佳作「新人 田辺ふみ」
初めのあいさつは大事だ。
「金田です。ここで骨を埋める覚悟でがんばります。よろしくお願いします。」
わたしはしっかりと頭を下げた。
「金田さん、そんなに堅苦しくならないで。もっと、気楽にしてください」
顔も体もごついが、リーダーの言葉づかいは丁寧だった。
「さて、今日から、金田さんはわたしたちの仲間です。慣れるまで、みなさん、いろいろ、教えてやってください」
「お願いします」
わたしはもう一度、頭を下げた。
「それから、金田さんから、お菓子を頂きました。ここに置いておきますので、ご自由にどうぞ」
残り少ないお金で買ったお菓子だ。ここに集まっている人で全員ではないらしいが、いい印象を与えることはできただろうか。
この歳になっても、いや、なったからこそ、新しい環境に入っていくのは緊張する。
「山崎さん、案内してあげて」
リーダーの言葉に小柄な男性が立ち上がった。
「じゃあ、ちょっと、ついてきて」
山崎さんは先に立って、歩き始めた。
「まず、リーダーの指示には必ず従うこと。それから、何かわからないことがあれば、俺に聞いて」
「はい」
「水道はここ。他の人も使うから、譲り合って使って。いつもきれいにするように」
「はい」
できるだけ、はきはきと答えるように気をつけた。
「そういえば、金田さんは島やんの知り合いなんだって」
「はい、島村さんは前の前の会社の先輩です。会社がつぶれた後、わたしは別の会社に転職してたんですが、また、リストラされてしまって」
今回は社宅にいたため、職も住処も失うことになった。それだけじゃない。
最初に会社がつぶれたとき、職が見つかるまで支えてくれた妻も今回で愛想をつかしたらしい。子どもと一緒に出て行ってしまった。今頃、どうしているだろうか。今のわたしと会ったら、どんな顔をするのだろう。
五十五歳にもなると、再就職は難しい。特別な能力があるわけでもなく、腰痛持ちのため、体力仕事は選べなかった。あとは一人暮らしの不摂生もあって、気をつけたつもりでいても、どんどん、むさくるしくなっていった。
寮の退出期限まで必死でハローワークに通ったが、結局、仕事は見つからなかった。
「島やんは元気にしてる?」
「いえ、あまり、よくないんです。実は島村さんを病院に見舞いに行ったら、ここを紹介してくれたんです」
「そうか、あいつは優しいからな」
「そうなんです。『俺の席が空いてるはずだから、よかったら、紹介してやるよ』って、体調が悪いのに、紹介状を書いてくれたんです。よかったら、お見舞いに行ってあげてください」
「わかった、行ってみるよ」
山崎さんも優しい人らしい。
「ゴミはまとめて、ここに捨てて」
「ここがトイレ」
山崎さんは立ち止まると、立ち並ぶビルの一つを指差した。
「お昼の食事はあのビルの三階のお店がいいよ。晩のおすすめは少し離れているんだ。よかったら、今晩は一緒に行く? いいところ、教えてあげるよ」
「お願いします」
慣れない場所でお願いしてばかりだ。
それにしても、食事のことまで考える余裕がなかったので、助かった。
山崎さんは一通り、案内すると、リーダーのところまで戻ってきた。
「ここが金田さんの席ね」
リーダーのそばの区画を指差した。
「じゃあ、また、晩メシのときに」
手を上げて去る山崎さんに深々とおじぎをして、わたしは自分の場所に入った。
ほっと息をつき、座り込む。
「前の会社のことは忘れて、がんばらないとな」
公園の緑が美しく見える。
前を通り過ぎる親子連れがわたしをちらりと見て、目をそらした。
わたしは床の段ボールをなでた。今は寒さを感じないが、何か風よけを探しに行った方がいいかもしれない。
さあ、今日から、ここがわたしの家。
路上生活のはじまりだ。