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第34回「小説でもどうぞ」選外佳作 残るひと 中嶋幸洋

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小説・シナリオ
小説でもどうぞ
第34回結果発表
課 題

最後

※応募数233編
選外佳作 

残るひと 
中嶋幸洋

「どうしても残るんですか?」
 縁側に座っている私に、庭に立った警官は言った。まだ若い。私に子どもがあったなら、その子どもくらいの歳だろう。
「こんなに長く世間様のお役にたってきたんだ。最後くらい自由にさせてください」
 私は静かに答えた。
 柿の木にヒヨドリが来てとまった。実った柿をつつく。少し風があって、枝ごと揺れている。その枝の横。
 青空に、遠く、白く丸いものが見えている。まるで月のようだ。見かけの大きさも似ている。しかし、あれは星ではない
「今日は、船がよく見えますね」
「最後の便だ。お巡りさんも乗り遅れないようにしないと」
 警官は微笑んだ。
「まだ一週間は船出しませんよ。地球に巨大隕石がぶつかるまで十日あるし、あわてることはありません」
「こうしていると信じられないが、本当にぶつかるのかね」
「まあ、お客さんたちがそう言ってますからね。地球の科学者たちも観測して、どうにもならないって言うし」
 お客さん……異星からの客。
「お客さんたちが来たのは秋だったから、もう一年くらいになるだろうかね」
「まだ一年しかたたないんですねぇ……」
 しみじみとした口調だった。
 激動の一年。
 彼らの起こした事故によって速度を得た小惑星が進む先には、運悪く地球があった。
 責任をとり、地球のすべての人類をほかの星に移住させることなど、彼らにはたやすいことだった。 
 圧倒的なテクノロジーと外交術の前に、大きな混乱は起こらなかった。むしろ、地上から戦火と飢えが消失したのは、おそらく初めてのことだったろう。
「もう町内には誰もいないのかい」
「――さんが最後です」
 どうりで静かなわけだ。
 庭木の葉ずれの音しかしない。
「ペットもつれていけますよ」
 わたしの横に座りながら、警官は言った。
「いやいや、死んだ妻はいろいろ可愛がってたけどね。今はもう皆、この庭に埋まってるよ」
「荷物に制限もないんですよ。なんならこの家ごと移住できます」
 少し困った顔になりながらも、警官はゆっくり言葉を重ねた。
「それも知っているよ。べつに未練はないさ」
「経済的に不自由することはありませんよ。当面、お客さんたちが全面的に援助します」
「それは、むしろいやだな。人間は働くものだ」
 わたしは胸をはった。これまで、働けるかぎりは働いてきた。
「どんなお仕事をなさってたんです?」
「定年のあとに再就職して、マンションの管理人をしてた。すぐそこの――マンションだよ」
「……管理人のお仕事は楽しかったですか?」
「まあ、そうかな」
 警官は居住まいを正し、こちらに向き直った。「どんなところが」
「ごみ置き場を片付けたり、切れた電球を変えたり……そういう単純な作業も好きだったけど、まぁ、住民にはいろんな人がいてね」
「ほう」
「わがままな爺さんがいて困ったりもしてね。でも、皆さんと話すのは楽しかったな。じっくり話せば、たいていは気持ちが通じるものさ」
 懐かしい住民たちの顔を思い浮かべた。いい思い出だ。おかげで妻に先立たれても寂しくなかった。
「……私たちには、あなたのような人の助けが必要です」
「私たち?」
 警官の姿がゆらいで見える。私は息をのんだ。そのまま姿がぼやけ、ゆっくりと、テレビで見た「お客さん」の姿に変わった。
「驚かせてすみません。これは実体ではないです。投映してるだけで、私は船の中にいます。
 地球の大気の組成にも、気圧や重力にも耐えられませんから」
 異星人の表情はわからないが、なんとなく微笑んでいるような気配がする。 
「……もう、地上にはほとんど人はいないんですよ……ああ、今、あなたが最後の一人になりました」
「私がかね!」
 あたりを見回した。
 年期の入った庭の塀は、根元が少し苔むしている。庭木の影が芝生にさし、その影を横切ってセキレイが歩いていった
 見慣れた我が家の庭だ。
 そこに異星人の影が座り、私が最後の人間だと言う。とても現実のこととは思われなかった。
「新しい地球には、以前の生活をなるべく再現するようにしていましてね。日本のマンションに似せた居住空間も用意したんです。人工の管理人を置いたんですが、行きとどかないという不満の声が大きくて……」
 しばらくはあっけにとられていたが、だんだん言われていることがのみこめてきた。
 そういうことなら話は別だ。
 私は決心した。
「ちょっと待っていてくれ」
 洗濯して清潔な、マンション管理会社の制服に着替えた。帽子のつばを掴み、左右にずらして、まっすぐに整える。身の回りの品と、妻の形見だけをバッグにつめた。
 背すじを伸ばして異星の客の前に立ち、せいいっぱいの威厳をこめて私は言った。
「私がやろう」
「お客さん」が腕を上下にふると、光につつまれたトンネルが現れた。そのまま腕をトンネルに差し向けて、私をいざなう。
 地上最後の人類となった私は、新しい世界にむけて一歩を踏み出した。
(了)