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第13回W選考委員版「小説でもどうぞ」 夢枕獏さんインタビュー&応募要項

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小説でもどうぞ
第13回W選考委員版「小説でもどうぞ」の募集がスタート!
ゲスト選考委員は『陰陽師』で知られる夢枕獏さんです。

また、季刊公募ガイド春号(2025/4/9発売)では、夢枕獏さんのインタビューを掲載しますが、ここではこのインタビューのロングバージョンをお送りします。応募前にぜひとも熟読ください。作家志望者必読の内容になっています。

レギュラー選考委員
高橋源一郎

1951年、広島県生まれ。81年『さようなら、ギャングたち』でデビュー。 小説、翻訳、評論など著書多数。日本のポストモダン文学を代表する作家。

<第13回>
夢枕獏さん

1951年神奈川県生まれ。東海大学文学部卒。77年「カエルの死」で雑誌デビュー、98年「神々の山嶺いただき」で柴田錬三郎賞。ほか、『陰陽師おんみょうじ』『餓狼がろう伝』など著書多数。

第13回ゲスト選考委員は夢枕獏さん。
26歳で雑誌デビューした投稿時代の話から、
小説の書き方、心構えなどについて伺いました。
季刊公募ガイドの巻頭インタビューのロングバージョンです!


努力する前に、私には才能が

あるかと問うても意味がない

―― 公募ガイドへの登場は、なんと35年ぶり、前回は1988年8月号です。このときの誌面に、獏先生はこう書かれています。

 もの書きになってみてわかるのだが、才能が助けてくれるのは、ごくごく、わずかの部分でしかない。ほとんどの部分を、こけの一念でやってきたように思う。
 何にしても、才能というのは、間違いなく必要なのだが、自分にそういう才能があるかどうかなど、何年間か、そのことに必死で取り組んでみないことにはわかるものではない。
―― けだし名言ですね。
 格闘技でもほかのスポーツでもそうですよね。平等に24時間しかない中で、才能を比べるために努力をしている。努力をする前に、自分には才能があるかと問うてみてもわかりません。
―― 才能があると仮説を立て、それを努力で証明するという順番ですよね。
 ただ、いくら才能があっても、時代が必要としないとだめです。小説や演劇などは才能だけではなく、時代がその人の何かを求めているということが大事なポイントになってきます。
―― それに関してはもう運しかない?
 才能があって努力もしているが、芽が出ないとなると、それは運でしょうね。
―― 時代に合わせていくのは?
 自分から時代に合わせにいってうまくいくケースはほとんどありません。時代のほうが早く動いていくので、合わせにいっても追いつけないのです。
―― 今、流行っているのを真似しても遅いですよね。
 それより、自分がやりたいことをやる。それしかないでしょうね。
―― 書きたいことがある人はいいですが、何を書いたらいいかわからないという人はどうすればいいですか。
 それは教えられないし、与えられないから、自分で探すしかないですね。本人が苦しんで答えを出したほうがいいし、出すべきです。自分でやるよりないんだという覚悟を持つべきだと思います。
―― わからなければわからないなりに書き、書きながら探す?
 書きながら考えていると、答えが出てくるケースが多いです。わかっているところを書いていけばいいんじゃないですか。



