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阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「質流れ」鶴田千草

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第31回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「質流れ」鶴田千草

「そうですね。このお品ですと、このくらいでしょうか」

黒い布貼りのトレイに置いた腕時計を慎重に見ていた店主は、カウンターの上の大型の電卓のキーをたたき、数字が見えるようにこちらに向けた。それを見た悟(さとる)の眉が寄る。

「大変良いお品なのですが、このタイプは数多く出回っておりますので」

悟は腕を組んで天井をにらんだ。どうしようかと考えているように見せてはいるが、実のところ、選択の余地はない。必要分には足りないが、しかたないか。

「もしよろしければ」

店主が悟の腕時計を取り上げ、クロスで丁寧に磨きながら声をかけてきた。

「他のお品でご用立てもできますよ」

「他の品?」

悟は外国人のように両手を広げて見せた。

「そんなもの、ないよ」

あれば、父親の形見を質入れしたりしない。

「質草は形のあるものとは限りませんよ」

意味ありげな店主の言葉に悟の顔がひきつったのに気づいたのか、店主が笑って顔の前で手を振る。

「誤解のないように申し上げますが、内臓とか眼球とか、そういう話ではありませんよ」

さすがにそこまでは考えてなかったけど。

「例えば、そうですね」

店主はあごに手をあてた。

「声、とか」

「声?」

人魚姫じゃあるまいし。

「先ほどからお聞きしていますが、お客様はたいへん良いお声をお持ちです。そのお声でしたら」

店主はちょっと考えてから再び電卓のキーをたたいた。表示された数字はさっきの倍以上だった。何だかとても……うさんくさい。

悟の沈黙をどう解釈したのか、店主はカウンターの上に身を乗り出した。

「お客様、失礼ですが、アナウンサーとか声優とか声を使うお仕事では?」

「違うよ」

悟は中古車の販売員をしている。

「では、声そのものが商売道具というわけではないのですね。いえ、声が出なくなるということはありませんよ。ちゃんと代声をお出しします。選べませんが、普通に生活するのに支障はありません。お預かりしたお声のほうは、毎月のお利息を入れていただければ流れることはございませんし、プラス元金をお持ちいただければ即日お返しできます」

店主はにっこりと笑って悟を見た。

「いかがでしょう」

悟は再び腕を組んだ。自分の声が良い声だなんて考えたこともなかった。質入れしてしゃべれなくなるならさすがに困るが、そういうこともないらしい。

「よし、のった」

悟は腕組みをといた。

「声、預かってもらおう」

質入れして最初の数カ月は、悟は真面目に利息を払った。店主が出してくれた代声は可もなく不可もなく、という感じで、良い声というのではもちろんないが、かといってとりたてて悪声というわけでもなかった。周囲も当初は、「なんか声、変じゃない?」とか、「風邪ひいてる?」とか言っていたが、そのうち馴染んだのか何も言わなくなった。悟自身も代声に慣れてくると面倒くさくなって、ほったらかしにするようになり、そのまま一年以上が過ぎた。やがて悟は声のことをすっかり忘れてしまっていた。

ある日、悟は部屋でテレビニュースを見ていた。最近頻発している電話による詐欺の話題だった。これだけ話題になってても、まだ騙される人間がいるんだよなあ。そう思いながらぼんやりと画面を見る。よく見る人気アナウンサーがしゃべっていた。

「……以上が詐欺の手口です。大変巧妙かつ悪質なことはもちろんですが、何より、被害者が揃って証言したところによりますと、犯人の声がとても誠実そうな良い声で、うっかり騙されてしまったということです。私も声を使った仕事をさせていただいている者の一人として、許せない思いでいっぱいです」

アナウンサーは深刻そうな顔でうなずき、言葉を続けた。

「その犯人の声を被害者のお一人が偶然に録音しておられました。警察の許可を得て、今から放送いたしますので、皆様、よくお聞きになってくれぐれもお気をつけください。では流します」

どれどれ。みんなが騙されるイケボってどんなだ。悟はリモコンをとってボリュームをあげた。流れてきた声を聞いてリモコンを落としそうになった。

それは一年以上前に質入れした悟の声だった。呆然とする悟の脳裏に店主のうさんくさい笑顔が浮かんだ。