りに、そこだけうす青い光がもれている。自分の目が悪くなったのかと思っていると、その四角から祖母が現れたのである。
祖母は二十年前とまったく変わらぬ姿であった。祖母はあいさつもなく、「私の星に来れば、もしかしたらお前の体を治せるかも知れない。どうだい、一緒に来てみるかい」私は何のためらいもなく、差し出された祖母の手をつかみ、そのまま四角の中へと入っていった。