第8回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 曇り空ならいつもあいたい 久野しづ
第8回結果発表
課 題
悩み
※応募数323編
曇り空ならいつもあいたい
久野しづ
久野しづ
土曜日の朝自宅のアパートの一室で麻美は悩んでいた。付き合って間もない真司から「今日そっちへ行っていいか」と電話があったからだった。もちろん、彼が来てくれるのは嬉しい。だが。彼が来る日はどんよりと雲がたちこめて今にも雨が降りそうなときばかりだ。梅雨の時期だから仕方がないことだが、当然、彼と外でデートしたことは一度もない。
彼に関することは謎だらけだ。見た目社会人っぽい。しかし、何の仕事をしているか、独身なのか、そもそも何歳なのかさえ聞けずにいた。それでよく体を許したと自分でも思う。
――もしかして遊ばれているのかな。
妻も子どももいて、天気のいい土日は家族サービスに忙しくて、雨が降り出してきそうな日だけ体があいてうちに来るのだろうか。
小ぶりのドレッサーの前で麻美は鏡にうつった自分を見つめた。彼の目には自分はどううつっているのだろう。都合のいい女?
彼に初めて会ったのは、近くのコンビニだった。その日も雨が降っていて、麻美は入り口に傘をすぼめて傘立てに入れようとしたとき、その横に立っている彼に気づいたのだった。彼は麻美に気づかずにぼんやり虚空の雨のしずくを眺めていて、傘を持ってはいないようだった。麻美は中で買い物している間に、傘を盗られたら嫌だな、と一瞬思った。でも、そんなことをするような人にも見えなかったので傘を置いて中へ入っていった。
麻美が用事を済ませて出てきても、彼は同じようにそこに立っていた。雨宿りをしているのだと思った。普通なら知らない人に声をかけるなんてことしないのに。
「よかったら送ってってあげましょうか」
思わず彼に傘をさしかけていた。
何を喋ったか覚えていない。多分とりとめのないことだ。気がついたら彼をうちに誘っていた。何て軽はずみなことをしたのだろう。何回後悔したかしれない。素性の分からない男と付き合うなんて。けれども、彼と面と向かうと、そんなことはどうでもよくなってしまうのだ。それほど彼に惚れているのか。
「駄目よ、麻美。そういうことはハッキリさせないと」
鏡の中の自分を戒め、両の頬を両手で二度ほどたたいた。今日こそハッキリさせよう。
彼が来た。よけいなことを話すと、またうやむやになる気がして、麻美は先手を打った。
「訊きたいことがあるの」
彼が、ん? とこちらを見た。日雇い労働者だろうか。だから雨の日は仕事がなくて、て。彼って肉体労働向きには見えない。だとすると、家族サービスがないからかやっぱり。
「け、結婚しているの? 既婚者?」
「いや」
ここで安心してはいけない。さらに、突っ込んできく。
「認知している子どもがいるとか」
「いや」
よかったー、麻美は心底安堵した。と、そこへ。
「実は、麻美に言っていないことがあるんだ」
ハッとして彼の顔を見る。この上で何を聞かされるの?
「僕、幽霊なんだ。だから、日の光の中では透明になってね」
「なーんだ、そういうこと」
麻美は彼の首に腕を回した。
「今、実体があるのは?」
「天気が雨模様の時、麻美にあうときだけそうなるらしい。晴れだと何もかも突き抜けていくけどね」
「なら、曇り空ならいつもあいたい」
「幽霊でも? いつか消えてしまっても?」
麻美はため息をついた。気づかずに呼び寄せてしまったクライアントか。申しわけなさそうにしている彼の顔を見つめる。
「あたし、神社の
彼も麻美の腰に手を回した。
「知ってる。成仏したいから近づいた。でも、今はそれだけじゃなくなった」
全て聞かなくてもそれで十分だった。
「許す。だって君カッコいいんだもの。ま、真司の事情は寝物語にきかせて。成仏、急いでいないんでしょう?」
麻美の現時点での最大の悩みは消えた。
(了)