第9回W選考委員版「小説でもどうぞ」佳作 垢男 若林明良
第9回結果発表
課 題
友だち
※応募数343編
垢男
若林明良
若林明良
八月。ワンルームの床に転がり
餓死すると決心し、この一週間何も食ってない。死ぬんだから皮膚炎なんかどうでもよいはずなのだが、とにかく痒い。どうしようもなく我慢できず、服を脱ぎ裸になると、指やタワシで全身を擦った。すると出るわ出るわ、大量の垢が。
子供の頃に読んだ「あかたろう」。垢をこねて人形を作ったら、神様が魂を吹き込んだのだ。僕はたわむれに垢で人形を作った。小さな埴輪のようなそれを床に置き、しばらく眺めた。
「あほらしい」
ゴミ箱に入れようとすると突然、人形から光線が
「え、何? なんで? どういうこと?」
「魂を入れてくれてありがとう。とりあえずパンツ履かせてくれないかな」
暑さと空腹のあまり頭がおかしくなったのかな。僕は下着とTシャツ、短パンを男に渡してやった。頭のてっぺんから足先まで凝視する。ほくろや皺の位置まで見事に一致している。それに、声も同じだ。
「お腹すいた。食べ物ない?」
財布から残り少ない金を出した。受け取ると、買ってくると言って男が出ていった。
パワハラで出社できなくなって半年。布団から出られない。課長から何度か電話とメールが来たが全てが面倒で、無視し続けた。
働く意思を明示していない以上、休業手当はない。就職活動の気力も湧かない。少しでも金を使わぬようシャワーを浴びず、この半年、暖房や冷房を全く
この世から消えたい。でも痛いとか苦しいのは嫌だ。一番楽に死ねるのはたぶん餓死だろう。もう少しだったのに。
「君の分もあるけど、食べる?」
男が戻ってきた。空腹に負け、つい、あんパンを食べてしまった。
「死にたいんだ。これ以上余計なことしてくれるなよ」
「君はそうかもしれないけど、僕は生きたいんだよ」
男を布団に寝かせてやり、なるべく体を離して寝た。目覚めると男は僕のスーツを勝手に着て、かばんを提げていた。
「シャワーと髭剃り使わせてもらったよ。会社に行ってくるね」
やめてくれよ。腹がたったが、僕は押しの強い人間に逆らえない。しかし分身の癖になぜ、男は僕と性格が違うのか。
根暗の僕と違って男は陽キャらしい。だけど僕だって昔は、冗談を考えて皆を笑わせるのが好きな子供だったのだ。
もしかすると男は、僕の中の陽の部分を抽出した存在ではなかろうか。僕にも明るい春の日差しのような面が残っていた、ってことなのかな。僕はもう少し生きてみようと思った。
夜、男が帰ってきた。
「ドアを開けて、長いこと休んでてすみません~! 今日から復帰しますのでよろしく~! って叫んだらみんなびっくりしてたよ」
だろうな。以前の僕と全然違うもの。
「でもみんな、優しかったよ。中村さんっていうリーダーさんが寄ってきて、厳しくしてごめんな、だって」
中村。僕を追い詰めた張本人だ。
「おつかれさん。先に風呂入れよ」
風呂に湯をため、男を促した。このまま友だちとして暮らすのも楽しいかもしれないが、こいつが存在する限り、僕は日の当たる場所に出られない。
あかたろうは最後、湯に浸かり、溶けて消える。だが、何分経っても男の体に変化はない。
「もしかして、僕を消そうとしてる?」
「……」
「無駄だよ。だって君はもう、いないもの」
無邪気に笑いながら続ける。
「タワシで擦ったせいで破傷風菌が入ったのさ。半年も風呂に入らず不衛生なもんだから、あっという間に体中に菌が回った。
まっすぐ僕に向いた男の目は、いたずら好きだった子供の頃の自分の目にそっくりだな、と思った。
「君の陽の部分だけが垢に、つまり僕に移っちゃったのさ。死にたかったんだろう? 望みが叶ってよかったじゃないか」
そうだったっけ。そうだった。
納得した瞬間、全身が強烈な光に包まれた。
(了)