第29回「小説でもどうぞ」佳作 癖矯正院 名野映
第29回結果発表
課 題
癖
※応募数288編
癖矯正院
名野映
名野映
僕は、癖矯正院にやってきた。
町外れにある木造の建物の扉を開くと、柔和な顔つきの老人が迎えてくれた。
「あの、癖を……」
はっとして、髪にやった手をおろした。
「矯正ですね。私が院長です。どうぞこちらへ」
中の広いスペースには、既に数人のお客さんがいた。
一人の女性は僕が来た途端、十回ほど瞬きをした。
辛そうな顔だった。気持ちが痛いほどわかった。
「皆さん、いろいろな癖をお持ちと思います。ですが安心してください。すべて直ります」
と院長が言った。
「まずはこの場でご自身の癖を開示してください。恥ずかしいかもしれませんが、まずはそこからです」
一人一人が自分の癖を話していく。
本当に様々な癖の人がいた。
内股を気にする男性。喋ると毎回語尾が上がってしまう人。コワモテの中年男性は舌打ちを直したいと言った。
「ありがとうございます。それでは施術を始めましょう。癖というのは、言わば『凝り』です。行動がその癖の位置で固まっているのです。まずは体全体を柔らかくしていきましょう」
柔軟体操が始まった。イチニ、イチニの掛け声で体を動かしていく。
正直、半信半疑だった。「癖は凝り」……理屈としてはおかしくないが、何をやっているんだろうという気にもなってくる。ずっと悩まされて馬鹿にもされてきた癖を直したいと、藁にもすがる思いで来ておきながら矛盾しているのだが……。
「大分ほぐれてきましたね。では、体と同じく大切なのが心の柔軟性です。考え方を柔らかくしましょう。例えば、内股を気にするあなた」
「はい」
「気になりますか? 恥ずかしいですか?」
「かなり……」
「ですが、むしろもっと内股でもいいんじゃないですか? やってみましょう。それ。……どうですか? 今の凄い内股に比べて、今までの内股は」
「た……大したことないです」
「今度は逆に、ガニ股をやりましょう。はい、極端に! どうですか?」
「これはこれで、変です」
「次は極端から極端へ一秒で移行しましょう。他の皆さんも内股ガニ股をやってください。はい、内股! ガニ股! スムーズに!」
そのようなトレーニングを、全員の癖を題材にして行った。
一秒間に十回の舌打ち直後に、一分間の我慢。
語尾を限界まで上げて、次は限界まで下げる。
全員が髪の毛を異常なほど触り、そして次は全く触らない。
「どうですかあなた? 他の人の癖は」
院長が大声できく。瞬きしながら僕は答える。
「……そうですね、やってみると、目が潤って、なんだか楽です。素敵な癖かなと」
「本当ですか?」
と瞬きの女性が喜んだ。そして髪に手をやりながら、
「あなたのこの癖も素敵です。心の繊細さを感じます」
「あ、ありがとうございます」
院長が同じことを問いかけると、他の人たちも会話を始めた。
「舌打ちって初めてしたんですけど、かっこいいですよね」
「へえ。俺も、似合う奴には内股がいいと思うよ。あと、語尾を上げると元気が出るね」
「そうですかぁ!」
和やかな空気になったところで、ぱんと院長が手を叩いた。
「はい、今、皆さんの癖はどうなりましたか?」
言われて気づいた。……髪をいじっていない。
あの、いじらずにいられないという強烈な衝動自体を感じない。
他の人たちも、それまでの癖が消えて不思議そうな顔をしていた。
僕はあえて、指で髪を摘んで流してみる。
嫌な気持ちはしなかった。むしろ、
「これは、僕らしい仕草だ……」
何度も髪を触った。少しも嫌な気持ちにならない。他のみんなも、それぞれの仕草を楽しそうに繰り返していた。
「癖は愛おしいもの。直す必要なんてないんです」
院長が言った。
「実際、心と体の凝りがほぐれて仕草を選べるようになると、このように自分から元に戻っていく。自分らしさを認められるようになるんです」
「先生、僕は……」
院長は全てわかっているというように頷いた。
僕は感動していた。
単に癖の問題が解決しただけじゃない。人生における大切なことを心と体で理解できた。そのことへの感動だった。
今日は忘れられない日になるだろう。瞬きの彼女と、仲間たちと、顔を見合わせて頷きあった。
その時、信じがたいことだが、僕たちの前の空間に亀裂が入った。
触れただけで命を吸われそうなおぞましい
「我は、魔界王軍幹部ドヴォルザーク。闇よ全てを飲み込め……『ダークネスウェイブ』」
漆黒の波動が放たれた。凄まじい衝撃が場を震わせ、建物の壁が木っ端微塵に吹き飛んだ。
そいつは厳かに言った。
「魔法が右に曲がる癖を矯正してほしい」
(了)