文章表現トレーニングジム 佳作「不労所得」 かおり
第8回 文章表現トレーニングジム 佳作「不労所得」 かおり
25年前の土曜日の午後のことである。犬の散歩の途中で車に呼び止められ、道を聞かれた。50歳前後の彼は本日オープンのパチンコ屋に開店祝いに行くという。ワゴン車の後部には大きな花籠がでーんと置かれていた。
「そこなら」と説明するが、道はややこしく、生来、方向音痴である私の説明ではなかなか通じない。口説明では無理、と判断し「紙あります?」と聞くが「ない」。
私の他に人通りもなく、家まで帰って紙をとってきて書くしかないか、と考えていると、彼は財布を取り出し、千円札を私に差し出した。お礼に書くのは気が引けるが仕方ない。
「ペンを」
「それお礼」
「?」
「あんた、一生懸命教えてくれたから」
「えっ、道分かったんですか」
いいや、と彼は笑って首を振り、窓をスルスルと閉めてしまった。
「こ、困ります! ちょっと!」
窓ガラスをたたくが、彼はもうこっちを見ない。私はオロオロしつつ、去って行く車に一礼するしかなかった。
道を教えられず、お礼も言えなかったことが今も心残りだが、手に残った千円は当時失業中だった私にはとても嬉しかった。
それにしてもカッコいい人だった。一期一会の人の心を25年もポッとさせ続けることができる人間は、そういまい。