佳作「さくら りょう」
俺はリンのことを心から愛している。愛しているからこそ早く体の関係を持ちたいのだが、奥手なリンに断られ続け、かれこれもう半年以上経つ。
愛があればそれくらい……と思うかもしれないが、俺は若い。溢れ出る欲求を抑え続けるのも、そろそろ限界が近づいている。
そんな中迎えた、久しぶりのデートの日。今日こそは一線を越えてやるつもりで俺は作戦を考えてきた。まず花見でテンションを上げ、さらにお腹を満腹にし、機嫌が良くなったところで誘うというもの。よし、完璧だ。
「こうちゃん、久しぶり。待った?」
作戦についてあれこれ考えているうちに、リンがやって来た。遅れてやって来たくせに、悪びれる様子もなくチョロっと舌を出している。その可愛さに胸を打たれたが、努めて冷静に振る舞う。
「いや、今来たところだよ」
「良かった。じゃあ行こっか」
目的の公園に着くと、満開の桜目当ての花見客と屋台でごった返していた。人ごみにはぐれないよう体を密着させ、桜を眺めながらゆっくりと園内を進む。
「綺麗ね。私、桜を見たのって初めて」
「そうなんだ。この公園は何十本と桜の木が植えられていて、毎年春になると綺麗な花を咲かせるんだ」
「へえ……。じゃあまた来年の春も、こうちゃんと一緒に見に来れるかな」
「もちろん、また来年も一緒に来よう」
リンは初めての桜に夢中になっているようだった。頃合いを見計らい、次は屋台の並ぶ広場へと進む。
「お腹は空いてないか? 良かったら何か持ってくるけど」
「そうね、じゃあイカ焼きが食べたい」
俺は混みあう屋台から、多めにイカ焼きを持ってリンの元へ戻った。そして深呼吸を一度。さあ、ここからが正念場だ。
「おいしい。こうちゃん、ありがとう」
「お安い御用だよ。リンが満足してくれれば俺も幸せだから」
「えへへ。ねえこうちゃん。最近なかなか会えなくてごめんね。実はちょっと色々あって体調を崩していたの」
「そうだったんだ。でもまた会えて嬉しいよ。リンに会えるだけで俺は幸せだから」
「私も幸せだよ。ありがとうね、こうちゃん」
我ながら随分と恥ずかしいセリフを吐いたものだが、その甲斐があったのか、リンは俺の肩に頭を乗せてうっとりとした表情をしている。
よし、いい雰囲気だ。これならきっと大丈夫だろう。俺はリンの体をそっと抱き寄せ、耳元で囁いた。
「なあ。俺たち、そろそろいいかな?」
「ごめんなさい。そんな気分じゃないの」
ここまではまだ想定内だ。もうひと押し、もうひと押しできっといけるはずだ。
「なあリン。なかなか会えなくて、俺は本当に寂しかったんだ。だからお願いだから……」
「気分じゃないって言ってるでしょ!」
リンは人目も憚らずヒステリックに叫んだ。食べかけのイカ焼きが地面に散らばる。
「悪かった、俺が悪かったよ。すまない」
「……ううん、私の方こそごめんなさい」
それだけ言うと、リンは俺から体を離し、うつむいてしまった。さすがにもう諦めるしかなかった。作戦失敗だ。
それにしても、いつも穏やかで優しいリンがこれほど取り乱すとは驚いた。そんなに俺と関係を持つことが嫌なのか。
しばらく気まずい空気が流れた。やがてひとひらの桜の花びらが舞い、リンの頭へと落ちてきた。それを見た俺は、やっとリンの変化に気付いた。
「もしかして、カットした?」
「ええ。やっと気付いてくれたのね。どう?似合うかな?」
なんてことだ。愛するリン、あの可愛かったリンがこんな姿になっていたなんて。
身を焦がすほどに夢中だったリンへの愛が、急激に芯から冷めてゆく。
「ああ……うん、よく似合ってるよ。あの、その、ゴメン。今日はもう帰るよ」
そう言って俺はその場から、そそくさと立ち去った。
「あら、コウタロウ。おかえり」
家に着くと俺は一目散に飼い主の膝の上に乗り、丸くなった。もう何も考えたくないし、何もしたくない。俺は喉をゴロゴロと鳴らしながら目を閉じた。
まぶたの裏にはあの悪夢のようなリンの姿が映る。彼女の耳の先は少しカットされていて、まるで桜の花びらのようになっている。
ああ、リン。愛しのリン。……さようなら。
耳が桜の形にカットされた、さくらねこ。それは野良猫が不妊手術を受けた証なのだ。