佳作「容認 辛抱忍」
日曜日の昼下がりのことだった。自宅前に車が停車したので、美佐子は窓越しに外を見た。停車したのはオープンカーだった。すると、玄関のベルが鳴った。忠夫が玄関のドアを開けると、一人の中年男性が立っていた。黒いハンチング帽を被り、濃い顎髭を生やしていた。美佐子は、少し離れて様子を窺った。
「こういう者です」
忠夫は、差し出された名刺を一瞥すると、
「探偵が一体何の用だ?」
と言った。
「弘樹さんはご在宅でしょうか」
「弘樹はこの家にはおらんよ」
その時、美佐子は十年前のことを思い出した。
*****
「僕は役者になる。許してほしい」
「選りに選って、なぜ、役者なんだ。国立の法学部を出たのだから、裁判官か弁護士を目指すべきだろう。そのほうが母さんも喜ぶんだ」
「喜ぶのは親父のほうだろう。親父は肩書きにしか興味がないからね」
弘樹は忠夫と美佐子の説得を聞き入れず、
「必ず成功する。その時は認めてくれよな」
と決意表明して出ていってしまった。
*****
あの時の弘樹の真剣な顔が今でも美佐子の胸に焼き付いていた。
「弘樹が何かしでかしたのか」
「息子さんに結婚詐欺の疑いがあります」
「何だと!」
美佐子も驚きの声を上げた。忠夫は一瞬美佐子のほうを振り向いた。
「弘樹さんには交際している女性がいて、その女性は結婚を強く望んでいます。しかし、その方のご両親が弘樹さんを疑っていて、調査依頼を受けたのです」
「弘樹は十年前に家を出たきりだ。それ以来、まったく会っていないし連絡もない。信じられないなら、息子の部屋を調べてもらってもかまわんよ。出て行った時のままにしてあるからね」
「いいえ。そこまでするつもりはありません。私は、刑事ではありませんので」
「一人っ子だったので、甘やかして育ててしまった。私の責任だな」
探偵はジャケットの内ポケットから一通の封筒を取りだした。
「交際中の女性からの手紙です。ご両親にお渡しするよう頼まれました」
探偵が帰ったあと、忠夫は不愉快そうな顔をして美佐子に言った。
「時が経つと、人も変わるということだな。情けないやつだ」
忠夫は美佐子に封筒を手渡すとリビングに向かった。美佐子はその場で手紙を読んだ。
『私は長年、弘樹さんを応援してきた水沢幸子といいます。弘樹さんは舞台俳優になるため、こつこつと練習を重ね、このたび、主役デビューすることになりました。
お父様、お母様、どうか、弘樹さんの芝居を見にいらっしゃってください。努力の成果をご覧になってください』
そして、入場券が二枚添えられていた。
美佐子は忠夫のそばに駆け寄って言った。
「あなた、弘樹は成功したようですよ」
「おまえ、いったい何を言ってるんだ 」
「あの探偵は弘樹だったのですよ」
「何だって 」
「弘樹は探偵を演じていたのですよ。親を騙せるなんて大したものですね」
「演じていた どうしてあの男が弘樹だとわかったんだ?」
「この手紙に書いてありますよ」
忠夫は手紙を読んだ。
「弘樹のやつ……。どうして正々堂々とできんのだ」
「野太い声でしたし、滑舌も良かったので、まったく気づきませんでしたね。相当、苦労したと思いますよ」
「まったく、しょうがないやつだ」
美佐子には、忠夫がその態度とは裏腹に、内心喜んでいることを見て取った。
美佐子は再び窓越しに外を見た。
「もう、弘樹のことを認めてやってもいいんじゃないですか。恋人も一緒のようですし」
「恋人 」
「車に同乗しているのは、弘樹を支えてくれた女性だと思いますよ。手紙の内容から推察すると、結婚も考えていると思いますよ。早く呼びとめないと行ってしまいますよ」
「そ、そうだな」
忠夫は足早に外に出ていった。