佳作「かわいい写真 ハヤシアヤコ」
まわりがどんどん出産していく。今年に入って四人目だ。
九月中旬のまだ暑い日に、私は出産祝いの紙袋をぶらさげて、鷺沼駅からマリの家まで日傘を差して歩いた。分譲マンションのエレベーターに乗って六階で降りる。ドアの前でチャイムを鳴らすと、赤ん坊の泣き声が近づいてくるのがわかった。
「はーい、いらっしゃい!」
ドアを開けて出てきたマリはノーメイクで、マリに抱かれている赤ん坊は、ぎゃあぎゃあ泣き叫んでいた。「うるさい」という言葉を飲み込んで、「元気だね」と言うと、
「たぶんミルクだと思う」
ご丁寧に泣いている理由を説明してくれた。
「散らかってるけど、あがって。ひさしぶりだねえ。元気だっ た? 元気そうだね」
「うん、まあ元気かな。マリは、大変そうだね」
「うん、大変だけど、しあわせだよ」
「そっかあ。おじゃましまあす」
マリが「しあわせ」と口に出して、自分に言い聞かせないとやっていけないくらい大変なんだ、ということがわかった。
リビングルームへ行くと、先に到着していたユキが
「いらっしゃい」
と言って迎えてくれた。すると一緒にくっついてきた旦那のやすくんが、すかさず
「おまえの家じゃないんだから」
とツッコむ。
「ははは」
マリがケープをかけて、赤ん坊におっぱいをあげはじめると、部屋に沈黙がおとずれた。うすい布一枚を隔てた下で、まさに今、おっぱいが吸われているのだ。ケープで隠れている赤ん坊と、マリのおっぱいを想像しながら、やすくんも私と同じ画を想像しているのだろうかと考えていたら、やすくんと目が合ってしまって、少し焦った。 「ユキとやすくんは、いつ着いたの?」 何か言わなきゃと思って、どうでもいいことを聞いてしまった。
「さっきだよ。十分くらい前かな。ね?」
ユキの答えに、やすくんはうなずいて応えた。
「そうだ、これ、出産のお祝いなんだけど」
私は紙袋の中身を取り出して、マリの前に差し出した。
「わあ、ありがとう。そんな、気を遣わなくていいのにい」
いやいや、そういうわけにはいかんだろう。子どもが産まれたから遊びに来てと言われて、手ぶらで来る大人なんかいない。
「もういいかな」
マリがおっぱいをあげ終わってケープをはずすと、すっか
り満足してごきげんな赤ん坊が出てきた。
「かわいい。ねむたそうにしてるよ」
「ほんとだ、かわいい!」
ユキとやすくんがはしゃいでいる。もしくは、はしゃいで見せているのだろうか。二人は結婚四年目で、たぶん妊活三年目。自分たちはなかなか授からないのに、まわりでぽんぽん産まれていって、なかなか複雑な心境なのではと推察してしまう。たとえ表面上でも、人の子どもを素直に「かわいい」と言って振る舞えるのはすごいことだ。
マリがプレゼントの包装紙を開けて、中身を確認すると、
「かわいい! ありがとう! ようくんも、エリック・カー ル好きだから、よろこぶよ?。ゆうりちゃん、よかったでちゅね~。あゆみちゃんが、おもちゃをくれまちたよ~」
マリが立方体のカラフルなおもちゃを、ふりふりすると、赤ん坊はおもちゃに興味を示して、手足をばたばたさせた。
「かわいい! なんか笑ってるよ?」
「ほんとだ、かわいい!」
「かわいい」を連発するユキたちの横で、マリの産み落とし た赤ん坊を、みじんもかわいいと思えない自分が、悪魔に思える。私はかばんの中からスマホを取り出して、赤ん坊にカメラを向けた。
「写真、撮ってもいい?」
「え? もちろんいいよ! 撮って撮って~」
カシャッ カシャッ カシャッ。ユキとやすくんの「かわいい!」の合間に、あいづちを打つように、シャッター音を響かせる。「かわいい」の言葉の変わりに、親がかわいいと思えるような写真を贈ろう。