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第8回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 いたいのいたいの飛んでくる 渡鳥うき

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第8回結果発表
課 題

悩み

※応募数323編
  いたいのいたいの飛んでくる 
渡鳥うき

 作家の僕は八作目を執筆中だった。シリアスな話だから静かな場所で書きたいと知人に相談すると、百万円で別荘を譲ると言った。
「実はちょっといわく付きの物件でさ、不動産屋も引き取らないんだ。君がよければ譲るよ。眺望は最高だぜ。町まで車でたったの七分だ」
 知人は別荘の写真をスマホで見せた。確かにいい場所にあった。高い丘の上に建てられた洒落たデザインの平屋の家。芝の庭とデッキテラス付きで、眼下には暮らすのに充分な店や施設が揃った緑豊かな町が広がっていた。
「いいところだけど……その、君が言う曰くっていうのがなんなのか、気になるんだけど」
「実は謎の痛みがたびたび起きるんだよ。医者に行っても原因不明で、頭が痛かった翌日には肘が、その次の日には尻が痛む。そんなに長続きはしないんだけど、常にどこか痛むんだ。事故物件でもないのに何かおかしいんだよ」
 僕は悩んだが、百万円で手に入るならと、その家を譲ってもらった。神社で買った御札も貼ったが、翌日さっそく謎の痛みが膝に走った。ダンボールから服を出していたときに突然ズキッとし、それが治まったと思ったら、今度は肩に殴られたみたいな衝撃を受けた。
 うわーマジか。僕は患部をさすった。我慢できないほどではなく、一時間もすれば治まったが、いきなりやってくる痛みは連日続いた。
 ひと月後のこと。徹夜で原稿を終えた朝六時半、目をしばしばさせてカーテンを開くと、デッキテラスに何かがいた。そいつは大きさ五センチほどのおっさんだった。人力車の走り手のような格好で、角刈りの頭にハチマキを締め、ハイッ、オイッ、と掛け声を出しながらスクワットをしていた。
「さて、今日もいっちょやりやしょかね」
 おっさんは手を叩いてデッキを降りていった。僕は慌てて趣味の登山で使っている双眼鏡を出してきておっさんを追いかけた。
 彼は丘を下ってゆくと、ここから約七百メートルほど先にある保育園に入っていった。既に開園していて、続々と親たちが子供を預けにくる。彼は園庭で腰を屈めて手につばを吐いた。そのときに廊下を走り回っていた子供がすてんと転んで泣き出した。すると近くにいた保育士がその子の膝の近くに手を当て、「いたいのいたいの飛んでゆけー」と唱えた。
 瞬間、おっさんはゴールキーパーのように保育士が上げた手の先にガシッと飛びつき、即座に体を一回転させ、こちらに向かってほいっと投げた。数秒後、膝に痛みが走った。
 いてっ! 唖然としながらしばらく見てると、怪我した子供に「いたいの飛んでゆけー」と保育士が言うたびにおっさんは掴まえては投げ、僕はその場所が痛くなるのだ。
 原因はこれか。いたいのいたいの飛んでゆけが飛んでくるのだ。しかも遊び盛りの子供がわんさか。転倒やぶつかりはしょっちゅう。痛みが次々やってくるわけだ。
 これはなんとかせねば。体が保たん。僕はおっさんが帰ってくるのを待った。保育園が夜七時に最後の子供を見送ると、おっさんはハチマキで汗を拭いながらデッキに戻ってきた。一日中動いてクタクタのようだった。
「あの、ちょっとお話いいですか」
 僕が声を掛けると、あぐらをかいていたおっさんは文字通り飛び上がってすぐさま頭を床に押しつけて土下座をした。
「すいやせん、すいやせん。あっし、まだ新人なもんで、飛距離が伸びないでやんす。悪気はねえんす。お怒りはごもっともで……」
 江戸っ子口調のおっさんは繰り返し頭を下げた。そんなに謝られるとこちらが恐縮してしまう。
「まあ正直困っていますけど……あれはあなたのお仕事なんですか?」
「へい。投げ役という仕事でして……。けど、ああやって童子がたくさんいなさるところは忙しくてみな続かんのです。あっしもまだ三月みつき目で、思うように飛ばせんのですよ。申し訳ねえす」
 おっさんは精霊だった。 言霊ことだま処理班の任務に就いて痛みを飛ばしているが、不馴れなため、本来空に投げるはずの「いたいの」が民家を直撃してしまうのだと詫びた。
「なるほどね。僕も言葉を扱うひとりなのに、発したあとのことについては考えなかったな。あなた方が処理をしていてくれたんですね。ご苦労様です」
「へい。滅相めっそうもない。言霊は生ものなんで、釣った魚と同じで、その場で片づけんと腐っちまうんすよ」
「そうなんだ。だったらあなたが高く飛ばせるようになればいいわけだ。僕もお手伝いしますから飛距離を伸ばせる練習をしましょう」
 そいつはありがてえこってす。おっさんはとても喜んだ。礼儀正しくて好感が持てる。
 園のない休日にトレーニングを始めた。オリンピックのハンマー投げの動画を見ながら勉強し、投げた後に吠えてみたらどうだろうと実践すると、おっさんの飛距離は目覚ましく伸び、やがて別荘の屋根を越えていった。
 以来、痛みは飛んでこなくなり、ようやく執筆が進むようになった。毎日快適だったが、僕はおっさんの影響を受け、「へい」と返事してしまうのが目下の悩みとなった。
(了)