佳作「高橋さんがくれたもの 砂猫」
高橋ゆう子さんが死んだ。学校の帰りに車にはねられたらしい。先生は「交通事故」と説明したが、絶対自殺だと思った。高橋さんが死んだ日、あたしはいつものように一緒に帰った。国道の交差点で別れ際に手を振る高橋さんは今から思えば少しさみしげだったような気もする。高橋さんは「横断歩道の白いところを踏むと死ぬ」と信じていて、一緒に横断歩道を渡るときも絶対に白いところは踏まなかった。お葬式に向かう途中、その交差点で信号を待っていて、ふと思った。高橋さんは、あの日、きっとわざと白いところを踏んだのだ。だとすれば、事故なんかじゃない。自殺だ。
高橋さんがひどいいじめにあっていることは前から知っていた。教科書はあちこち落書きで汚れていたし、腕や頬に擦り傷を作っていることもあった。あたしは高橋さんのたった一人の友達だったのに、見てみぬふりをしていたことを今さらのように激しく後悔した。お葬式の間、ずっと涙が止まらなかった。お葬式が終わって帰ろうとしていると、背後から声をかけられた。高橋さんのママだった。高橋さんに似て少しふっくらとしてやさしそうな人だった。高橋さんのママは、中で少し休んでいきなさい、とあたしを誘った。家に入って、ママに背中をおされて長い廊下を進んでつきあたりの部屋に通された。映画でしか見たことのないような長いテーブルにドアの方を向いて五人の女の子が並んでお茶を飲みながらお菓子を食べていた。あたしは息を飲んだ。いじめグループのメンバーが全員そろっていた。あたしはすすめられるがままにテーブルの南側の端に腰かけ、ママが運んでくれたクッキーを食べて紅茶を飲んだ。ママは、いじめグループの女の子たちにかいがいしくお茶をついて回ったり、クッキーの追加を運んだりしている。女の子たちは自分たちが高橋さんにしたことなど全部忘れてしまったような顔で上品ぶってお茶を飲んでいる。吐き気がこみあげてきた。またあふれそうになってきた涙を必死でこらえていると、高橋さんのママが、部屋の隅に置いてあった大きな段ボール箱をテーブルに載せ、あたしたちを手招きした。箱の中をのぞきこんだ瞬間、皆の口からため息がもれた。宝石のようなガラス玉にふちどられた手鏡とか、ピンクのカチューシャとか、フワフワのクマのぬいぐるみとか、どれもこれも女の子なら誰でも欲しくてたまらなくなるものでいっぱいだった。ママはやさしい目であたしたちを見回しながら、「ゆう子が大切にしていたものばかりです。好きなものを持って帰ってください。ゆう子もきっとそれを願っているでしょうから」と言った。あたしは胸に熱いものがこみあげるのと同時に、やりきれない気持ちになった。ママは、この子たちが高橋さんにしたひどいしうちのことなど知らないのだ。でなければ、どこの親が我が子を死に追いやった人間に遺品をプレゼントしたいなんて思うだろうか。ママに指名されて、テーブルの北側の端の小嶋さんが立ちあがり、箱に近づいた。そのとき、あたしは見覚えのあるミッキーマウスの腕時計がぬいぐるみと箱の壁にはさまれているのに気づいた。ネジをまくとミッキーの耳が動くやつだ。あたしはミッキーが大好きなので、よくネジをまかせてもらった。そのときに触れた高橋さんの腕はとても暖かかった。「あたしが死んだらこの時計、柴田さんにあげるね。」高橋さんは冗談めかしてよくそう言っていた。あたしは小嶋さんがどうかミッキーを選ばないように、と願った。小嶋さんはすこし迷ったあと、クマのぬいぐるみを手にとったのであたしはほっとした。小嶋さんははじめのうちうれしそうに笑ってクマをなでていたがだんだんその顔がこわばってきた。変だと思っていると、クマがだんだん大きくなってきているような気がした。そんなバカな、気のせいに違いない。小嶋さんの口からくぐもった悲鳴がもれた。気のせいではなかった。クマの腕がぐんぐんと伸びて針金みたいに小嶋さんの体に巻きつき、しめあげていた。小嶋さんはクマをふりほどこうと部屋中を転げまわったがだんだんと動きがにぶくなり、やがて白目をむいて口から糸のように血を流しながら、油が切れた機械音みたいな声を途切れ途切れに上げながら、床に倒れてびくびく全身を震わせた。何かが折れるようなにぶい音が何度か響いたかと思うと、小嶋さんは動かなくなった。「さあ、次はあなた」。ママが端から二番目に座っていた藤堂さんを指さした。藤堂さんは紙のように白くなった顔を震わせたまま身動きしなかった。「どうしたの? ゆう子は仲よくしてもらったお礼にみんなにプレゼントがしたいのよ。受け取ってあげてちょうだい。」優しいが有無を言わさぬ口ぶりだった。三番目に座っていた中山さんが突然すごい声を上げて泣きだし、小嶋さんの体を飛びこえて部屋を走り出て行った。少し遅れて、他の子たちも次々に部屋を飛び出して行った。
一人残されたあたしに高橋さんのママはにっこり微笑みかけた。「ゆう子のために泣いてくれて、ありがとうね。」そう言って、あたしの前に箱を差し出した。あたしは迷うことなくミッキーの腕時計を手にした。腕につけてみると、まるでついさっきまで高橋さんがはめていたのではないかと思えるほど暖かかった。