あなたは、普通の人になるのは

諦めなさいと言われた

―― 先ほどの公募ガイドの誌面には「26歳でデビューしたときは、原稿用紙に文字を書き始めて10年が経っていた」とあります。ということは、小説を書き始めたのは16 歳?
 書くだけだったらもっと前から書いていましたから、ある程度の長さのものをラストまで書き上げたのが16歳ということでしょうね。それまでは、書くのだけれど終わらないというパターンでした。
―― 大作すぎて終わらなかったのですね。
 大作かどうかはわかりませんが、書き終える前に次の作品を書き始めるというパターンが多かったですね。
―― それは10歳ぐらいでしょうか。
 字を覚える前に物語を作っていました。うちの親父は寝る前にいろいろな本を読んでくれたのですが、あるとき、自分で創作した物語を話しだしました。幼児だった私は寝ないでその話を聞き、「続きは? 続きは?」とずっと聞くものだから、親父は「もうこの続きはない」と言いました。そうしたら「じゃあ、僕がその続きを話す」と言って親父に続きを話したそうです。それぐらいの歳からお話を作っていたのですね。
―― デビューのきっかけはなんだったのですか。
 すべての作品に評をつけるという筒井康隆さんの同人誌「ネオ・ヌル」に投稿し、「カエルの死」という作品が掲載されました。その後、SF雑誌の「奇想天外」が「ネオ・ヌル傑作選」という企画をしたときに「カエルの死」が選ばれ、雑誌デビューとなりました。
―― この頃には作家になるという意志はあったのですか。
 SF翻訳家の柴野拓美さんがやっていた「宇宙塵」という同人誌に『巨人伝』という中編を投稿したら、「ちょっと家に来ませんか」と言われ、柴野さんのお宅におじゃましたとき、「あなたはもう普通の人になるのは諦めなさい」と言われました。
―― それはうれしいですね。才能を見出されたわけですね。
「あなたはもう作家になったほうがいい。そういう運命だと思って、この道で生きることにしたほうがいいです」と言われました。「売れるか売れないかは保証しませんが、あなたはいろんなことを諦めてこっちの世界でやっていく決心をしたほうがいいです」と。それで「奇想天外」に『巨人伝』を柴野さんが紹介してくれて、「カエルの死」の数ヶ月後に掲載されました。
―― それで大学を卒業後も就職されなかったのですか。
 就職はしなかったというより、できなかったんです。福音館書店という出版社を受けて落ちたんですね。それで山で働きながら投稿、持ち込みを続け、あとはこうなっちゃったんですね。



好きな作家を真似し、

真似をしながら個性を出す

―― 投稿はよくされていたのですか。
 東海大学時代は学内で募集があり、井上光晴先生が選考委員でしたが、落選した記憶があります。そのあと、「SFマガジン」のコンテストに応募し、それも落ちました。
―― 公募ガイド1988年8月号には、22歳の春に「SFマガジン」と「野性時代」の新人賞に落選したと書かれています。
「野性時代」にも落ちていたのか。覚えてないなあ。でも、自分で書いているということは、そうだったんだろうなあ。
―― その4年後、26歳で雑誌デビューをされますが、小説で食えるようになったのは何歳ぐらいですか。
 30歳のときに結婚しましたが、結婚した年の年収が60万円ぐらい。その翌年が120万円ぐらい。さらに翌年が250万円ぐらい。そのまた翌年は500万円~700万円ぐらい。35歳のときには「え? 本ってこんなに売れるんだ」という感じでした。
―― どうしたら売れるかと考えていらっしゃいましたか。
 それは考えないほうがいいんじゃないですかね。考えるべきは、読者がわかるかどうかであって、どうすれば売れるか作家は考えないほうがいい。もったいないですよ。考えたってどっちみちわからないし、マーケティングをやった結果、それでも売れないということはよくあること。今売れているものを参考にしないほうがいい。参考にすべきは自分の好きな作品であって、売れている作品ではないです。
―― 好きな作品を参考にするというのは?
 真似をするということです。自分の好きな作家はどういう書き方をしているか、どんな間の取り方をしているかなどを参考にする。
―― いい意味の模倣ですね。
 抜き書きはだめですよ。それは盗用です。そうではなく、好きな作家のような小説を書いてみる。やってみればわかりますが、真似したくても真似できっこないんです。では、何になるのかというと、自分の作品になるんですよ。それは間違いありません。真似をしながら個性を出すしかないんですよ。
―― 獏先生が影響を受けた作家は?
 筒井康隆さん、半村良さん、平井和正さん、あとは僕が10代、20代のときに活躍されていたSF作家の方々ですね。SF以外では今昔物語、ギリシア神話などの古典、それから坂口安吾、宮沢賢治、詩人では萩原朔太郎、高村光太郎ですね。
―― そうしたものが混ざって自分ができていく?
 好きな作品を何度も読んだ結果、そのリズムが自然に自作に入っているケースがありますね。入っているというより、自分の中で増幅される傾向があります。



