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選外佳作「ラディーアグミ アカツキサトシ」

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作文・エッセイ
結果発表
TO-BE小説工房
第27回 阿刀田高のTO-BE小説工房 選外佳作「ラディーアグミ アカツキサトシ」

部屋に閉じ籠っていた息子を連れ出したのはいいが、僕はまだタイミングを計りかねていた。義理の父子の距離。僕の妻、つまり息子の母親抜きでは中々に近くて遠い。

初夏の公園のベンチに二人並んで座る。

晴れ渡った空とは対照的な、息子の思い詰めた顔を見て心が痛む。半年前、この子は十歳にして母親を失ったのだ。僕は、もっとしっかりしなければならない。妻が死に、その上、息子に何かあったら救いが無い。

息子に気付かれないように深呼吸し、緑の芝生、青い空、白い雲、隣のベンチに目を移す。そのベンチには、熱心にスケッチする女学生が座っていた。

「人生は消しゴムを使わないスケッチのごとし」

ジャケットのポケットに入っている消しゴムには、ドイツ語でそう書かれている。

僕と妻を繋いだ消しゴム。

ポケットの中で、僕はその消しゴムを握り締めた。

「で、何を悩んでるの?」

話しかけると、息子は僕の顔を見た。

「ママの事?それとも、何か別の事?」

息子はまた、視線を落とす。

「もしかして、学校で何か、イジメとか?」

哲学者のような顔で俯いた息子を見て、早くも手詰まり感が漂う。

「何か、もっと悪い事?」

この子は一体何に悩んでるんだろう?と、必死に考えていたら「ヒントだけでも教えてくれないかな?」と、吐息の混じった言葉になっていた。情けなくて、僕も俯いてしまう。

「本当に知りたい?」

慌てて声のした方を向くと、息子が真っ直ぐに僕を見ていた。

「本当に、知りたい」

僕は息子の視線と同じくらいの強さで頷いた。

「助けられなくても?」

「うん、それでも知りたい」

知らなければ何も始まらない。

「分かった」

僕に彼が救えるのだろうか?

「僕、恋をしてるんだ」

「え?」

自分でも分かる、ひどく間の抜けた声だ。

「ママの事は悲しいけど、この片想いはママが死ぬ前からなんだ」

僕の笑顔に困惑と安堵が入り混じっているのが、誰の目にも明らかだろう。

「恋って、早過ぎない?」

「本気なんだ」

真っ直ぐな視線で僕を見る息子と、明らかに動揺している僕とでは、最早どちらが大人で、どちらが子供か分からない。

「そうか、分かった」と、僕はかろうじて大人の威厳を取り戻す。

「でも、聞いてホッとしたよ」

「なんで?」

「だって、もっと悪い事を想像してたから」

「片想いより、悪い事なんてあるの?」

「え?」

僕は妻と出会った頃を思い出した。彼女はすでにシングルマザーだったが、それ故に、近づけなかった自分がいる。

「そうだね。片想いは、辛い」

「クラスメートなのに、話すきっかけさえ分からないんだ」

俯いた息子の表情は、さっきより少し柔らかい。

「大丈夫」

「え?」

「ママと出会った頃の僕も、そうだったから」

首を傾げて見上げる息子に、僕は何度か頷いた。自分にも大丈夫と言い聞かせるように。

「あの頃、ママはカフェの店員で、僕はただのお客だった。それに比べたら状況は明るい」

「どうやって、ママと結婚したの?」

「これだよ」

僕は、ポケットから消しゴムを取り出した。

「これをタイミングを見計らって、彼女の前に落とすんだ」

息子の頭にハテナマークが浮かんでいるのが分かる。

「消しゴム?」

「拾って貰えたら、話すきっかけになる」

僕は消しゴムに書かれたドイツ語を指差す。

「なんて書いてるの?」

そう言った息子の表情は、妻に似ていた。

「きっと、彼女もそう言う」

君のママが、そう言ったように。

「拾ってもらえなきゃ、どうするんだよ」

「拾ってくれないような女の子を、君は好きになるのかい?」

僕は、書かれたドイツ語の意味を伝えながら、消しゴムを息子の手に握らせた。