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第5回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 奥様の魔法/深見将

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第5回結果発表
課 題

魔法

※応募数250編
「奥様の魔法」
深見将

 営業部長になってから私は、始業一時間前には出社することにしている。
 八時過ぎにオフィスに入ると、珍しく誰かがいる気配がした。私の斜め向かいにある社長のデスクに、見慣れない生き物が居座っている。ミナミコアリクイがなぜ、どうして? どくんと心臓が鼓動する。
 そいつは眉に皺を寄せて、ウギウギと唸りながら、長い鉤爪でキーボードを叩いている。恐る恐る、私は近づいた。そいつは私を見ると、ノートパソコンの画面をこちらにくるりと向けた。『妻にやられた』とwordに打ち込まれている。
 やっぱりそうか……このミナミコアリクイは社長だ。魔女である奥様に、姿を変えられたに違いない。
「奥様と何かあったんですか?」
 動揺を抑えながら私が尋ねると、社長はカチャカチャとキーボードを叩いた。どうやら話すことができないらしい。
『ケンカ家を出た』
 私はすぐに自分のパソコンを起動させ、全社員にメールを送った。
『各位、本日より社長がミナミコアリクイになっております。動揺せず通常通り業務を遂行すること。口外は固く禁ずる。違反者にはそれ相当の罰則を与える。以上』
 私が送ったメールを確認した社長はこくりと頷くと、私に鉤爪を向けた。ありがとう、と伝えたいのだろう。
 この日は、月一度の営業会議が行われる。急遽メインスクリーンの隣に、社長のパソコン画面を映すモニターを準備した。会議室には各部長と営業課長らが集まったが、やはり動揺は隠せないようだ。何度も社長をちら見しながら、平静を保とうと必死だ。私の隣席に座る秘書の佐々木美穂は、瞳をうるうるさせている。キャラクターやアニメ好きの彼女にしてみれば、ミナミコアリクイになった社長をハグしたくてたまらないのだろう。
 このところ、我が社の売上減少は深刻だ。食器業界は低価格輸入品の攻勢や、観光業の不振による業務用食器及び土産品の需要減などで苦戦を強いられている。ネット販売に活路を見出す競合が多い中、当社は一歩出遅れているという状況だ。
 営業一課、二課と順に月次報告が行われる。いつもならここで、「君っ! どうして大口からの受注が八パーセントも下がった? その原因は……」などと社長が課長たちに長々と圧をかけるはずだ。ところが文字を打つのが億劫なのか、社長は黙ったままだ。コツン、コツン、コツンと鉤爪で卓上を打つ音だけが不気味に響いている。ようやく口を開いた山下課長が「特にB社からの受注が三十パーセント減となっています」と説明する。
 その瞬間、社長は会議テーブルに乗り上がると、山下に向かって両手を広げ、仁王立ちになった。鉤爪がきらりと光沢を放つ。神々しいばかりの、威嚇のポーズ!
 ……ああぁ、可愛すぎる。全員がその姿にきゅんきゅんしていた。我慢できなくなった佐々木美穂が、スマホを構えて写真を撮りまくる。シャッター音を聴いた社長が、佐々木を睨み付ける。が、社長の意に反して、彼女のスマホにはカメラ目線で威嚇ポーズをするベストショットが撮れていた。
「会議中に写真を撮る奴があるかっ」
 私は佐々木を叱った。そして、社長を抱えると座席に戻した。思ったよりもずしりと重い。ちょうど、うちのコーギーくらいだろうか。
 社長の威嚇がよほど効いたと見える。山下は険しい表情で、頭を垂れたままじっとテーブルを見つめている。社長が文字を打つ。
『原因なきものに解決なし』
 山下がはっと目覚めたように立ち上がる。
「社長、申し訳ありません。B社の受注減は単なる課題に過ぎない。大切なのは原因の追求ですよね。B社の売上が下がっているのか、我が社の製品に不満があるのか、他社製品に乗り換えたのか、それが分かればまだ打つ手はある。至急、ヒアリングをして解決策を講じます!」
 社長はカチャカチャと打つ。
『分かればいい』
 その後も会議は円滑に進んだ。各部門の課題、原因、解決策が提示され、それに対して前向きな意見交換がなされた。全員が会議に集中している。これまで社長の独壇場になっていた会議が、これほどまで効率的で有意義なものになったことがあっただろうか。
 もしかして……? 奥様が魔法で社長をミナミコアリクイに変えたのは、喧嘩が原因ではないのかもしれない。彼女は、我が社の危機的状況を知っていた。そこで、社員のポテンシャルを最大限に発揮させ、危機を乗り越えるためには、みんなの邪魔にならないよう社長の発言を最低限に抑えること。それでいて、社長への愛、会社への愛を強く持ってもらうこと。
 そのために、社長をミナミコアリクイに変えた。だとすれば、奥様は最高の魔法を我が社にかけてくれたわけだ。
(了)