何枚で収まるかわからなければ、

ストーリーを話してみればいい

―― 執筆される前にどれくらい調べますか。
 ものによりますが、長編は相当調べますね。ある時期にまとめて調べるというのではなく、連続して調べています。一度、調べたらおしまいってことにはなりませんよね。
―― 調べるのが面倒という声もよく聞きます。
 たくさん調べないと嘘がつけないんですよ。事実を調べて、その空白のところで嘘をついたりします。今はインターネットがありますので、なんでも調べられますよ。ただし、ネットは間違いも多いので、気をつけないと。
―― 取材は行かれますか。
 現場に行くことはよくやりますね。『神々の山嶺いただき』のときは、10 回以上、ヒマラヤに行きました。
 資料に関しては文字を読めばわかるんですよ。それはもちろんやるんですが、現場に行って、「俺が一番知っている」というところまで行けばもう書けます。
―― 実体験で書く文章には重みがあります。
 ヒマラヤは8000メートル級の山々で、そこまでは行っていませんが、6000メートルぐらいまでは上がっています。そこから8000メートルはこの5倍ぐらい大変なんだろうなと想像して書きました。
―― 今ある知識だけで書くのは?
 書けるならいいですが、知っていることは間違えるんですよ。知らないことは間違えない、調べるから。しかし、知っていると思い込んでいると調べないんですよ。それで間違える。思い込んでいることに気づかない。だから、知っていることも念のために調べたほうがいいですね。
―― 連載の途中でも調べますか。
 全部調べてから書くわけではなく、最初に書き出せるところまで調べて、あとは書きながら調べていくというスタイルをとっています。今、書いている連載は話がどっちに振れていくかわからない作品が多くて、いろんな方向に動いていく先のことを調べたりしています。最初に全部調べが済んで書き始めるわけじゃないんですよね。
――今回は掌編を選考いただきます。
 ショートショートというのはアイデアが出るか出ないかだと思います。出れば書けるんですね。
 自分の持っているアイデアが5枚のものなのか、100枚のものなのかは、よく考えて書いたほうがいいですね。100枚で書くべきアイデアを5枚に縮めたものがショートショートではありません。
 長編とショートショートは別のアイデアです。5枚のショートショートなら起承転結はなくてもいいんですよ。必ずオチがなければいけないというものではなく、オチがある5枚もあれば、オチがない5 枚もあります。
―― 自分のアイデアが何枚で収まるかわからないという人は?
 ストーリーを誰かに話してみたらいいと思います。話した時間が長ければ長編向きということになり、短くさらっと伝えられればショートショートになります。僕もずっと架空の自分にストーリーを話していましたよ。
―― 話した時間と枚数は比例するんですね。応募する方にも大変参考になったと思います。本日はありがとうございました。


W選考委員版 第12回「小説でもどうぞ」の結果発表と選考会の裏側は、季刊公募ガイド2025春号(2025/4/9発売)または2025/4/9更新のこちらをご覧ください。
応募要項
課 題

■第13回 [ 契約 ]

 家を借りる時には契約書が必要です。大谷選手はドジャースと高額な契約をしました。結婚届も契約書みたいなものかも。怪しい契約書にサインして騙される人も多いです。さて、みなさんはどんな契約をしていますか?(高橋源一郎)

締 切

■第13回 [ 契約 ] 
2025/5/9(必着)

規定枚数

A4判400字詰換算5枚厳守。ワープロ原稿可。
用紙は横使い、文字は縦書き。応募点数3編以内。

応募方法

郵送の場合は、原稿のほか、コピー1部を同封。作品には表紙をつけ(枚数外)、タイトル、氏名を明記。別紙に〒住所、氏名(ペンネームの場合は本名も)、電話番号、メールアドレスを明記し、原稿と一緒にホッチキスで右上を綴じる。ノンブル(ページ番号)をふること。コピー原稿には別紙は不要。作品は折らないこと。作品の返却は不可。

※WEB応募の場合も作品には表紙をつけ、タイトルと氏名(ペンネームの場合はペンネームのみ)を記入すること。

応募条件

未発表オリジナル作品とし、入賞作品の著作権は公募ガイド社に帰属。
応募者には、弊社から公募やイベントに関する情報をお知らせする場合があります。

発 表

第13回・2025/7/9、季刊公募ガイド夏号誌上

最優秀賞1編=Amazonギフト券1万円分
佳作7編=記念品
選外佳作=WEB掲載

応募先

● WEB応募
応募フォームから応募。
● 郵送で応募
〒105-8475(住所不要) 公募ガイド編集部
「第13回W選考委員版」係

お問い合わせ先

ten@koubo.co.jp


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「小説でもどうぞ」の応募作品を添削します。
受講料 5,500円

https://school.koubo.co.jp/news/information/entry-8069/