佳作「恩恵 三浦絆」
言いだしっぺは、カオリだった。
橋の向こうに行く時は大人と一緒じゃなきゃ駄目だと先生が言っていたけれど、カオリがどうしてもアカネに桜を見せたいと駄々をこねたのだ。初めはマナとサトルと一緒に止めようとした。でも、僕たちの言う事なんてカオリの耳には届いていないようだった。アカネが桜のイラストが入った箸や鉛筆を使っていたことを思い出して、結局みんなで自転車をこいで向かうことになった。
「テレビでやってたんだよ。県内一の桜並木だって」
先頭を走るカオリは時々後ろを振り向きながら、キラキラした目をして僕たちに橋の向こうにある光景を語って聞かせた。後ろを向いているからか、それともカゴに入れたリュックが重いからか、こちらを向くたびにバランスを崩して右に左にと自転車を揺らしている。
三十分ほどで、桜並木に到着した。日が沈み始め薄暗くなった川沿いのこの道は、外灯がほとんど無いから隣の道より更に暗く感じる。岸辺に並んだ桜の木は端が見えないほど長く続いていて、県内一だと納得できる。
自転車を止めてリュックを背負う。てっきり屋台が出て人でにぎわっているのかと思っていたのだけれど、犬の散歩をしている人すらいない。木に近づいてみるとまだ蕾ばかりで、咲いている花は少しだけだった。花見日和はもう少し先のようだ。
カオリは幾つかの木を見定めるように歩き、ベンチ横の木を撫でた。みんなで静かに頷くと、リュックからスコップを取り出して穴を掘る。土が固くて、なかなか時間がかかった。次第に辺りが暗くなったけれど懐中電灯は使わない。光を見た誰かがここにやってきたらこの儀式は強制終了されてしまう。
マナは誰かに見つかるのではと怯えているようで、何度も周りをキョロキョロと見渡していた。
「もう六時半だよ」
サトルが土で汚れないようポケットにしまっていた腕時計を、月明かりを頼りに読み取った。
いつもなら、家族で夕ご飯を食べている時間だ。親意外とこんなに遅い時間に外に出ているなんて初めてだ。今日はサトルの家に泊まると伝えてあるから誰も心配はしていないだろう。
手が疲れるので交替して穴を掘る。腕を伸ばして肩まで入るくらい深くなった頃に、カオリが「そろそろかな」と言った。みんなで各自のリュックから袋に包まれたそれを取り出す。
「ここならさ、寂しくないよね。見上げれば桜が見えて、ベンチに座った人の話も聞こえるよ」
カオリが語りかける。ビニール袋から取り出した、頭だけのアカネに。開いたままの瞳は焦点が定まっていなく、正面から覗いても目が合っているようで合っていない。その表情が、とても神秘的だった。
「これで、開放されるんだ」
カオリの言葉を合図に、みんなでアカネを穴の中に入れた。僕は脚の担当だった。ビニール袋に入れたままそっと置く。今日の朝までこの脚は土を踏んでいたというのに、今では自立することはできない。
「どうしたの? もしかして、捕まるんじゃないかって怯えてるの?」
穴に土を戻しながら体を震わせて泣いているマナに、カオリが優しい声で聞いた。
「嬉し泣きだよ。これで、アカネは救われるんだもんね」
月の光に照らされたその顔は、とても喜んでいるようには見えなかった。眉間にしわを寄せ、大粒の涙が頬を伝っている。けれど、カオリはマナの言葉に納得した様子で、穴を埋める作業に戻った。
これは、カオリの優しさだ。アカネはクラスでいじめに遭っていた。原因も分からず毎日嫌がらせを受けていた。もう学校に行きたくないと独りで泣いていたのだ。その苦しみから解放させるために、カオリはアカネの人生をリセットした。次回はいじめになんて遭わないように、そう願って。
サトルのリュックからバイブレーションが響く。慌てた様子でサトルは携帯電話を耳にあてた。会話の内容から、母親からの着信だと分かった。
「アカネが行方不明になったからみんなで探してるって。俺たちも早く帰って来いって。ヤバイよ、警察も一緒にいるって言ってた」
突然の母親からの電話に動揺したのだろうか。サトルは泣きそうな顔でそう口にすると、しまったとばかりにカオリへ視線を移した。その瞳は、恐怖に溺れているようだった。それを見て、僕はひそかに笑ってしまう。
「大丈夫だよ。私に任せて」
言いだしっぺは、カオリだった。