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第9回W選考委員版「小説でもどうぞ」選外佳作 仲直り 十六夜博士

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作文・エッセイ
小説でもどうぞ
結果発表
第9回結果発表
課 題

友だち

※応募数343編
選外佳作
 仲直り 十六夜博士

 お母さんのいる病院の個室を開けようとすると、いつもと違い、ドアが少し開いていて、話し声が聞こえた。いつもなら気にせずドアを開けるのだけど、咄嗟に手を止めた。聞いたことのない男性の声が聞こえたからだ。
 探偵がするように、ドアの隙間から片方の目で中を覗く。お父さんと同じぐらいの初老の男性が窓側に座り、うつむきかげんでお母さんに話しかけていた。お母さんは軽く口角を上げて応じている。でも、二人の笑顔がなんとなくぎこちない。だから、聞いてはいけないと思いながらも、むしろ耳を澄ます。
「今の時代なら、きっとソフトボール選手になってたんじゃないか」
「そうね。小学生の頃は、あなたよりよっぽど上手だった」
「確かに。アヤコは抜群に上手かったよ」
「でも、やっぱり男と女は違う。中学生の時、なんか糸が切れちゃって。だって、野球に転向した後、あなたの方がドンドン上手くなるんだもの」
「野球は体力も必要だからな」
「そうね」
 しばしの沈黙。自分の呼吸音を数回聞いた。
「あの時、いろいろありがとうな。アヤコが挫折しそうな俺を励ましてくれなかったら、野球続けられなかった」
 少し間をおいて、「だって、あの時は友達だった」と母が言った。
「ケンジに私の夢を託したの。でも……」
「でも?」
「あたしたち、友達のままでいれば良かったね」
 ドクンと胸が跳ねた。男性はきっと――。
「俺との結婚、後悔してるのか?」
「してないわ」
 予想を少し越えていた。信じられないが、お母さんとお父さんは再婚だったようだ。二十歳まで全く気づけなかった。
「あの時はごめん」
「こちらこそ、ごめんなさい」
 二人は笑顔でクスクスと笑った。少しして男性は立ち上がり、お母さんに手を伸ばした。
「今日から、また友達だ」
 お母さんがゆっくり手を伸ばすと、男性がお母さんの手を取った。二人が見つめ合う。少しして、「じゃあ、また」と男性はきびすを返し、ドアに向かってきた。
 あっ――。私は慌ててドアから離れたけど、どうすることもできず、先生に叱られた生徒のように部屋の横に立った。部屋から出てきた男性は、立ち尽くす私を不審そうな目で一瞥した。でも、男性は何も言わず、部屋を離れていった。
 ホッとした私が部屋に逃げ込もうとすると、男性が振り返り、「アヤコさんの娘さん?」と声をかけてきた。
「はっ、はい」
 男性は目を細めて軽く私に会釈をすると、そのまま去っていった。

 数ヶ月経ち、お母さんは五十五の若さで、お父さん、弟、私を残して逝ってしまった。
 お通夜の席で、お焼香をしてくれる人々に挨拶を返す。弟がメソメソ泣くので、なんだか泣けない。でも悲しい前に悔しかった。お母さんを救えなかった無力さ。なんの親孝行もできなかった自分の甘さ。そして、私たち家族の知らない三十五年の空白。お母さんは幸せだったのだろうか?
 そんなことを考えていると、あの時の男性が焼香台に現れた。ドクンと胸が弾む。男性が私に目線を合わせてくる。明らかにあの時会ったことを覚えてる目だ。男性はじっくりとお焼香をすると、深くお辞儀をして焼香台から離れていった。私はいても立ってもいられず、お堂の外に向かった。お寺の外に出て左右を見ると、男性の後ろ姿を見つけた。
「すみません」声をかける。
 男性が足を止めて、こちらを振り向いた。
「お友達の方ですか?」
 男性は微笑むと自信を湛えた目で応えた。
「私はそう思ってます。大好きな友だちでした。野球部のマネージャーでもお世話になって……」
「ありがとうございます」
 私は大きく頭を下げた。元夫として来たのか、友達として来たのか。それだけが知りたかった。きっといろいろあったのだろうけど、あの日二人は本当に友達に戻れたんだ――。
「お母様、ずっと子供が欲しいって言っていてね。こんな素敵なお嬢さんに恵まれて良かった。お母様を幸せにしてくれてありがとう」
 私が感謝されるなんて思ってもみなかったので、グッと胸が詰まる。男性は背を向けゆっくり歩き始めた。その背中に小さく言う。
「さようなら」
 お母さんが言えなかった友達への別れを、お母さんの代わりに。そして、お母さんに向けて。男性の背中は小さくなると同時に、どんどん滲んでいった。
(了)