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第8回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 娘殿の願い 原光弘

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作文・エッセイ
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結果発表
第8回結果発表
課 題

悩み

※応募数323編
選外佳作
 娘殿の悩み 原光弘

 吾輩は猫である。名はある。ゴロクミだ。気に入っている。
 飼い主は一般家庭と呼べる、平々凡々な家族である。捨て猫だった吾輩を、拾ってここまで育ててくれた恩がある。
 しかし、吾輩には秘密がある。この家族たちは、吾輩をゴロクミと呼ぶのだが、それはどう考えても雌猫に当てる名前であり、吾輩は雄猫だということだ。
 勘違いをされてしまったようなのだ。
 吾輩は雄猫である。名は雌猫のそれだ。いつか吾輩が雄だと発覚した際、この家族が失望しないかと肝を冷やしておる。
「はーい、ゴロクミちゃん、ご飯ですよ」
 母上殿が吾輩の餌を皿によそってくれている。今はまだ腹は空いておらぬが、ここで母上殿の言動を無視することはつまり、母上殿の好意を無碍むげにするということにほかならない。
 吾輩はのしりと立ち上がり、餌が置いてある場所まで歩いてゆく。
「ゴロクミちゃん、ゴロクミちゃん」
 吾輩が餌場でカリカリをいただいていると、娘殿が吾輩のお尻を撫でてくる。
「ゴロクミちゃん、おいしい?」
 吾輩は娘殿に返事をするため、尻尾をふりふりして美味しいことを伝える。そうすると娘殿は喜んで、吾輩の尻尾を触ってくる。
「ゴロクミちゃん、お水もあるよ」
 娘殿はまだ幼く、幼稚園、という場所に毎日出かけているようで、つまり吾輩が親代わりとして娘殿の安全を確認しなければならない。娘殿はゆっくりとした動作で、水の入った器を運んでいる。危うい。転べば怪我をするし、器を落とせば割れるかもしれない。非常に危険な作業を、娘殿はしている。
 吾輩は娘殿が歩きやすいよう、道中に置いてあるゴミやおもちゃを前足でそっとどかす。そうであるぞ、娘殿、そのまま真っ直ぐ進んでくれれば、吾輩の餌場に水の器を置くことができるのだ。がんばれ、娘殿。
 娘殿が無事、水の入った器を吾輩の餌場に置くことができたので、吾輩は娘殿の脚に尻尾を巻きつけながら褒め称えた。
「ゴロクミちゃんも、いつかお母さんになるの」
 娘殿が母上殿に尋ねた。
「そうねえ、でも子どもを産んで育てるのは大変だから、そろそろ去勢させた方がいいかも」
 母上殿、吾輩は雄猫であるゆえ、子をはらむことはできないのだ。要らぬ心労をおかけしてかたじけない。
「えー、赤ちゃんほしい! ゴロクミちゃんの子ども、見たい!」
 娘殿が母上殿の脚に抱きつきながら甘えた声を出している。すまぬ、娘殿、吾輩は子を産むことができぬのだ。
 娘殿の想像は、海よりも広く、太陽よりも輝かしく、宇宙の果てまで見通すほど壮大だ。きっと、娘殿の頭の中では、吾輩の肉体から仔猫が誕生する瞬間が映し出されているのであろう。吾輩は悔いている。自分が雄猫であることを。
「ゴロクミちゃんも、赤ちゃんほしいよね」
 娘殿が持ってきてくれた水を舌でチロチロと舐めている吾輩の頭を撫でながら、娘殿は聞いてきたので、吾輩はここぞとばかりに言葉がわからぬふりをする。
「ほら、ゴロクミちゃんも赤ちゃんほしいって言ってる」
 言ってはおらぬぞ娘殿。
「だめよ、赤ちゃんを育てるのは大変なんだから」
 かたじけない、母上殿。娘殿をよろしく頼みもうす。
 しばらく娘殿が吾輩の赤ちゃんを見たいと駄々をこねていたが、毎週日曜日にやっているアニメの放送が始まったので、気がそちらに移ってくれた。吾輩もソファの上で、このアニメを娘殿と一緒に観るのが毎週の約束になっている。
 ピンク色をした主人公とおぼしき少女が悪と戦う物語を、娘殿は真剣に観ている。
「お母さん! わたしもゴロクミちゃんと一緒にプリキュアになりたい!」
 吾輩は猫である。れっきとした雄猫だ。まだそれを知られてはおらぬ。子を産むことと、プリキュアになること、どちらが難しいのだろうか。
(了)