佳作「一ミリの共鳴 西方まぁき」
ミンミンゼミの鳴き声って、どうしてこんなに暑苦しいんだろう。
制服のブラウスが背中にべっとり貼り付いて気持ち悪い。
鞄の他に体操着や絵具箱を両手に抱え、額の汗を拭うこともできない。
でも、待ちに待った夏休みが始まるのだから、これぐらいのことは我慢しなければ。
早くうちに帰って、クーラー全開にして、ゲームの続きやるぞ!
角を曲がると、西陽が木造二階建の我が家のボロさを際立たせている。
橙の空が、今日一日の暑さに耐えたすべての者にご苦労さまと告げているようだ。
「ただいま!」
建て付けの悪い玄関の戸に足を掛けガラガラと開けると、財布を手にサンダルを履こうとしている母と出くわした。
「あ、おかえり。グッドタイミング」
「どっか行くの」
「ちょっと薬局。貼り薬とか、おむつとか、いろいろ。じゃぁ、おじいちゃん、お願いね」
「え……あたし、おむつとか替えられないよ」
「すぐ帰って来るから!」
そそくさと出て行く母の背中を恨みがましく見送る。
ギシギシと音がする階段を上り、学校の荷物を自分の部屋へ置きに行く。
エアコンを「強」にして、制服を脱ぎ捨て、短パンとTシャツに着替える。
コンビニで買ったジンジャーエールを喉を鳴らして一揆に飲み干し、ベッドの上にバタンと大の字になる。
「プハー……」
閉め切った窓の隙間から漏れてくる熱気と、唸りながら吐き出されるエアコンの冷気が頭の上で渦を巻いている。
徐々に汗が引いていくのがわかる。
とろとろとまどろみ始めた時、階下で「ビィーッ」という不快な音が鳴った。
「うそ!」
階段を駆け下り、廊下の奥のおじいちゃんの部屋に走る。
「おむつなんて、ムリ、むり、無理!」
襖をそろそろと開けると、おじいちゃんが、いつもの布団に横たわり、いつものように天井を見詰めている。
ためらいながら近付いて行く。
「おじいちゃん、呼んだ?」
おじいちゃんが、ゆっくりと天井から私の顔へと視線を移す。
枕元に置かれた水差しの方に少しだけ顔を傾ける。
「あぁ、これが飲みたいんだね」
おかあさんがやっていたのを思い出し、首元にタオルを置いて、口元に麦茶が入った硝子の水差しを持って行く。
慌てないで、落ち付いて、ゆっくり、ゆっくり。
喉に詰まらせたら大変なので、少しずつ、何度かに分けて飲んでもらう。
おじいちゃんの喉仏が上下に動いたのを確認してほっと息をつく。
「おいしい?」
シミだらけの顔を見ていると、最近、雑誌で見たガラパゴス諸島のゾウガメを思い出す。
カメもおじいちゃんも長生きでなんにもしゃべらないのは一緒だ。
網戸越しに入ってくる風に乗って蚊取り線香の煙が流れてくる。
軒下に吊るされた風鈴がリーン……と鳴る。
「あ、あれね。この前、岩手に修学旅行に行った時にね……」
おじいちゃんの視線は天井に戻っている。
「トイレ休憩で寄ったドライブインのお土産屋さんに売ってたの」
おじいちゃんが大きな欠伸をする。
「レジでお金払ってたらバスに乗り遅れそうになっちゃって。先生に何やってんだぁって怒られて……」
お母さんは、いつも「話しかけてあげてね」って言うけれど。
「いい音でしょ。なんか、胸にしみるってゆうか……」
一方的に話し続けている私って、なんかバカみたい。
リィーン……
出番の終わりを告げるように風鈴が鳴った。
「じゃぁ、行くね……」
立ち上がり際に、ふと見ると枕の下に何かが隠れている。
そっと手を差し入れて取り出すと、補聴器だった。
ためしにおじいちゃんの右耳にさしてみる。
次の瞬間、少しだけ強い風が吹き、風鈴が踊るように宙を舞った。
リィイイン……
おじいちゃんの視線が、一ミリだけ動いた。