第8回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 ベク 高橋大成
第8回結果発表
課 題
悩み
※応募数323編
ベク
高橋大成
高橋大成
秋になるとやってくる行商人たちが今年も村にやってきた。村人たちはこの行商人たちを楽しみにしている。珍しい道具や見たことのない動物を一目見ようと、こぞって行商人たちを取り囲んだ。ラモンも友人のパブロに誘われ、行商人たちを見に行った。
「あれはなんだ?」
パブロが、ひときわ村人たちが集まっている一角を指さした。
「さあさあ寄ってらっしゃい。世にも珍しい珍獣『ベク』をご覧に入れましょう」
行商人の男が叫んでいた。足元には黒い覆いがかかった檻が置いてある。ラモンとパブロは人混みをかき分け、一番前に出た。
「みなさん、バクはご存知でしょうか。夢を食べると言われているシナの珍獣でございます。今からお見せするこのベクは、シナよりももっと遠い砂漠の国から来た珍獣でございます。さあ、瞬き厳禁でございます」
行商人は覆いをとった。檻の中にいる奇天烈な動物に、村人たちはおお、と息を呑んだ。
「このベクが食べるのは『人間の悩み』でございます。悩みのない人間はおりません。このベクはみなさんの悩みをきれいさっぱり平らげます」
「悩みを食うだって?」
パブロの言葉を行商人は聞き逃さなかった。
「そこの旦那、試してみませんか? お代は銀貨五枚ですが、もし悩みが消えなかったらお代はお返ししますよ」
「怪しくないか?」
ラモンは言ったが、パブロは乗り気だった。
「分かった。じゃあおれの悩みを食べてくれ」
「どんな悩みでしょう?」
「女房と喧嘩ばかりでね。どうすれば仲良くやれるか悩んでる」
「わかりました。では今からベクが旦那の悩みを食べますよ」
行商人はパブロから銀貨を受け取ると、檻を開けた。ベクは檻から出るとパブロの足元へのそのそ歩いていき、パブロに向かって数回、虚空を噛んだ。ベクは檻に戻った。
ぽかんとするパブロと村人に向かって行商人は言った。
「さあ、旦那の悩みをベクが食べました。旦那の悩みは綺麗さっぱり消えました」
「いんちきだ」
村人たちは去っていった。パブロは行商人に詰め寄った。
「銀貨を返せ」
行商人は平然としていた。
「ご自宅に戻って、確かめてからです」
ベクがふんふんと鼻を鳴らした。
翌日、ラモンは玄関が激しく叩かれる音で目を覚ました。戸を開けるとパブロが興奮気味で立っていた。
「なんだよ」
「ベクが悩みを食べるのは本当だ。昨日家に帰ったら、女房が今までにないくらいご機嫌だった。ベクも、あいつも本物だ」
ベクと行商人の元には噂を聞きつけた村人が殺到し、大量の銀貨が飛び交った。行商人はベクを連れ、村中を歩いた。ラモンは気味が悪かったのでベクには近寄らなかった。
しばらくすると妙なことが起こった。悩みが消え晴れ晴れとしていた村人たちの表情が暗くなっていくのだ。パブロも例外ではなかった。ラモンは不思議に思い、パブロになぜなのか尋ねた。
「気分が晴れない。悩みが消えたのはいいんだが、なんだか人生に張り合いがない。むなしいんだ。人には悩みのひとつやふたつ、あったほうがいいのかもしれない」
パブロはいたって真剣だった。ラモンは思いついた。
「つまりお前は『悩みがない』ことに悩んでるわけか。ではそれもベクに食ってもらえ」
パブロの表情がぱっと明るくなった。
「そうだ。そうしよう」
ラモンとパブロは行商人のところに行った。行商人は次の村に行く準備をしていた。ベクは檻の中でつまらなそうにしていた。
「おい、また悩みを食ってくれ」
行商人は振り返った。
「おや、旦那。またですか。いいですとも。どんな悩みです?」
「『悩みがない』って悩みだ。悩みがないせいで、なんだか生きている実感がないんだ」
ベクは檻からパブロを見上げた。
「旦那、それは無理というものでございます」
「なんでだ」
「悩みは『ない』のでしょう。いくらベクでも『ない』ものを食べることは出来ません」
行商人はベクの檻に覆いをかけると、荷台に載せた。
「ではまた、どこかで」
行商人は手を振ると、荷台を
やがて村人たちは「悩みがないよりはましだ」と、またいろんなことに頭を悩ませた。
(了)