選外佳作「黎明 あべせつ」
何もかもを干上がらせた巨大な太陽が、勝ち誇ったように地平線に沈んでいく。入れ替わりに訪れた夕闇が、ひび割れた大地を急速に冷やしていくのを足裏に感じながら、ぼくは家路を急いだ。
――今日も獲物に出会わなかった
失望が、限界まできた飢えと疲労に拍車をかける。一歩踏み出すにも、気力を振り絞らねばならない。
ようやく住み処にしている洞窟へたどり着くと、入り口でへたりこんでしまった。手にした石槍が音を立てて転がっていく。
「バハレか?」
父のかすれた声が、洞内の暗闇の中からぼくに呼びかけた。気が付けば、朝出掛けにくべておいた焚き火が消えている。父にはもう薪を足すほどの体力も残されていないのだ。
「父さん、遅くなってごめんよ。 すぐに火を点けるから」
疲れた体に鞭打って立ち上がると、消えかけていた熾火に息を吹き込み、枯草や薪を放り込んだ。やがて大きく燃え上がった火は、朽ち木のように痩せて横たわる父の姿を浮かび上がらせた。
「えらく、遅かった、な」
「ええ、今日こそはと思って、いつもより遠くへ行ってみたのですが」
「そうか、で、どうだった? 誰かに、出会ったか?」
「いいえ、誰にも。父さん、お腹が空いたでしょう? 今、用意しますから」
そうは言ったものの、洞奥の食糧庫には、もう一塊の干し肉しか残されていなかった。
――これを食べつくしたら、あとはもう。
雨が降らなくなって、もうどれほどになるだろう。祖父の代から徐々に乾燥化が進んでいた草原は、数か月前にとうとう茶色い砂漠へと化してしまった。獲物どころか、虫の姿さえ見なくなり、頼りの川も干上がっている。
母や弟妹をはじめ、部族の仲間たちも次々と死に絶え、今ここにいるのはもう、父さんと僕だけになってしまった。
「父さん、川床を掘って水を汲んできましたよ。これで干し肉のスープを作りましょう。新鮮な柔らかい肉が手に入れば良かったんですけどね」
つとめて明るく話しかけたつもりが、ぼくの声はかすれて消え入りそうだった。
「バハレよ、食事はいい。大事な話が、ある。こちらに来なさい」
いつになく神妙な声音に、ぼくは緊張しながら父の枕元に座った。
「バハレ、わが息子よ。よく聞くがいい。明日、夜明けとともに、お前はこの地を離れよ。その肉のある限り、歩き続けるんだ」
「えっ? どこに行けばいいと言うのですか?」
「昔、北の果てに『海』というものがあると長老に聞いたことがある。太陽を飲み込むほど大きな水瓶なのだそうな。遠い昔、我々の祖先も同じような旱魃にあい、北を目指した。
しかし、その海に阻まれて舞い戻ったという言い伝えがあるのだそうだ。バハレよ。お前は賢い子だ。お前なら、きっと海を渡れる。北の果てにならば、お前が生きられる場所があるかもしれん」
「それは、ただの言い伝えなのでしょう? それに、父さんを置いてはいけません」
「わしにも、旅立ちの時が来たらしい。それが自分でもわかるのだ。おそらくは明日の夜明けをみまい。しかし、バハレよ。悲しむことはない。わしはもう、充分に生きた。お前の母に出逢い、お前や弟妹たち、たくさんの仲間たちにも恵まれ幸せだった。わしは満足しておるよ。ただひとつ、気がかりなのはお前のことだ。若いお前が、こんな砂漠で独り朽ち果てていくなどと、父親としては耐えられん。お前は旅立ち、仲間を探せ。妻をめとり、子をなし、命の限り生きるのだ」
「父さん……」
夜明け前、言葉通り、父は静かに旅立っていった。
ぼくは、小高い丘の上にある母や弟妹の墓の隣に、父親の埋葬を済ませる、再び洞窟へ戻った。
干し肉を袋に入れて腰にしばりつけ、右手に父の形見の槍、左手に火の点いた太い松明を持って洞窟をでた。
ちょうど地平線から、昇りくる太陽の切れ端が見えてきた。それは、いつもの憎き熱さを伴わず、金色の光あふれる海のように見えた。
――よし行こう。海のその先、緑なす大地を目指して。
この決死行が、およそ十二万五千年後、七十億人もの『ホモサピエンス(新人)の起源となる出アフリカ』と記されたことを、ぼくは知らない。