阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「切符を拝見」白浜釘之
「切符を拝見させて頂きます」
車掌の言葉で目覚めた私は、しばらくここがどこであるかわからなかった。
しかし、窓外にのどかに流れてゆく田園風景を見てはっと我に帰る。
そう、私は今、ローカル線に乗って当てのない鉄道旅行をしている最中だった。
寝ぼけまなこをこすりながら、慌てていくつものポケットを探るが切符は出てこない。
「その、胸元から見えているのは……」
優しい車掌は、私の胸元のポケットから顔を覗かせている切符を指差してくれる。
「あ、ああ……これは失礼」
私は苦笑を浮かべ、切符を車掌に指しだす。
「はい、たしかに……」
車掌は切符をあらためると、窓外の景色を見つめて、
「こんな単調な景色ばかりだと、つい居眠りもしたくなりますよね」
そう言って切符を返してくる。
「いや、お恥ずかしい……ローカル線で景色を楽しむつもりで乗ったんですが、いつの間にか睡魔に襲われてしまって」
私は、焦って切符を探したことですっかり目覚めてしまった頭で車掌に言い訳をする。
「車掌さんの言う通り、あまり変化はありませんが、都会のけばけばしい看板が次々に現れては消えてゆく景色に比べれば素敵な風景ですよ……実際、転寝をしていてこんなにすっきりと目覚めたのは、かつてない体験のような気がします」
それは事実だった。
「そう言っていただけると有難いですね。なにしろ、昨今の鉄道ブームからもすっかり取り残された廃線間近のローカル線ですから」
車掌は車内を見まわす。
つられて私も車両内を見まわすが、乗客はどうやら私一人だけのようだった。
どうりでこの車掌は私に長々と話しかけてくるわけだ。
しかし、私はこの車掌に言い知れぬ親近感を覚えた。人懐っこい笑顔やこちらとの距離感の取り方など私の好みに合っていたからだ。
「失礼ですが、では、都会でお仕事を?」
車掌はさりげなく向かいの席に腰掛けてきたが、むしろ私は歓迎する気持ちだった。
「いや、もう定年退職してかなり経ちますね。これでも会社では敏腕部長で通っていたんですがね……その分敵も多くて大変でしたよ」
「なるほど、それで退職後は悠々自適の生活を?」
「そんなわけではありませんが、仕事を辞めてから、何というか張り合いを失くしてしまいましてね。仕事仕事で趣味も友人も持たず、家庭も顧みなかったものですから、子供たちともどう接していいかわからず……」
「それでこうしてご旅行を?」
「ええ……こんなことなら、もっと現役時代に趣味を見つけておくべきでした。それに子供たちにもずいぶん寂しい思いをさせていたんだろうな、と思います。もっと一緒にいろんな場所に連れていってあげていたら、退職後も思い出話ができただろうにって」
「お子さんたちとは疎遠になってしまったんですか?」
「ええ、親らしいことを何もしていないのに引退したからってのこのこ顔を出すのも引け目を感じましてね。それでなんとなく……」
私の言葉に、それまでにこやかに聞いていた車掌が反論する。
「そんなことはありませんよ。お子さんたちを何不自由なく生活させてあげるだけの収入を得るために一生懸命に働いたわけでしょう? むしろ胸を張って会いに行くべきです」
「そうですね……この旅を終えて、都会に戻ったら子供たちの所へ行ってみます」
車掌の言葉に私は深く頷いた。
「それがいいと思いますよ……あ、そういえばすいません、ご旅行の邪魔をしてしまって」
車掌は慌てて立ち上がる。
「いいえ、こちらこそ年寄りの愚痴を聞いて頂いて」
私は車掌に頭を下げた。車掌はにっこりと頷いて車両を後にしていった。
「今日はお父様、いつになく雄弁でしたわ」
白衣の女医が車掌姿の男性に声を掛ける。
「やはり実の息子さんが凝られたからかしら」
「私も父の本音が聞けて嬉しかったですよ」
車掌の制服を脱ぎながら、中年の男性が電車の車両を模したセットを振り返って答える。
「この施設には色々な状況を作りだせるセットがあるとお聞きしていましたが、正直、父が旅に憧れていてこのセットを気に入っていることは知りませんでした。それに息子である私たちに対して引け目を感じていたことも初めて知りました……本当に、一緒に旅行がしたかったですね。せめて自分の息子の顔をちゃんと認識できていたうちに」
そう言って中年男性はそっと目頭を拭った。