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第29回「小説でもどうぞ」佳作 わざとのクセに…… 有薗花芽

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小説・シナリオ
小説
小説でもどうぞ
第29回結果発表
課 題

※応募数288編
わざとのクセに…… 
有薗花芽

 冷房でキンキンに冷えたコールセンターのある高層ビルから一歩外に出ると、ドリアンの匂いがかすかに混じるタイ独特の熱気が、ムワッと体にまとわりついてきた。
 俺のあとを追うようにビルから出てきたマウが、背中から人懐こい声をかけてくる。
「兄さん! 飲みにいこうよ」
 マウは冗談かと思うぐらい美しい顔をした青年で、二回りも年の離れた俺のことを兄さんと呼ぶ。
 立ち止まってマウが追いついてくるのを待ちながら、ポケットからタバコを一本取り出して口にくわえた。すでに俺の全身には、じんわりと汗がにじみ出している。
「ねえ、何か良いことがあったんでしょ?」
「良いことなんて……」と俺は言いかけて、口をつぐんだ。
「話して」とマウは色っぽい目つきで言った。
 いきつけの屋台で、風呂場に置いてあるような安っぽいプラスチックの椅子に座り、俺たちはただ安いだけの薄いビールを喉へ流しこんだ。店主がビールと一緒に置いていってくれたステンレスの洗面器には、その辺の道端から摘んできたような草が数種類入っている。
「もう二十年以上も会っていない、俺の双子の弟がさ……今日偶然、コールセンターの俺が担当する回線に電話してきたんだよ」
 羊のようにリズミカルに草をはむマウの口元を見ながら、俺は唐突に言った。
 まるで若い娘のように、マウがほっそりとした両手の指先を口元にあてる。
「キャ! ウソお」
「いや、ホント。親父のあとを継いであいつが社長になってる会社でさ、パソコンを大量購入したらしいんだけど、ケチって安いのにしたもんだから初期不良が出まくりで、そのクレームの電話をしてきたんだ」
「ヤダ。昼ドラみたい」と言いながらマウは、ちょうど店主が運んできた、揚げた鳥皮らしきものを口に放りこんだ。
「うん……あいつも、まさかクレームの電話を取ったコールセンターのオペレーターが、ずっと行方不明だった兄とは驚いただろうな」
 マウは油でベタベタになった指先をペロリとなめた。
「お互いに、すぐに気づいたの?」
「いや……。俺のほうは会員番号を聞いて端末に入力した瞬間に、氏名と住所がモニター画面に表示されたからすぐにわかったよ。だけどあいつは、全然気づかなかった。俺はバレないように必死で、マニュアル通りの会話を続けたよ……」
 俺は急に鼻の奥がツンとして、思わず声をつまらせた。
 マウは母性的な目つきで俺を見つめた。
「ねえ、そもそもどうして兄さんはタイのコールセンターなんかにいるの? 双子の弟さんは社長にまでなってるっていうのに」
 言いにくいことをズバリと聞いてくるマウに俺は感心した。タイの孤児院育ちだというマウは、流暢な女性言葉の日本語を話す。
「俺たち双子の兄弟は、親父が会社経営をしている、けっこう裕福な家に生まれたんだ」 
 俺は重い口を開いた。
「うん、それで?」とマウは洗面器の中から草をちぎって口に入れながら言った。
「二人とも、顔は三枚目の親父そっくりで大差なかったんだけど、頭は弟のほうがずっと良かった。小中高と俺は公立だったけど、弟は偏差値の高い私立に通ってたし、大学も俺はいわゆるFランだけど、弟は一流大卒だ」
「よくある話ではあるけど、つらいわね」
「大学を卒業して俺は、すぐに親父の会社に就職した。だが弟は見分を広げたいとかで、アメリカに遊びにいったきり、三年も帰ってこなかったんだ。親父はブツブツ文句を言いながらも、せっせと仕送りしてたよ」
「モラトリアム人間ね」とマウは笑った。
「三年が過ぎるころ、ようやく弟は帰国した。親父は大喜びだ」
「むりもないわ」
「帰国してすぐに親父の会社で働き始めた弟は、破竹の勢いだったよ。アメリカ式だとかいう経営方法で会社をバンバン改革し始めて、おかげで売り上げは右肩上がり、会社は大躍進ってわけさ」
「ヤダ。ホント?」
「ああ。あいつはただアメリカで遊んでたわけじゃなかったんだな。三年前からずっと親父の会社で働いてきた俺の面目は丸つぶれさ。弟に対抗して仕事でいろいろやってみたが、すべてが裏目に出る。ある日、何もかも嫌になって会社をやめた」
「だからって、こんなタイのコールセンターで、時給六百円で働かなくたって」
「日本に、俺の居場所はなかったんだよ……」
「弟さんはいつ、電話の相手が兄さんだって気づいたの?」
「ああ、それは」
 と、俺はタイの熱気がチロチロと赤い舌を出して粘っこく俺の体に絡みついてくるのを感じながらマウの顔を見た。
「俺がつい『不良品はすぐにキラキラの新品とお取り替え致します』って言ってしまったからなんだ。俺たち双子は小さいころ、ピカピカをキラキラと言い間違えるクセがあってさ。よっぽど俺はうろたえてたんだろうな。うっかり子どものときのクセが出ちまったんだよ。そしたらあいつが、『兄さん?』って言ってきて……」
 俺は顔を両手でおおった。
「俺、日本に帰ることになったよ」
「キラキラ光る……」とつぶやくように歌うマウの声が、耳のすぐそばで聞こえた。
(了)