阿刀田高のTO-BE小説工房 佳作「消された駅」常盤英孝
「あ、あの……。切符落とされましたよ」
前を歩く青年のデニムのポケットから一枚の切符が落ちた。
高校生の私から見て少し年上に見えるその青年。交通系ICカードが主流の今、切符で電車に乗るなんてちょっと意外だった。
「ありがとう」
青年は身体をこちらに向け、私が手渡す切符を受け取った。
チラッと切符に目を落とす。それは今いる砂山駅から石上駅までの切符だった。
石上駅?
「石上って、閉鎖されてるんじゃ……」
私の悪い癖が出てしまった! 気になったことがすぐに口を突いて出る癖。昔からそう。自分に関係ないことでも、気になると尋ねずにはいられない。
「閉鎖?」
青年は不思議そうに首を傾げた。
亡くなったおじいちゃんから子どもの頃に聞かされたことがある。石上駅には国の防衛施設があったこと。そこでは化学兵器の研究が行われていたこと。そして、その実験が失敗に終わり町に人が住めなくなったため、駅は閉鎖され、町も封鎖されてしまったって。
「あっ。いや、なんでもないんです」
余計なことを聞いてしまったと、自分の軽率さを悔やんだ。
無礼な私を気にするでもなく、青年は傾げた首のまま会釈すると、そのまま向き直り歩き出した。
ホームの端、青年は私のすぐ隣で電車を待っている。こういうときって声をかけるべきか迷う。馴れ馴れしくするのも変だし、無視するのも失礼な気がする。
モジモジしている私に救いの手。電車が到着した。彼の後に続くようにして私は電車に乗り込んだ。
日課のスマホゲームを起動させたものの、斜め前に座る彼のことが気になり、私は何度も目をやった。彼はぼんやりと車窓からの景色を眺めたり、車内吊り広告に目を向けたりしている。彼から感じる存在感は他の乗客と明らかに違っていた。
気づけば電車は私の降りる駅に。また私の悪い癖が出た。気になることがあると、確かめずにいられない。彼のことが気になったし、何より閉鎖された石上駅のことが気になった。路線図に載っていない駅。それなのに彼は石上駅までの切符を持っていた。なんで?
私は閉まるドアを見届けていた。
車内の乗客は私と彼だけになっていた。彼は相変わらずぼんやりしている。スマホゲームの画面は、私の次の一手を待ったままだ。
車内アナウンスが石上駅の名を告げた。やっぱり石上駅はあるんだ……。電車は今、閉鎖されたはずの駅に停車しようとしている。
ドアが開く。青年は静かに立ち上がり、開いたドアから出ていった。その姿を見て私の胸は高鳴った。まるで彼を尾行しているような罪悪感。彼に見つかったらどうしようという不安。そして好奇心。入り混じった感情に突き動かされるように、私の身体は閉まりかけのドアからホームへと飛び出した。
こんなこと、お母さんに知られたらまた怒られるだろうな。アンタはいつもそうやって、後先考えずに行動するって。母の眉間に浮かぶ皺を思い浮かべながら、降り立ったホームをキョロキョロと見渡してみた。
「あれっ?」
そこには誰もいなかった。先に降りたはずの彼の姿も。
急に心細くなった。来るんじゃなかったと後悔もした。気持ちを落ち着かせたくて深呼吸してみる。先入観からか、薬品のニオイが微かに鼻腔を刺激したように感じた。
せっかくここまで来たんだし、好奇心ついでに町を見てみたい。改札に向かって歩き出したとき、すごい力で左の手首を掴まれた。振り返ると、さっきの彼。違っていたのはその表情。目が血走っている。
「すぐそこの病院で大切な実験をしてるんだ。ちょっと来てよ」
彼は私の手を強引に引っ張った。あまりの恐怖に声も出ない。必死に腕をバタつかせ、彼の手を振り払った。その拍子に彼の手からさっきの切符が落ちた。
逃げ出さないと殺される。そんな予感がした。無意識のうちにその切符を拾い上げた私はホームを全力で駆け、改札を目指した。幸いなことに、改札には駅員の姿。
「すみません! 今、砂山駅から来たんですけど、戻りの電車ってすぐ来ますか?」
駅員に切符を見せ、砂山駅を指差した。
「砂山駅……? ずいぶん前に閉鎖された駅ですよね? なんか化学薬品の事故かなんかで……」
駅員の肩越しに路線図が見えた。そこには、砂山駅の名前はなかった。