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第48回「小説でもどうぞ」佳作  ホワイトバースデー 澄瀬理名子

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小説
小説でもどうぞ
第48回結果発表
課 題

孤独

※応募数439編
ホワイトバースデー 
澄瀬理名子

 誕生日とは、どんなときだろうが容赦なくやってくる。三十三歳の辻井咲子は、半年前に、当時お付き合いしていた彼氏と結婚しないで別れるという、なかなかしょっぱい選択をした。彼氏以外に、特に友人もいなかった咲子の今年の誕生日は、必然的に一人である。
 今年は自分で自分にプレゼントを贈るかな。
 デスクで仕事をする咲子が誕生日に何をするかについて考えていると、上司の相葉から声がかかった。
「辻井さん、十四時五十分に、一階の地下倉庫前で待ってるから、来て?」
 なぜ? という疑念を咲子は抱かない。上司に来いと言われたら、何も言わずに行くのが咲子である。
 時間ぴったりに地下倉庫前に着くと、相葉は「おお、来たか」と、地下倉庫への扉を開いた。電気をつけて、階段を下りる。地下だけあって、薄暗く静かだ。倉庫はまだ奥がありそうだったが、相葉は中ほどで立ち止まり、咲子に仕事の内容を伝えた。
「僕だったら、四十五分で終えなきゃいけない仕事。辻井さんなら一週間以上かかるかな」
 相葉はキャビネットをポンとたたいて咲子の方を見た。
「三日で終えてみせますよ」
 咲子がさらりと言ってみせると、相葉は笑った。
「お、いいね。じゃあ、がんばって」
 それだけ言うと、相葉は地下倉庫から出ていった。薄暗い倉庫の中、あとには咲子一人がぽつんと残された。急に静寂が押し寄せて少し怖くなった咲子は、一つ息をついてから作業に着手した。
 しばらく孤独に作業をして、咲子は悟った。この仕事、三日では終わらない。相葉の言う通り、最低でも一週間はかかる。今日は十七日の月曜日。咲子の誕生日である二十日は木曜日である。
 ひょっとすると、誕生日の日とその前後は、ずっと一人で地下倉庫かもしれないと、咲子は一人憂鬱になった。
 来たる二十日の誕生日。予想した通り、咲子は地下倉庫に缶詰めだった。丸二日間、誰も咲子の様子を見に来ていない。朝礼時と昼食時にデスクで同僚と挨拶くらいは交わしたが、その程度である。
 咲子が倒れても誰にも分からないのではないかと恐れながら、一人孤独に作業する。せっかくの誕生日、誰かにお祝いの言葉をかけてもらいたかったが、誰とも会話をする機会がなくてはしょうがない。
 唯一の楽しみは、午後に休暇をとったことだ。帰ったらネットで注文しておいた、自分への誕生日プレゼントであるすきやきセットと、ワイヤレスイヤホンを受け取る予定だった。薄暗い地下倉庫で一人、自分を奮い立たせながら、咲子は黙々と仕事をこなした。
 正午まであと三十分のところで、地下倉庫の扉が開いて、誰かが階段を下りてくる音がした。人だ! と咲子が作業の手を止めて見ると、上司相葉である。
「三日じゃ終わらなかったみたいだね」
 作業の進捗を確認しに来たのだろう、相葉は笑顔だ。
 相葉の顔を見て、咲子は少し安堵した。
「申し訳ありません」
「今日は午前で終わりでしょう。午後から雪が降るらしいから、あたたかくして、気をつけて帰って」
 相葉は声をかけ、来た時と同じくあっという間に去っていった。
 少し気がまぎれた咲子は、後片付けを済ませて、自分のデスクに戻る。
 帰り支度をして、暖房の効いた社内から外に出ると、いつもとは違う氷のような空気が肌を刺した。
 凍えながら、やっと来たバスに乗って、駅に向かう。窓際に座って人心地ついた咲子は、相葉の言葉をふと思い出した。
“あたたかくして、気をつけて帰って”
 その言葉が、明かりのように、咲子の心の中に柔らかく灯る。お母さんみたいな言葉だ。誰かに久しぶりに言われたな、と咲子は思った。
 相葉さんて、どんな人なんだろう。
 そんなことを考えながらホームで電車を待っていると、雪が降ってきた。「わあ」と咲子は空を見上げた。ひとひら、ふたひらと、あまり風のない中空を雪が舞い落ちてくる。そういえば、相葉は雪が降ると言っていた。
 自宅の最寄り駅についた咲子は、駅前を一人で歩く。当たり前だが、すれ違う人の中に今日が咲子の誕生日だということを知っている人は誰もいない。
 帰宅した咲子は「ただいま」と誰に向けるともなく小声で言った。一人で暮らしているワンルームなので、当然返事はない。
 咲子はすきやきセットと、ワイヤレスイヤホンを宅配業者のお兄さんから受け取った。誕生日なのに、まともに会話した人は相葉だけだったと思いながら、咲子はすきやきを堪能した。一人で食べても味がしないかと心配だったが、ちゃんと美味しかった。
 食事を終えて、ワイヤレスイヤホンをさっそく試し、音楽を聴いた。ふと、外の様子が気になり、咲子はカーテンの隙間から外をのぞいた。窓ガラスが曇っていたので、少し指で拭う。まだ雪は降り続いているようだった。スマホで天気を確認すると、大雪警報が出ている。
 雪を眺めながら、ホワイトクリスマスならぬ、ホワイトバースデーかな、と咲子は思った。きっと明日の出勤は骨が折れるだろう。それでも、相葉のいる会社に行くことを思うと、咲子は気持ちが明るくなるのを感じた。
「雪、たくさん積もるといいな」
 相葉との会話が、盛り上がるかもしれないから。そう考えて、咲子は相葉に惹かれ始めている自分を自覚した。ひとりきりのワンルームに、咲子のため息が吸い込まれていった。
(了)