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第50回「小説でもどうぞ」佳作 その橋を渡れ 吉田猫

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小説
小説でもどうぞ
第50回結果発表
課 題

まちがい

※応募数309編
その橋を渡れ 
吉田猫

 思い返せばいつもその声、その言葉に助けられた。
〝その橋を渡れ〟
 決断を迫られたとき、どこからか聞こえてくる重厚な男の声だ。選ばれた私にだけ聞こえる天の声。
 高校二年生のとき生徒会長選挙に名乗りを上げた。回りからはやめた方がいいと諭されたが、その夜あの重厚な声が頭の中ではっきり聞こえたのだ。
〝その橋を渡れ〟
私は回りの反対を振り切り出馬した。大方の予想を覆して三年生の有力候補者を破り、私は生徒会長になった。就任後の校則をめぐる教師との交渉は生徒たちの喝采を浴びることになった。
大人になってもその声は聞こえた。大学卒業後に就職した商社でも優秀な営業成績を収めることができた 。なぜなら、その声が難しい決断を下すときにいつも鳴り響くのだ。
〝その橋を渡れ〟
今まで誰もできなかった大きな取引先を次々に開拓し、私は一躍営業トップに踊り出し、社内の注目を浴びた。
そして一番の転機は三十五歳のときだった。私は会社を辞めて満を持して市議会議員選挙に立候補した。正直に言うと正義感より名誉欲が勝っていたが、世の中を良くしたいという気持ちに嘘はない。このときも当然回りは反対した。既に結婚もしていたし子供も生まれたばかりで妻や親族にも反対されたが、私には確信があった。重厚なあの声が私の頭の中に鳴り響いていたからだ。
〝その橋を渡れ〟
 離婚と破産覚悟で私は一人で選挙に臨むことを決断した。近所の河川の改修が公約だったが、本当はそんなことはどうでもよかった。しかし結果は私の熱いメッセージが有権者に響いたのかなんとトップ当選だったのだ。
 市議会議員はすぐに飽きてしまい一期で辞めてしまったが、そのときの人脈を使って立ち上げた事業がうまく回って今や私は世の中の成功者になった。私は間違いなくうまくやってきた。すべてあの声のおかげだ。そう私は選ばれた人間なのだ。ところが、そんな私も今とてつもなく厄介な状況に追い込まれた。目の前にある本物の橋が渡れないのだ。

 たまには家族サービスをするべく妻子を愛車のベンツに乗せ、二泊三日の旅行に出かけた。助手席には妻が、後部座席には可愛い子供たちがいた。目的の温泉を目指し高速道路を降りて山道の大きな橋を渡っているときだった。揺れを感じた。目の前の道がくねくねと揺れているではないか。
「地震だ! 頭を下げろ!」
 私は大声で叫び、車を止めて次に備えた。妻子らが泣き叫ぶなか揺れはさらに大きくなりハンドルを握り締める私の目の前で橋の一部が轟音とともに崩落した。この先の事態を覚悟し、たまらず顔を伏せた。
 どのくらいたっただろう。ひどく長い時間に思えた。激しい揺れが少しずつ収まり、私は顔を上げた。家族は無事か? 妻も子供も泣いているが無事のようだ。私はドアを開け周りを見渡して愕然とした。私たちの車が偶然乗っていた橋脚の部分を残し、橋が寸断されていた。岸側は前も後ろも四、五メートルの幅の道路がなくなっている。落ちた部分から下を覗くと四、五十メートルはありそうだ。
 こんなことがあり得るのか。大変なことになってしまった。余震も続いているしこの場所だってどうなるかわからない。基地局が壊れたのか携帯電話も通じない。車のある場所に戻り、妻と子どもを見ながら私は思案した。落ちた部分を飛び越えるべきか、この状況で静かに助けを待つべきか。どうする? 飛ぶか、待つか? 突然また大きな揺れがやってきた。私は身を屈め考えた。だめだ、ここにはいられない。飛べるかこの距離を? そのときだ。頭の中にはっきりと聞こえたのだ、あの重厚な響きの男の声が。
〝その橋を渡れ〟
 来た! よし! いける。私は決断した。いつものあの声だ。大丈夫だ。私は選ばれた人間なのだ 。飛んで向こう岸に渡り、助けを呼んで家族を助けるのだ。私は車のドアを開け妻にこう言った。
「助けを呼んですぐに戻ってくるから、子供たちを頼む」
 妻は泣きながら子供たちを抱きしめて頷くばかりだ。私は車から離れ、ぎりぎりまで下がり距離を取った。もう迷いはない。これでも体力には自信があるし、あの声も聞こえた。絶対に飛べる。いくぞ! 私は助走をつけ向こう岸の橋の残った部分に向かって飛んだ。宙を浮きながら回りがすべてスローモーションのように見える気がした。そのときだ。あの声が再び頭の中に聞こえたのだ。あの重厚な男の声。しかしいつもと口調が違う。そして、聞いたことのない言葉……。
〝すまん、間違えた〟
「はあっ? 間違えた?」
 それと同時に既に飛距離が足りないことに気がついた。腕を伸ばして向こう岸の壊れたアスファルトを掴もうとしたが届かなかった。
「なんだ、その〝間違えた〟っていうのは! ふざけんな、こ、この野郎!」
 私はそのまま落ちていく。捕まるところは既にない。
 消え入りそうな声がまた微か聞こえたような気がした。
〝だから、すまんって〟
 私は地面に向かって枯葉のようにくるくると回りながら落ちていく。もう声は聞こえなかった。
(了)